匠を訪ねて~鳴子こけし 伝統を守り新しい発想をし続ける
2018年3月2日 青山スクエアで特別展に出展中の岡崎靖男さんを訪ねました。
宮城伝統こけし(鳴子こけし):岡崎靖男
宮城伝統こけしには4つの宮城のこけしが含まれています。鳴子こけし、弥治郎こけし、仙台こけし、遠刈田こけし。今回お話を伺ったのは、鳴子こけしを家業として作り続ける岡崎さんです。
鳴子こけしは江戸時代末期の頃、お碗やお盆を挽いていた木地師たちが自分の子どもや近所の子どもに玩具として作ってあげたのが始まりといわれています。
家業としての鳴子こけし
小さなころから、いつもそばに
岡崎さんの家では、お爺様もお父様もこけしを作っていました。
そのため、幼少のころから、そばにこけしがある生活をしており、大人になったら自分も作るんだという意識でいたそうです。
他の仕事を考えたこともない岡崎さんは、こけしを作ることに信念を持っています。
18歳になると岡崎さんは、こけしの作り手としてお父様のもとで修業をし始めました。子どもの頃から見ていたこけしですので、始めはすぐにできると思っていたそうです。
修業をし始めて、こけしの形(木地)は作れるようになったものの、顔を書くのに苦労したとおっしゃっていました。
そしてそれは、お客様の目にもわかるほどだったといいます。
ある日、お爺様とお父様と自分と三人で作ったこけしを同じ値段で販売したところ、自分の作ったこけしだけが売れ残りました。
売り物としての出来にはなっていたものの、やはりお客様には、どのこけしがいいかがわかるということを知った出来事でした。
今も、その当時に作ったこけしが手元に残っているので、たまに今の自分の作ったこけしと見比べるそうです。昔のものは表情が固かったり、作り手が緊張しているのが伝わってくるとおっしゃっていました。
新しい形を模索中
こけしブーム
こけしは現在もブームが起きています。
ですが昭和40~50年頃に起きたこけしブームはもっとすごかったそうです。どんどんこけしが売れるため、作り手がいくらいても足りないほど。
当時は80~100ほどの作り手がいたといいます。現在は、その三分の一程度で、30くらいになっているので、今のこけしブームがそれほどではないことがわかります。
こけしに描かれている菊の花
菊の意味は
ところで、こけしの胴体には菊の花が書かれているものが多くあります。これって、なんだと思いますか?
実は、こけしは元々木地師が作っていたのですが、この地方に木地師としての技法を教えてくれたのが天皇家の惟喬親王だと言われています。つまり、教えていただいたので、その御恩を表して描いているのだと教えてくれました。
こけしには、まだまだ私たちが知らないような事が隠れているかもしれません。気になる方はぜひ、作り手の方に聞いてみてくださいね。
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今回お話をしていただいた岡崎さんは、
匠コーナー「宮城県の伝統的工芸品展」で3月4日まで青山スクエアにて出展しています。
(宮城県の伝統的工芸品展は3月7日まで)
期間中は制作体験も行っているので、ぜひ遊びに来てくださいね。