2015.06.08

無我夢中が生み出すモノのちから

越前漆器 : 松田祥幹さん

2015年6月8日 青山スクエアにて制作実演中の松田祥幹さんを訪ねました。

越前漆器の伝統を汲む漆芸作家・松田祥幹(まつだ しょうかん)さん。

京蒔絵と会津塗を融合させた独自の松田蒔絵と呼ばれる技法を生み出した秀悦氏から3代目にあたります。
伝統を継承する傍ら、ガラス表面への漆の付着技法なども新たに生み出してきました。

蒔絵が施された美しいワイングラスは祥幹氏の代表作ですが、
その特殊技法が、どのようにして生まれたのかを教えていただきました。

-略歴-

昭和40年 福井県生
昭和61年 石川県 呉藤譲太郎先生に師事

-賞歴-

平成元年
・山中町蒔絵展 永久保存賞 他4回入選
平成2年
・第25回全国漆器展日本経済新聞社長賞
平成7年
・福井県総合美術展 知事賞
・全国漆器展 林野庁長官賞(親子合作)
その後、数々の賞を受賞し、現在に至る

(Q)松田さんのお爺様・お父様も漆芸作家とのことですが、ご兄弟はいらっしゃいますか?また、小さいころから”家業を継ぐ”という意識を持って育ってきたのでしょうか?

私には姉が1人いるのですが、やはり自分は男の子で長男という意識がありましたから、中学生になった頃からでしょうか。”意識的に”父の手伝いを始めていました。

(Q)特に反抗期などもなく、自然に”跡継ぎ”としての意識があったというわけですね。その後は順調にその道に進んでいかれたのでしょうか?

それまでの自分は、環境からしても古典的なものにばかり触れてきたので、高校を卒業した後 2年間、デザインの専門学校に行きました。
そこで”多彩な感覚”や”目”を養うために、モダンなものから今までの環境では学べなかったことなども精力的に学んでいきました。

(Q)もしかしてその頃に学んだことが、今に繋がっているのでしょうか?

そうですね その頃吸収した感覚というのも、その後の自分に大いに影響していると思います。
卒業後は山中漆器の技術を5年間学び、越前漆器・京蒔絵・会津塗・山中漆器が融合する独自の漆芸を展開できるようになり、じっくり取り組める高価なお茶道具などを作っていました。

当時の日本はバブル絶頂期で景気が良く、良いものを作れば必ず売れるという時代でした。

(Q)その後、ようやくご実家に戻って家業を継がれるわけですね。スタートは順調だったのでしょうか?

いや、時は90年代前半、ちょうどバブルが崩壊して、中国などから安い木地に安価な塗りを施してあるものなどが出まわって、あっという間に”高価なホンモノ”は売れなくなり、実は収入がゼロという究極の時期も経験しました。

(Q)ホントですか?!では、その後どうやって復活されたのですか?

生活が立ち行かなくなってしまうので、母と二人手打ち蕎麦の店を始めました。
本業を離れて1年間、がむしゃらに取り組みました。

全く別の世界に身を置くことで、見えたことがありました。本業を離れることになった時、今までお世話になった方々に御礼をしたい。でも、自分には持ち合わせがない。
そこで、どこでも手に入る石を素地に、心をこめて箸置きや文鎮を作って配ったところ、発想が面白い!これも自分の作品として売ったらどうか?
と言われたことが、まさに目から鱗の出来事で。
それ以来、蕎麦屋にも作品コーナーを置いて売ったりしていました。

1年間、生活を180°変えたことで見えたことが沢山あり、その後、本業に復帰した時は、今までのスタイルを大きく壊して再スタートすることが出来ました。

作品を地元の問屋経由で販売するのではなく、東京にスタジオを持ち、積極的に自分からアプローチしていくスタイルに変え、蒔絵体験などもはじめました。
お客様の反応も直接肌で感じることが出来るので、以前よりも良い環境になっていったと思います。

また、今まで作品の梱包や検品など裏方仕事ばかりしてきた母も、蕎麦屋の経験で接客を学んだことで
今では心強いディレクター&プロデューサーになっています(笑)

(Q)そうですよね。お父様が展示会をされる時も、いつも絶妙なタイミングでお客様に話しかけていらっしゃいますよね。

そうなんです。
母は今や、私たちには欠かせない心強い営業部長です(笑)

(Q)最後になりますが、ワイングラスやコップなど、ガラスに蒔絵を施すという技術はとても難しいと伺いました。堅い素材だと漆を吸収することはないため、表面にうまく漆が乗らないことが原因だと聞きました。この技術を生み出すことになったきっかけを教えていただけますでしょうか。

きっかけは、以前、国立博物館の権威ある方に『ガラスに蒔絵を施した工芸品があれば、スーベニアショップに置きますよ』とのお話をいただいたことなんです。

その時に軽く『出来ますよ』と断言してしまったことがきっかけでして(笑)
実は言った直後に後悔することになるのですが。

(Q)と、いいますと?

難しい技術ですから、当然そううまくはいかないわけですよ。
それから毎日失敗に失敗を重ね、ガラスに蒔絵を施すことばかり日夜考えて過ごしていました。
それこそ取り憑かれたように、連日無我夢中で。

そんなある日、夢に解決方法が出てきたんです。いや、降りてきたと言った方が正しい表現でしょうか。

人間、無我夢中で、もがきながら何かに必死に打ち込み追求し続けていれば、いつか答えは降りてくるものなんだと、その時痛烈に思いました。
その時のオーラが人を惹きつける。子どもが何かに集中しているときのように。
それ以来、私のテーマはいつも『無我夢中』なんです。

『無我夢中』が生み出すモノのちからを信じて、今も新しいことにチェレンジし続けています。

松田さん、ステキなお話ありがとうございました。
漆芸作家 松田祥幹展は6月10日(水)までです。お近くにお越しの際はぜひ、『無我夢中』な松田さんの作品を見にいらしてはいかがでしょうか。

蒔絵は人の心に『晴』をもたらす
日本を代表する文化

蒔絵は『晴』のもので、道具などを華々しく飾ります。
そこには、美意識が働かないと生まれません。先人の美意識です。

世界各地には、人類の憧れである『黄金』を使った文化があります。
日本では『黄金』を『漆』を使って接着させました。

ただ接着させたのではありません。
『漆』を筆に付け文様を描いたのです。
そして、『黄金』をより細密に表現するために粉末に加工した訳です。

こうして『黄金』と『漆』の艶が相まって
見事な『蒔絵』が出来上がったのです。

その艶やかさは、貴族社会や武家社会の好みと一致した事も受け継がれ進化し続けた要素となりました。
1500年もの間、日本において育み続けられて来た訳です。
中には琳派などの大家も好んで取り入れ、日本を代表する工芸となりました。

海外では『Japan』とも呼ばれ、正に日本そのものです。
現代では生活スタイルが変わったとか、資本社会に合わないとか減少の一途です。
でも、そんな一過性の為に途絶えていくのは心苦しいです。

人の心に『晴』をもたらす、日本を代表する文化なのです。
その思いで生涯を蒔絵に捧げたいと思っています。
以上が私の思いです。

~松田祥幹~

蒔絵スタジオ 祥幹ホームページ『蒔絵の魅力』より
http://www.makieshi.com/category/makie_miryoku/

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