匠を訪ねて
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新しいものを見つめ続ける匠の姿勢

常滑焼 : 中野勝旨

2016年6月27日 青山スクエアで制作実演中の中野勝旨さんを訪ねました。

常滑焼の匠:中野勝旨さん

常滑焼とは六古窯の一つで、平安時代後期に作り始められたと言われています。古来より焼き締め、無釉の雑器が有名ですが、桃山時代に入ると茶の影響を受けて茶道具も生産するようになりました。

常滑焼の世界に入った理由

無類の勉強嫌い

中野さんは農業を営んでいるご両親のもとに生まれました。

中野さんの叔父さんは常滑焼の窯元ではありましたが、とくに後を継がなければいけないという立場ではなく、自分の意志で焼き物の世界に入っていったそうです。

それというのも、高校を卒業した時に大学へ進むのはちょっとという気持ちがあり、かといってそのまま就職というのも考えがまとまらなかった中野さんは、「モノづくり」って楽しいかもしれないという気持ちが芽生え、瀬戸市(当時、常滑市には焼き物の専門学校がなかったため)にある焼き物の専門学校へ通うようになりました。

専門学校卒業後は京都へ

専門学校を卒業してからは、実家を離れて京都へ陶芸の修業をしに向かいます。

そこで京焼・清水焼を10年間学び、長男ということもあり常滑市に戻って、常滑焼の窯を開いたのです。

京焼・清水焼と常滑焼では手法が違うのではないかと尋ねたところ、昔からある陶器の根源にある作り方というのは皆同じだと思っています。一つの手法があって、それが各地に根付き、その土地にあった得意分野が生まれただけだとおっしゃり、京焼・清水焼と常滑焼では使っている粘土は違うものの、それほど問題はなかったそうです。

陶器の新しいカタチ

陶器の水槽

常滑では5年ほど前から水槽づくりを始めました。

初めはお客様のアイデアだったらしいのですが、実際に作ってみるかとなった時に手を挙げたのが中野さんを含め3つの窯。

陶器での水槽は他で作られているものでもなかったので、どんな形にしようかと悩んだそうです。

けれど、これまでにない発想のもとで作られた水槽だったため、他にはない形を作るのが楽しいとおっしゃっていました。

東京では初の試み

これまで陶器の水槽は、愛知県でのみ販売していたそうです。

品質改善を繰り返し、作り始めて5年。そろそろ他の場所でも販売したいと思うようになり、ここ青山スクエアで初お披露目をすることにしたのです。

実際に足を止めるお客様は多く、珍しがって見ていくのですが、なかなか購買に至らないのが難点だとおっしゃっていました。

水槽の形のアイデアは江戸時代の水槽?

中野さんがインスピレーションを受けたのは、江戸時代のお殿さまや大名の部屋に置かれていた、木で作られた水槽だそうです。
そこから派生して、いくつかの形の水槽を編み出していきました。

現在はメダカを入れる水槽にしていますが、初めは金魚を入れていました。

ですが、金魚は水槽の中に空気ポンプを入れなくてはいけないので、後ろに別の穴をつけたり、取り付けたとしても水槽を洗うのが面倒だったため、メダカ専用にしたそうです。

これからも作り続けるなら新しいものを・・・

中野さんが目指すもの

同じものを同じように作る技術も確かに必要かもしれない、けれどそれだけでは続かないというのが中野さんの考えです。

中野さんはとにかく新しい『形』にこだわっています。

常滑焼は茶器(急須)や盆栽鉢を多く作っている産地です。それらのもので、これまでにない形のを・・・というのは、とても難しいことです。食器や花器なども同じことが言えます。

ですが、今回作った水槽はというと、陶器で水槽を作っている産地がないため、どんな形を作っても新しさを感じて貰える。そこが重要だと仰っていました。

確かに伝統的工芸品の一般的なイメージは「古いもの」という印象がどうしても強いので、これまでになかった形でのアピールというのも面白いのかもしれません。

中野さんはこれからも、他にはない陶器のモノづくりをして、自分で考えたオリジナルのものを作っていきたいと楽しそうにお話しされていました。

最後に、常滑焼の産地では後継者不足に悩んでいるそうです。

十年後ぐらいには団塊世代の作り手がいなくなる可能性もあり、そうなると急須の作り手が一気に減る可能性があります。

20代の作り手もいるものの、職人志望ではなく陶芸家志望のため、常滑焼の産地として何とかしていかないといけないとおっしゃっておりました。

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中野さんは現在、青山スクエアにて「常滑焼伝統工芸士 中野勝旨 作陶展」にて6月29日まで出展中です。

期間中は青山スクエアにいらっしゃるので、ぜひお話をしにいらしてください。