伝統工芸 青山スクエア

2018/2/19(月)

有田陶片物語  やきものの区分 西洋からの技術とともに

 今年は、明治維新150年の節目の年。佐賀県内でも各地で記念事業が計画されているようだが、明治といえば、西洋からの技術導入によって、有田をはじめとする日本の窯業が劇的に変貌を遂げた、エポックとなる時代でもある。
 各地に導入された窯業技術もさることながら、日本的な規模で影響を受けた、ちょっとした大きな変化もあった。その一つが、やきものの分類。今日では、“土器”、“陶器”、“〓(火ヘンに石)器(せっき)”、“磁器”という区分がおなじみだが、たとえば、佐賀県のやきものの中では、唐津焼は陶器、有田焼は磁器に区分されている。
 ところが、意外に知られていないが、実はやきものの分類などは、万国共通でもなければ、時代を問わず不変的なものでもない。実際に日本で磁器がはじまった江戸時代までは、“土器”と“陶器”の2区分しかなく、磁器も陶器の一種だったのである。このなごりを残す分かりやすい例が、あの有田の春の一大イベント。会場内を埋め尽くすのはほとんど磁器ばかりなのに、陶器市の名で親しまれている。
 明治に日本に導入された窯業技術は、ドイツの影響を強く受けている。この時、ドイツのやきものの区分である“土器”、“〓(火ヘンに石)器”、“磁器”の概念も持ち込まれ、実は、これに従来の日本の区分である“土器”と“陶器”を組み合わせたものが、現代の日本の分類なのである。

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