有松・鳴海絞400年の歴史と未来
愛知県名古屋市、有松駅を降りると、何軒もの古いお屋敷が並ぶ通りがあります。絞り染めの産地として発展し、重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている、歴史ある街並みです。そんな古いお屋敷のうちの一つが有松絞のお店、竹田嘉兵衛商店です。竹田社長にお話を聞きました。
有松・鳴海絞は完全分業制。図案に合わせて型を彫る「型紙彫り」、型紙に彫られた紋様を高温のお湯で消える染料で生地に刷る「下絵刷り」、下絵に合わせて絹糸で生地を括る「括り(くくり)」、生地を染める「染色」、染めあがった生地に残った括り糸を外す「糸抜き」の全ての工程は、それぞれのプロが行うのです。竹田さんは総合プロデューサー的な立ち位置で、デザイン、各工程の発注、販売を行います。
括りは100種類以上あると言われ、100種類全てをマスターしている職人はおらず、各々が得意とする括り方をいくつか持っているそうです。竹田さんは「さまざまな絞り方の中から、どの部分にどの絞りを使って図柄を表現していくかイメージするのは難しいが、経験と共にだんだんと完成図が頭の中にあるスクリーンに映し出されるようになる」と言います。これもひとつの技のうちです。
絞り染めの産地として、約400年の歴史がある有松および鳴海などの周辺地域では、産業が最も栄えた明治中ごろには、10万人の従事者がいたと言われています。当時は、浴衣、羽織、綸子などを中心に生産していましたが、他の染織品産地と同様、近代化による洋服の普及、着物ばなれが進むにしたがって、生産量も減りました。しかし、有松・鳴海絞には、このまま無くなってしまうような兆しは感じられません。なぜなら、近年、伝統的工芸品を発展、進歩させる上では、避けては通れない二つのテーマ「後継者育成」「現代の生活に合った商品作り」にしっかりと向き合っているからです。
愛知県絞工業組合の主導で、2009年から、後継者育成のための講習が始まりました。受講者は月に1,2回の講習を受け、さらに毎日の宿題を家でこなすことで、5年かけて絞りの技術を学びます。修了後の受講生は家業を継ぐ人のように元々仕事を持っているわけではありません。後継者としてしっかりとした技術を身につけた人でも、仕事が無いので続けられない、というような事態を回避するべく、新規参入する職人にも組合から仕事をまわして、仕事を続けられるようにしています。
では現代の生活に合った「絞り」の商品とはどんなものでしょうか。有松・鳴海絞は、新しいアイディアであふれています。
長年有松絞の染色を行っている、久野染工場の久野社長にお話を聞きました。絞り染めのアイデンティティは「絞る・挟む・縫う」ことである「絞り」にあります。それを他のどんな技術と掛け合わせるかで、絞り染めの可能性は広がります。昔なら、友禅染を合わせて「辻が花」を製作しました。化学技術が発展した現代では、化学との融合に大きな活路が見いだせると言います。
たとえば、形状記憶の可能な繊維を使って、括った時の形をあえて残した立体的な布を開発しました。これらは、シャツやストール、照明器具などになっています。ファッションだけでなく、インテリアや工業デザインなど、時代に対応できる商品を作ることによって、有松・鳴海絞の技術は必要とされ続けるのです。
久野社長は言います。昔からあって今の時代に残っているもの、それは「本当にいいもの」と「他でできなかったもの」だと。他でできない絞りで、本当にいいものを作る有松・鳴海絞は、400年後もその時代の生き方に合った形で輝いているでしょう。
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