萩焼

山口県

萩焼の起源は、400年前、豊臣秀吉とともに朝鮮半島に渡った毛利輝元が、現地の陶工李勺光(りしゃっこう)、李敬(りけい)の兄弟を伴って帰国したことに遡ります。
陶工たちは、毛利氏が萩に城を移した時も同行し、李勺光は萩で御用品を焼く窯を開くことを許されました。この窯が萩焼のはじまりとなりました。李勺光の死後は、李敬が窯を継ぎ、藩主から「坂高麗左衛門」の名を受け、その名は現在まで受け継がれています。
萩焼の当初の作風は李朝のものでしたが、その後、楽焼の作風などが加わり、現在の萩焼に通じる、独自の個性を持った作品が焼かれるようになりました。

  • 告示

    技術・技法


    胎土は水簸により調合すること。


    成形は、ろくろ成形、手ひねり成形、押型成形、たたら成形によること。


    素地の模様付けをする場合には、化粧掛け、はけ目、象がん、印花、彫り、面取りによること。


    釉掛けは、「ずぶ掛け」、「柄杓掛け」又は「吹き掛け」によること。この場合において、釉薬は、「木灰釉」、「藁灰釉」、「鉄釉」とすること。


    窯詰めは、天秤積み、棚積み、さや積みによること。

    原材料

    使用する陶土は、大道土、金峯山土、見島土又はこれらと同等の材質を有するものとすること。

  • 作業風景

    工程1: 原土

    萩焼の基本となる陶土は、大道土(だいどうつち)、金峯土(みたけつち)、見島土(みしまつち)の3つです。これらを配合して作陶に使用する胎土を作ります。基本となる3種の土以外に、地土と呼ばれる窯元の所在地の土などを混ぜて独自の土味を出す場合もあります。

    工程2: 水こし

    原土を白くなるまで乾燥させ粉砕します。粉砕した大道土と金峯土を配合して水槽に入れ、撹拌して上層の泥水を次の水槽に移します。この時、砂礫などは最初の水槽の底に残ります。同じ要領で、泥水を何度も水槽から水槽に移していきます。
    最後の水槽の底に沈殿した土を汲み上げて、素焼の盛り鉢に入れ、適度に乾燥させて陶土を作ります。この工程を「水こし」といいます。

    工程3: 土踏み

    水分が適度に抜けたところで土を捏ねます。中の気泡を抜き、陶土の状態を均一にして適度な柔らかさを与えるための作業です。
    萩では、古来からの方法として、土を足で踏んで調整する「土踏み」が行われます。板張りの踏み台に土を載せ、数時間に渡って踏み込みを続けます。見島土や地土はこの時に混ぜ込みます。

    工程4: 土もみ

    「土踏み」が済んだところで、今度は手によって土を捏ねます。この作業を「土もみ」といいます。これが充分に行われていないと、作品に気孔が生じたり、亀裂や歪みが生じてしまいます。作り手は「土もみ」によって土の具合を確かめ、成形しやすい状態に整えていきます。「土もみ」の揉み加減はひとりひとり異なります。「他人の揉んだ土ではやりにくい」と言われる程、作り手にとって大切な作業です。

    工程5: 成形

    土もみの済んだ陶土で形をつくります。
    成形には、ろくろを回して形をつくる「ろくろ成形」、手で形をつくる「手ひねり成形」をはじめとして、型を使った「押型成形」や、板状にした陶土で形をつくる「たたら成形」など、さまざまな表現技法があります。

    工程6: 陰干し

    成形の済んだ作品は、2、3日陰干します。

    工程7: 仕上げ(削り)

    ある程度水分が抜けたところで、カンナで不要な部分を削り形を整えます。
    茶わんの高台は、作品を再びろくろにのせて回しながら、カンナで削り出して作ります。高台は、萩焼の茶わんの鑑賞のポイントとされる重要な部分です。熟練した作り手でも、高台つくりには神経を使います。

    工程8: 仕上げ(化粧掛け)

    成形の仕上げが済んだ作品は、生乾きのうちに白い土を水でといた泥漿が掛けられます。この加工は「化粧掛け」と呼ばれます。
    見島土のような鉄分の多い土を多めに配合した場合、焼き上がりが黒っぽくなるため、「化粧掛け」によって表面の色合いを調整します。

    工程9: 素焼

    仕上げが済んだ作品を乾燥させた後、窯に入れ700~800℃位の温度で15~16時間程度焼きます。この工程を素焼といいます。素焼をすることによって、次の工程である施釉を容易にし、焼成時の釉のめくれを防ぎます。
    素焼を行う際は、窯の中の温度が急激に上昇しないように徐々に焚いていきます。薪による火勢のコントロールは難しく、熟練が必要です。

    工程10: 施釉

    素焼後の作品に釉薬を掛けます。作品によっては、素焼せずに施釉する「生掛け」と呼ばれる状態で焼成する場合もあります。
    釉薬は焼成することによって、ガラス質に変化して作品の表面を覆います。萩焼で一般的に用いられる釉薬としては、灰釉やワラ灰釉があります。灰釉は、透明に仕上がる釉薬で、長石と木灰を調合してつくります。ワラ灰釉は、乳白色で不透明な仕上がりになる釉薬で、灰釉の材料にワラ灰を加えてつくります。ワラ灰釉を使用したものとして代表的なものに、白萩があります。
    施釉の方法には、釉薬の中に作品を浸けて施釉する「ずぶ掛け」、柄杓などを使って釉薬を流し掛ける「柄杓掛け」などがあります。

    工程11: 窯詰め

    施釉の済んだ作品を窯の焼成室に詰めていきます。萩焼の窯は、3~5房の小さな焼成室が山の斜面を登るように連なる連房式登窯です。
    萩焼の伝統的な窯詰めは、「天秤積み」と呼ばれる方式です。「天秤積み」は、筒に円形の板を載せて作った台に、複数の作品をバランスよく載せ、それを何段も積み重ね、塔のようにして窯詰めする方法です。
    「天秤積み」の他には、陶板で棚を作って作品を並べる「棚積み」や、匣鉢(さや)とよばれる容器の中に作品を入れ、これを積み重ねて焼く「匣鉢積み」などがあります。
    窯詰めが終わったら、窯詰めに使用された焼成室の出入口を、薪の投げ入れ口を残して泥とレンガで塗り固めます。

    工程12: 焼成

    すべての焼成室の出入口が塞がれたら、下の房から順次火を入れていきます。焼き上がるまでにかかる時間は、房の数や気象状況によって異なりますが、5房の窯であれば30~40時間程度。最終的には1,250~1,300℃になるように窯の温度を上げ、焼成します。作り手はその間、窯を離れることはできません。
    同じ調合の釉薬でも、薪を頻繁に投入してつくった炎で焼いた場合と、薪を緩慢に投入してつくった炎で焼いた場合では、出来上がりの色が異なります。思い通りの色で焼き上げるために、作り手は巧みに間合を見極めて薪を投入していきます。
    薪の投入を続けるうちに、窯の中の炎の色は白くなります。これが、1,250~1,300℃の目安です。求める温度になったところで、頃合いを見計らって、窯の奥に入れてある「色見」と呼ばれる焼き見本を、見込み穴から引き出し、釉薬の溶け具合などを確認します。薪をくべるタイミングや「色見」を引き出すタイミングは、すべて窯の中の炎を見て行います。こうした炎の見極めは、どんなに熟練していても、難しいといわれます。
    「色見」が納得が行く状態であれば、薪の投入を止め、投入口を密閉して火を落とします。そのまま一昼夜ないし3,4日放置して、自然に窯の熱が冷めるのを待ちます。

    工程13: 窯出し

    作品が充分冷えたところで、密閉されていた投入口を壊して、作品を取り出します。

     

  • クローズアップ

    絡み合う炎の技と人の技~萩焼

    一楽、二萩、三唐津。萩焼は数百年に渡って茶の湯の道具として、愛でられてきた。茶の湯に似合うとされたのは、柔らかさを感じさせる土の味わいと、表情豊かな釉調。それらを生みだすのは窯の炎だ。作り手は、経験を重ねることで、炎を御す術を身につける。炎と人の技がひとつになることで、萩焼ならではの存在感が作り出されるのだ。
    萩焼を焼きつづけること60余年、自身も旺盛な製作活動をつづける傍らで、数多くの弟子を育ててきた、兼田三左衛門さんの窯を訪ね、お話をうかがった。

     

    茶の湯と萩焼

    「まず、お茶を」そう言ってだされたのは、抹茶。もてなしに気軽に抹茶が出てくるところに、茶の湯が身近な萩の土地柄を実感する。
    萩焼の作り手には、茶の湯を嗜む人が多い。窯元が自分の所の職人に師匠を紹介し、仕事の一環として茶を習いに行かせることも珍しくないという。茶の湯との交流の中で、作り手たちは自ら使い手となり、より良いものが焼けるように精進した。そうした気風が、現在の作り手たちの間にも受け継がれているのだ。

    茶の湯の茶わんは、見た目だけでなく手に取り使った時の感じの良さも大切にする。余分な装飾のない分、形や釉調が存在感を左右する茶わんには、萩焼の魅力が凝縮されている。数あるやきものの形のなかで、「やっぱり、茶わんが一番難しいやね」と兼田さんは語る。

    炎がつくる萩焼の魅力

    微妙な釉調は、萩焼の大きな魅力のひとつだ。器の優しい肌色の上に掛かる白い釉、その所々に浮かび上がる薄紫色。こうした色の変化は窯変によって引き起こされる。窯変とは、窯に入れた時の火の具合によって、通常の釉調とは異なる反応がおきることをいう。萩焼の表面に時折見られるホタルの光の様な白い斑点も窯変によって作りだされる。
    作り手は、作品を焼く時、窯の中で置く位置を計算することなどで、窯変を意図的に起こすことが出来るという。しかし、すべてが思い通りに運ぶ訳ではない。
    「前にいいものが焼けたところでも、次も同じ様にできるとは限らん。その反対に、思いもよらん窯変が生じることもある。そこが、登窯の面白い所。同じ窯でも、火の回り方によって色が変るし、時には火に引っ張られて形も歪む。でも萩焼を知っちょる人は、それがいいっていって買っていきよる。」と兼田さんは微笑む。人の技と炎の技の絡み合いが生みだす妙技を見る目が買い手にあってこそ、作り手の技も活きるのだ。
    萩焼の魅力は、窯の中という人の手の届かない場所で産み出される。しかし、そこから生まれる作品を、限りなく自分の狙いに近づけていくのは人の技だ。

    炎を活かす人の技

    萩焼は、今でも伝統的な登窯によって焼かれることが多い。登窯の他には、ガス窯や電気窯も用いられている。同じ雰囲気のものを安定して作るには、ガス窯や電気窯が向いているが、炎や灰による変化を求める作品は、登窯でなければ生まれない。

    登窯での焼成に掛かる時間は、窯の大きさによって異なるが、兼田さんのところでは概ね24時間。この間つきっきりで火の番をする。火加減はやきものの出来を決める大切な要素である。同じ土、同じ形、同じ釉薬のものを焼いても、窯の焚きようで、色も変われば窯変の現れも変る。
    登窯の場合、火の温度や勢いは、投入する薪の太さやタイミングでコントロールする。兼田さんはそれを炎の色で見極める。己の目だけが拠り所の作業である。
    どれぐらい経験を積めば、見極められようになるのだろうか。そんな問いに、兼田さん笑って「まだ、まだ」と繰り返す。この道60年の大ベテランをして、未だに見極めきってないと言わせるほど、登窯の奥は深いようだ。

    色見と呼ばれるサンプル。炎の色を見極めた所で、色見を窯の脇の小さな窓から引き出し、焼け具合などを見る。納得がいけば、そこで窯焚きが終了となる。

    次の代には次の代の作品

    兼田さんの天寵山(てんちょうざん)窯では、息子の昌尚さんも製作活動を行っている。ギャラリーに展示されている昌尚さんの作品は、兼田さんのものとは随分作風が違う。
    「息子には息子のやり方があるよって、なるべく言わんようにしちょる。」兼田さんは、昌尚さんのやり方が自分と違うと思っても、それを口には出さない。どこの窯元でも後継ぎに対しては同じ様だという。「出来上がってみれば、『いい』と思うこともあるよって。でも本人には言わんけどね」そういう兼田さんはどことなく嬉しそうだ。
    萩焼はその発生当初から時代の流れに敏感なやきものだったという。江戸に遅れをとらないように、流行をいちはやく取り入れ、その作風を変化させてきた。それぞれの時代の中で流行となった造形の中で、生き残ったものが、伝統として今に受け継がれているのだ。
    兼田さんは「こっちが息子に習わにゃならん」と笑う。兼田さんもまた、時代と共に変り続ける萩焼の作り手のひとりだということを、感じさせる一言だった。

    職人プロフィール

    兼田三左衛門 (かねたさんざえもん)

    大正9年生まれ。昭和15年に山県麗秀氏、伯父である天寵山窯五代目の兼田徳蔵氏に師事。昭和48年の一水会初入選以来、日本伝統工芸展など各種工芸展などで入選・入賞多数。

    萩市文化奨励賞、萩市産業功労賞、山口県選奨受賞

    日本工芸会正会員、萩陶芸家協会会員

    こぼれ話

     

    澄んだ色味の初々しい茶わんが、何年も使ううちに落ち着いた渋い雰囲気の茶わんに変る。萩焼が美しく時を重ねる様子を、やきものを知る人は「萩の七化け」という。

    萩焼の茶わんは、ざっくりとした土味の胎土でつくられている。その土味が萩焼の魅力のひとつとなっているのだが、透水性があるため、表面の釉に入った貫入という細かいヒビの隙間から茶や酒などがしみ込み易い。長く使っているうちに、釉調が変化するのはそのためだ。

    入り込んだ茶液などが残した色は、貫入の様子を際だたせ地紋のように見せたり、面白みのある色染みを生じさせたりする。

    色の染み込み方は、使い手の扱い方によって随分違う。使う前に器に充分に水を含ませ、使用後は手でよく水洗いをして自然乾燥で完全に水分をとばす。そうした基本的な扱いはもちろんだが、風合を良くしていくのに大切なことは、使い続けることだという。「いくら立派な茶わんだからといって、大切にしすぎて使わなければ死んでしまう」というわけだ。

    きちんと手入れをして長く使う。そうすることで、萩焼は「七つ」どころか無限に変る表情を愉しませてくれる。

     

概要

工芸品名 萩焼
よみがな はぎやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 茶器、花器、食器、装飾用品
主要製造地域 萩市、長門市、山口市、阿武郡阿武町
指定年月日 平成14年1月30日

連絡先

■産地組合

萩陶芸家協会
〒758-8555
山口県萩市大字江向510
萩市商工政策部商工振興課萩焼・陶芸係内
TEL:0838-25-3638
FAX:0838-25-3420

https://hagi-tougei.com/

■海外から産地訪問
画像
萩焼~産地訪問記事

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

萩焼の大きな特徴は、焼き締まりの少ない柔らかな土味と、高い吸水性にあります。吸水性が高いため、長年使っているうちに茶や酒が浸透し、茶碗の色彩が変化します。この変化は、茶の湯を嗜む人たちの間では「茶馴れ」と呼ばれて愛でられています。 その他の特徴としては、形や装飾の簡素さがあります。ほとんどの場合、絵付けは行われません。胎土となる土の配合、釉薬のかけ具合、へら目などが、登窯の作用によって様々な表情を生みだすことを想定した上で、その魅力を活かすように作られています。

作り方

大道土、金峯土を基本に、そこに見島土や、地土と呼ばれる地元の土を配合して、作陶に使用する粘土を作ります。 成形には、ろくろ、手ひねり、押型、たたらなどの技法があり、それらによって作られた作品に、化粧掛け、象がん、彫刻などの仕上げを施し、素焼します。 素焼後、施釉を行います。釉薬には、透明あるいは白釉を用い、施釉後、登窯、電気窯、ガス窯等で焼成します。窯の中で炎に触れた部分は釉調が変化し、この変化は「窯変」と呼ばれます。

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