益子焼

栃木県

19世紀の中頃、笠間焼の影響を受けて始まりました。初期の益子焼は、藩の援助を受けて日用品を焼いており、そうして作られたものは江戸の台所で使われていました。
大正13年から作家活動を始めた浜田庄司は益子に住む陶工達に大きな影響を与えました。そこから、現在、益子焼として親しまれている食卓用品や花を生ける器等が作られるようになりました。益子の良質な陶土を使って、白化粧、刷毛目(はけめ)等の伝統的な技法で力強い作品が大量に作り出されています。

  • 告示

    技術・技法


    成形は、ろくろ成形、型起こし成形又は手ひねり成形によること。


    素地の模様付けをする場合には、化粧掛け、はけ目、彫り、飛びかんな又はイッチンによること。


    下絵付けをする場合には、線描き又はぼかしによること。この場合において、絵具は、「呉須絵具」、「鉄砂絵具」、「あめ絵具」又は「銅絵具」とすること。


    釉掛けは、浸し掛け、流し掛け、はけ掛け又は筒描きによること。この場合において、釉薬は、「並白釉」、「柿赤釉」、「黒釉」、「あめ釉」、「糠白釉」、「灰釉」又は「糠青磁釉」とすること。


    釉上絵付けをする場合には、線描き又はぼかしによること。この場合において、絵具は、「呉須絵具」、「鉄砂絵具」又は「銅絵具」とすること。

    原材料

    はい土に使用する陶土は、新福寺粘土、北郷谷粘土、木節粘土又はこれらと同等の材質を有するものとすること。

  • 作業風景

    工程1: 陶土採掘

    陶土は適度の可塑性が必要で、ねばり気が強すぎても、弱すぎても具合が悪く、乾燥時の割れや高温で焼いて形が崩れないものでなければなりません。現在は品種も多様になって、旧来の原土のほか、組合の協同施設工場で機械によって精製した陶土も使用されています。

    工程2: すいひ

    掘した陶土を乾燥させて砕き、水槽に入れ、攪拌してゴミ、砂などを取り除き、ドロドロした液状の陶土を別の槽に入れて沈殿させて取り出し乾燥させて使える陶土になります。

    工程3: 土もみ

    ロクロにのせる前に、荒もみと小もみを繰り返すと、陶土の中に残っているゴミや空気が取り除かれます。よくもまれた土はロクロの上でよく伸び仕事が容易です。 こうして土の均一性をはかると同時に、成形しやすくするために、荒もみと小もみを繰り返します。これを「菊もみ」といいます。土によっては、2種類またはそれ以上の土を練り合わせて相互の欠点を補います。もみ上げた土は数日間寝かしておきます。

    工程4: 成形

    益子ではロクロが主ですが、石膏を使った型抜きもあります。できあがった品物は、一度天日に干して乾燥させ、適度な堅さになったら再びロクロに乗せて、形を整えるために削り作業を行って仕上げます。仕上げた終えたものは天気の良い日に野天で充分に乾かし上げます。

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    工程5: 素焼き

    素焼は絵具や釉薬の吸収をよくします。本焼の窯で焼くことが多く、700~800℃で焼かれます。

    工程6: 絵付・釉掛け

    絵具や釉薬は高温で化学変化をする鉄、銅、マンガン、コバルト、クロームなどの金属類が含まれています。 釉薬は長石質に木炭とか石炭、磁土を加えて透明釉をつくり、これを基本として酸化金属物を加えて色釉を作ります。益子焼は、多くの天然の赤粉や黄土を用いて柿釉や黒釉をつくり、藁灰、木灰、糠灰などを用いた糠白釉などが用いられ、独特の味わいを出します。

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    工程7: 焼成・窯出し

    絵付・釉掛けされた作品は1200~1300℃で焼かれます。2昼夜から3昼夜焼成します。最近では、重油、ガスなどの燃料による焼成を行うことも多くなりました。焼成が終わって二日程さましてから窯出しが始められます。

     

  • クローズアップ

    新鋭なる伝統―益子焼

    陶器の産地として、海外にもその名を知られる益子。なだらかに広がる田畑に小高い山や丘、春は水鳥が舞い降り、冬は薄氷に覆われる池、いちご、柿、ぶどう、りんごなど里を彩る四季の恵み。初めて訪れるひとにも、どこかなつかしさを感じさせる町。そんな風土を背景に生まれた益子焼の魅力を榎田勝彦さんにうかがった。

     

    自然の変化と陶法の変化

    益子焼は江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われ、それ以来、優れた陶土を産出すること、大きな市場東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげた。榎田さんは4代目。陶法も古くは丘陵から粘土の埋蔵地を発見して、その地に窯を築き、燃料の赤松を伐り出しては自給自足で製造した。
    しかし、近年は温暖化のせいか、暑さで松喰い虫が大量に発生し、大きな赤松はすっかり枯れ、最近は小さい松も枯れてしまった。赤松のに含まれる油分が喰われるため、燃料にしても火力が弱くなってしまう。長い歴史の中でこんなことはなかったという。かつては燃料にしたり、堆肥にしたりするために、山の手入れが生活のサイクルの一部だった。そんな時代から人びとの生活は変わってしまったのだ。手入れをしないと、山が荒れてしまう。「それでも、裏山ではナメコやシイタケが秋になると一斉に出てくるよ」と言う榎田さんは、今も米つくりや畑の仕事を自分でやっている。昔はみんな農業もやりながらの、まさしく半農半陶。それが益子の人びとの自然の生きかただった。傾斜地にそって大きな登り窯もたくさんみられた。オイルショックのころから益子ではガスの窯に変わっていったという。榎田さんのお宅も代々の登り窯や大きな工場だった場所を少しずつ変えてきた。益子焼の全体が変容してきた。榎田さんは、代々受継がれてきた自然の生きかたと同様に伝統的な益子焼にこだわりながら、変化する益子を生きている。

    • りんごの灰を使った大きな水かめ

    • こね鉢

    ろくろで作る大きな水かめ―益子の技

    益子焼は艶のあるなめらかな肌のもつ、たっぷりとした厚手の器。長く使えば、使うほど手のひらで包むとじんわり暖かさが伝わってくる。民芸運動の拠点として大正時代から内外の陶芸家たちを受け入れてきただけあって、進取の気性に富むという土地柄も益子の大きな魅力である。榎田さんのところにも食文化やライフスタイルの変化に応じて、新しいデザインの器がたくさんある。昔は生活品といっても、水がめ、すり鉢、こね鉢が多かった。こね鉢はうどんやそばをこねるためのもの。どっしりしてこねるときに動かないので、塗ものよりも実は使いやすいのである。水がめなどは、実用品から玄関先の飾りになっていった。お勝手の必需品から、テーブルの上にのる急須、茶碗、皿へと、使用する釉や、色あいなどにも現代感覚が入ってきた。
    そうしたなか、榎田さんは伝統の益子焼を見つめている。大きなものをろくろをまわして作りあげるのは、伝統の難しい技。そしてなにより肉体勝負。ろくろ技術が大成してくるのが40~50歳くらいだというから、職人の人生の中でも限られた時間にしか傑作は完成できないという。腰を痛めながら大きな水がめを回すのは確かに重労働。「あといくつ作れるかわからない」と榎田さん。4代続いてきた道具は今でも使っている大事なもの。桜の木で出来た手つくり道具たちは、どこか愛らしい。こうした先代の手のぬくもりが榎田さんを伝統の技へと向わせるのだろう。榎田さんのところには「ああ、懐かしい。これが益子焼だ」と言って喜んで入ってくる人はじつに多い。

    • 足でまわす伝統的なろくろ

    • 榎田さんとお父さんの写真

    • 榎田製陶

    作る喜びが生み出した新しさと伝統

    最初は余り興味がなくても、だんだんのめり込んでいく感覚。これが焼きものの魅力である。「今日は嫌だ、作りたくない」と思ったことは一度もない。批判も受けながら、感性と感性をぶつけ合っていくのも面白いところ。まさに榎田さんにとって手ごたえのある仕事なのだ。こうした、どこかやってみないと分からないというのが焼きもののよさでもあり、苦心するところでもある。ところが焼きものは、理屈にあった反応や科学的な部分もある。だから試行錯誤の甲斐もあるのだ。榎田さんは、今度は窯を改造する予定。「よくなるかどうか分からないが、やってみる。」益子はやはり進取の気性が根付いているのかもしれない。
    自分のあとは娘さんが継承するのかも、と楽しみな榎田さん。やはり、自分とは違う感覚の焼きものをつくっているのを見ると、時代の流れには逆らえないと思う。榎田さん自身、いろいろ調合した灰を使って風合いを楽しんでいる。りんごの木を燃やして作った灰で作った大きな水かめ。りんごの木が慎ましく伝統の水かめのに生まれ変わっていた。日用の美とは、こうした新鋭の伝統と寛容さにこそ育まれ、愛されるのかもしれない。

    • 代々受継いだ道具

    • 桜の木で作られた、愛らしい道具

    職人プロフィール

    榎田勝彦

    榎田製陶の4代目。
    20歳のころから家業を継ぐ。益子の土とよく付き合ってきた伝統工芸士

    こぼれ話

    陶器市

    陶器市は1966年(昭和41年)から始まり、例年、春のゴールデンウイークと秋の11月3日前後に開催されます。販売店約50店舗の他約500のテントが立ち並び、伝統的な益子焼から、カップや皿などの日用品、 美術品まで販売されます。テントでは新進作家や窯元の職人さん達と直接会話を楽しむことができます。焼物だけでなく地元農産物や特産品の販売も行われ春秋あわせて約50万人の人出があります。祭りとしてすっかり定着した陶器市。「とちぎのまつり百選」にも選ばれています。大きな水かめから、小さなおちょこまで、とにかく賑わいます。

    <開催場所>
    益子町内各所(城内坂、サヤド地区中心)
    <アクセス>
    常磐自動車道水戸IC・国道50号経由水戸ICより約60分
    東北自動車道 鹿沼IC・宇都宮市内経由・国道123号経由鹿沼ICより約60分
    鉄道JR東北本線小山駅・水戸線下館駅・真岡鉄道益子駅下車。徒歩約20分
    バスJR東北本線宇都宮駅西口下車・宮の橋停留所から
    東野バス益子行・宇都宮から約60分

    ■お問合せ■
    陶器市実行委員会
    (益子町観光協会)
    TEL 0285(70)1120

    • 大盛況の陶器市

     

     

概要

工芸品名 益子焼
よみがな ましこやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 食器、花器類
主要製造地域 真岡市、芳賀郡益子町、市貝町、茂木町
指定年月日 昭和54年8月3日

連絡先

■産地組合

益子焼協同組合
〒321-4217
栃木県芳賀郡益子町益子4352-2
TEL:0285-72-3107
FAX:0285-72-3058

https://mashikoyakikumiai.shop/

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

伝統的な土地の素材である益子でとれる陶土と、釉薬(ゆうやく)等の技術が結び付いて生まれた、落ち着いた艶のある素朴な焼き物です。

作り方

ろくろ、型おこし、手ひねりといった方法で形を作り出します。形が出来たところに、白い泥を筆の刷毛目を活かして塗る刷毛目という技法や、鉋(かんな)で削って凹凸を付ける飛び鉋という技法を使って、模様を付けます。そして絵付けは、青色を出す呉須、黒から茶色の色味を出す鉄砂、銅等を使って行われます。また、益子焼には多くの釉薬があります。柿釉や黒釉、藁(ワラ)の灰、木の灰、糠灰等を使った糠白釉(ぬかじろゆう)等により、独特の味わいを出しています。

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