東京銀器

東京都

江戸時代中期に、彫金師の彫刻する器物の生地の作り手として、銀師(しろがねし)と呼ばれる銀器職人や、櫛、かんざし、神興(みこし)金具等を作る金工師と呼ばれる飾り職人が登場したことが「東京銀器」の始まりでした。
江戸でこれらの金工師が育った背景には、貨幣を作る金座・銀座の存在、また各大名が集まる政治経済、文化の中心であったことが挙げられます。

  • 告示

    技術・技法


    成形は、次のいずれかによること。

     
    (1)
    鍛金にあっては、地金を金鎚及び金具を用いて、手作業により成形すること。

     
    (2)
    「ヘラ絞り」にあっては、地金を木型に当て、木型を回転させてヘラ棒を用いて、手作業により絞り込むこと。


    部品の接合をする場合には、「銀鑞付け」、「錫付け」、「カシメ」又は「鋲止め」によること。


    加飾をする場合には、次のいずれかによること。

     
    (1)
    「模様打ち」にあっては、手作業により金鎚又は鏨を用いて行うこと。

     
    (2)
    彫金にあっては、手作業によること。

     
    (3)
    切嵌にあっては、図柄の「切落し」及び「紋金造り」は、糸のこ又は切鏨を用いて手作業によること。また、紋金は、銀鑞付けをすること。

     
    (4)
    鍍金にあっては、彫谷への「沈金鍍金」とすること。


    色上げをする場合には、「煮込み法」又は「金古美液」若しくは「タンバン古美液」を用いること。


    「ヘラ絞り」により成形したものにあっては、加飾をすること。

    原材料

    地金の素地は銀とし、銀の純度は、1000分の925以上とする。

  • 作業風景

    銀という金属には、やわらかくて加工しやすい、光沢がある、錆びないという大きな特長があります。一枚の銀の板を鎚と当て金を使ってたたくことで、立体的な形を作り上げていくのです。その技法は江戸期から伝わるものが多く、鍛金・彫金・切嵌(きりばめ)などがあります。

    工程1: 鍛金

    1.地金を加熱してやわらかくし、加工しやすくします(生し)。
    2.作品の寸法を割り出し、必要な面積を銀の板にコンパスでけがきします。丸い形のものは、円形に鋏で切ります(地金どり)。香炉の場合は、足を打ち出す位置を決めます。
    3.円形のものを作る場合は、銀板をケヤキ製の当て台の窪みに当て、木槌で少しずつ打ち込んで皿状にしていきます。次に、金鎚と当て金を使って成形します(鎚絞り)。当て金や鎚は、鎚絞りの段階にしたがって使い分けます。
    4.締まって固くなった地金はガスバーナーで生して丹念に打ち続け、生しと打ちを繰り返しながら地金を絞り込んでいきます。
    5.一定の形に整えてから、模様打ちをします。岩石・ござ目・かご目・亀甲紋など、金鎚にあらかじめつけてある柄を打ち込んでいきます。

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    工程2: 彫金と切嵌

    彫金(模様を鏨(たがね)で彫っていく技法です)
    1.図柄を描いて雁皮紙(がんぴし)に写し取り、模様を崩さないよう香炉に貼りつけます。鏨を打ち込みやすいように、香炉の内側に脂(やに)を入れます。
    2.図柄が消えないように鏨で跡をつけ、彫るときの目印にします(針打ち)。
    3.技法によっていろいろな鏨を使い分けながら、模様を浮き出させていきます。

    切嵌(きりばめ=地金の模様部分を切り抜き、そこに別の金属を嵌(は)め込んでいく技法です)
    1.銀の板を生し、金床の上で平らにします(ならし作業)。
    2.原図を写し取った雁皮紙を銀の板にはりつけて、地金の模様部分を切り落とします。
    3.地金の切り取った部分にほかの金属を当て、けがきして切り取ります。たとえば、茶色を表すなら銅、黒を表現するなら銅と金の合金である赤銅を用います。このように色を表す金属を、もん金(がね)といいます。
    4.細かい図柄を地金に嵌め込んでいきます。指先に神経を集中して行う繊細な仕事です。
    5.もん金を嵌め込んだところに硼砂(ほうしゃ)を塗り、銀鑞(ろう)付けをします。地金と嵌め込む金属の伸びる度合いが異なるので、熟練を要する作業です。銀鑞の盛り上がった部分をやすりで削り、さらに砥石で滑らかにします。

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    工程3: 仕上げ

    煮込み仕上げ
    1.切り嵌めした香炉は、色上げするため粒子の細かい駿河炭などで丹念に研ぎをかけます。磨き砂、重曹などで生地を手入れし、銀の肌を出していきます。
    2.かなあらしを繰り返しかけて(あらし打ち)生地の艶を消し、銀独特の渋さを出していきます。
    3.重曹や角粉で手入れして梅酢で酸化皮膜をとった後、大根おろしの汁に浸します。これには、色むらをなくす効果があります。水に硫酸銅と緑青を溶かした煮汁につけて色つけした後、入念に水洗いして仕上げます(煮込み色つけ)。

    金古美(きんふるび)仕上げ
    1.磨き砂や重曹で油気をとり、十分に生地の手入れをして地金の肌を出します。
    2.粗い金剛砂のあらしをかけ、次に金あらしをかけます。
    3.金古美液を作ります。地金を硝酸と塩酸の混合液に入れ、加熱して塩化金を作り、これにメタノールを入れてA液とします。それと別に、メタノールにヨウ素を入れてヨードを作り、これをB液とします。作る品により、A液とB液を適度に調合します。これを染み込ませた綿で地金を塗布し、天日に当てて感光させます。
    4.黒ずんだ銀の地肌を、角粉や重曹で手入れします。全体の調子をとりながら、刻まれた模様の濃淡・立体感・遠近感など、微妙な雰囲気を表現して仕上げます。

  • クローズアップ

    重厚で渋い上等な生活用具、東京銀器

    金のような派手さはないけれど、鈍い光のなかに深い味わいを秘め、温か味すら感じさせる銀製品。一打ち一打ち板をたたき出しながら形作られていく銀器は、優雅な工芸品であると同時に、無害で長持ちする生活用品でもある。そしてそれは、使うほどに風合いを増していく。

     

    2次元平面から3次元空間へ

    タンタンタンタンタンタタン――金属と鎚の奏でるリズミカルな響きが、耳に心地よい。一枚の銀の板を、鎚と当て金を使って打ち出し、2次元平面から3次元立体を作り上げていく。それは途方もなく根気のいる、なおかつ魅力ある創造的な仕事である。
    日本人と銀器の歴史は意外に古く、平安期の文献にはすでに銀の食器類が登場している。その後、室町期の茶の湯の発展に伴って、銀製の茶釜や棗(なつめ)などが作られるようになった。が、それを使用できたのは一部の上流階級のみ。一般庶民層まで銀器が降りてきたのは、江戸期に入ってからのことだ。その江戸の技法が脈々と受け継がれ、現在も都内各所で食器や茶器、花瓶などの生活用品や装飾品などが作られている。

    • 鎚絞り作業中の笠原信雄さん。部屋のなかには鍛金のためのさまざまな道具が置いてあり、思わず圧倒される

    • 左端の皿状のものが、鎚絞りを経て、右端のようなできあがりに近い形へと仕上げられていく

    業界全体がよくなることで、職人個人もよくなっていく

    文京区本郷に居を構える笠原信雄さんは、父から銀器作りを引き継いだ2代目。子供の頃からずっと家業に触れながら育ってきたので、ごく自然にこの世界に入った。東京の銀器の需要は、時代に伴って変遷している、と笠原さんはいう。
    「戦後すぐ、進駐軍がいた頃にはコーヒーや紅茶のセットが飛ぶように売れたんですよ。どこの工房も、徹夜で作業しても追いつかないぐらいだった。高度経済成長の頃は、ゴルフカップがよく出ましたね。さあ、これからはどんなものが求められていくのか。」
    時の流れが加速したかのような現在、IT化の波はどの世界にも確実に押し寄せている。時代の波を的確にとらえパソコンを有効に活用していこう、というのが笠原さんの持論だ。
    「職人個人個人がホームページをもって、組合のホームページとリンクがはれるようにしなければね。それから、問屋と別ルートでのネット販売用の新製品開拓も必要。もちろん、人を押しのけて自分だけ、という考え方ではだめだよ。業界全体がよくなることで自分もよくなっていこうっていう気持ちが大切だよね。」

    笠原さんはパソコンをいじるのが大好き、組合のパソコン教室でも講師を務めている。「便利な道具は活用して、業界全体を活性化したいですね」

    自分の仕事で、古美術品が蘇る喜び

    笠原さんのふだんの仕事は、ある程度分業制の流れに乗り、淡々と作業を進めていく。対して、毎年行われる展示会は晴れの舞台だ。デザインから仕上げまですべてを自分で手掛けるから、商品というよりも思いのこもった作品である。加えて、国宝の複製という仕事もある。今までに、三嶋大社(静岡県)の漆箱、出雲大社(島根県)の手箱など、置口(おきぐち)の複製作業を請け負ってきた。
    「自分の仕事で古美術品が時空を超えて蘇るなんて、胸がワクワクするじゃないですか。何ていうか、非日常のおもしろさを感じるよね。」
    売ることも大切、売るためだけでない仕事も大切、要はそれらをバランスよく兼ね備える、ということだろう。

    一打ち一打ち、根気よくたたいていく

    銀器を使いこなし、真に豊かな暮らしを

    銀は黒くなるから、と敬遠する人は意外にいる。が、毎日使ってきちんと手入れさえすればけっして黒くならない、と笠原さん。
    「金は、置物的要素というか資産的要素が高いんです。でも、銀は使ってこそ生きてくるもの。修復もきいて新品のような仕上がりになる。どんどん減価償却してほしいですね。」
    笠原さんにとっては、お客さんに喜んでもらえることが何よりいちばん。
    「過去にうちで作ったものを、2、30年たってお客さんが修理にもってきてくださったとき、ああ大切に使ってくれているんだなって、胸が熱くなりますよ。」
    人の魅力を伝える言葉に、「いぶし銀のような」という比喩がある。派手できらびやかなイメージではないが、どっしりと重厚な存在感。それはそのまま、銀器の魅力に通じる。けっして安くはない上等の品を手に入れて、日々の暮らしで使いこなし、きちんと手入れをして長く使う。本来、良いものを持つとは、時間のゆとりがなければできないことであろう。真の豊かな生き方を探す鍵は、そのあたりに隠れているのかもしれない。

    作品の手入れ中。「銀器は使ってこそ味が出る、どんどん使ってくださいね」

    職人プロフィール

    笠原信雄 (かさはらのぶお)

    1941年生まれ。
    「若い人は外国のブランドが好きだけど、日本にもいい銀製品があることをぜひ知ってほしいね。逆輸入作戦もありかな」

    こぼれ話

    東京銀器には、日本人のこまやかな感性が息づいている

    銀製品というと、若い世代の人は反射的にヨーロッパのブランドを思い浮かべるかもしれません。でも、東京で江戸時代から続く技法を使って銀製品が作られていたなんて「灯台もと暗し」でしょう。東京銀器には、輸入されたヨーロッパの製品にはないあたたかみ、日本ならではの味つけが感じられます。たとえばパスタ料理でも、本場イタリアではトマトと唐辛子を使った味つけがメインですが、日本に入ってきて醤油味のパスタが独創されました。暮らし向きが洋風化しているとはいえ、日本人にしかわからない季節感やこまやかな感性があるはず。日本の家(和室でも洋間でも)になじむのは、やはり日本でつくられた東京銀器なのかもしれません。

    • 渓流のせせらぎがきこえ、水しぶきが飛んできそうな花瓶

    • 今にも蝸牛が動き出しそうな酒器セット(関東通商産業局長賞受賞)

概要

工芸品名 東京銀器
よみがな とうきょうぎんき
工芸品の分類 金工品
主な製品 茶器、酒器、花器、置物、装身具
主要製造地域 特別区(港区を除く)、武蔵野市、町田市、小平市、西東京市
指定年月日 昭和54年1月12日

連絡先

■産地組合

東京金銀器工業協同組合
〒110-0015
東京都台東区東上野2-24-4
東京銀器会館
TEL:03-3831-3317
FAX:03-3831-3326

http://www.tokyoginki.or.jp/

■海外から産地訪問
画像
東京銀器~産地訪問記事

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

金属工芸の粋とも言うべき東京銀器は、優雅で長持ちし、その上、無害なため、器物、置物、装身具等、日常生活の色々な分野で利用されています。鎚(つち)で打ち出す「鍛金(たんきん)」や、たがねを用いて文様を彫る「彫金」の製品が作られています。

作り方

銀を鎚で打って鍛え、一枚の銀板で器物の形を作り、表面の加飾を行います。加飾は、模様つけ用の金鎚(かなづち)を使い、丸鎚目(まるつちめ)、ござ目、岩石目等の文様を付けます。また、たがねを用いて彫刻を施すものもあります。

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