出雲石燈ろう

鳥取県 島根県

出雲石燈ろうは、地元で採れる火山灰が固まって出来た砂岩を原石として、古い時代から作られていました。
江戸時代には、土地の城主がその価値を認めて、一般の人々が採ることが許されない「お止石(おとめいし)」として、建材用にも使用しました。明治時代以後は造園、室内装飾等に欠くことのできない石の「美術品」として好評を得、広く全国で親しまれています。

  • 告示

    技術・技法


    使用する石材は、「硯」、「よもぎ」、「かたがり」、「腐れ」、「肌石」又は「砂袋」のないものとすること。


    型造りには、「手斧」、「つるはし」、「三本刃」及び「のみ」を用いること。


    各部の接合は、笠と火袋との接合部を除き、ほぞ接ぎによること。


    彫りは、「のみ」を用いる浮彫り、筋彫り、透かし彫り又は丸彫りとすること。


    仕上げは、「みがき仕上げ」、「つつき仕上げ」、「たたき仕上げ」、「がんがん仕上げ」又は「なぐり仕上げ」によること。

    原材料

    原石は、来待石とすること。

  • 作業風景

    工程1: 原石

    宍道町来待(きまち)地区を中心とした東西10kmに広がる砂岩層(凝灰岩砂岩)は来待石(きまちいし)と呼ばれています。採石、加工が容易で、豊富に産出されることから、建築材料、灯ろうなど、古くから良質の石材として利用されてきました。
    江戸時代は、他藩への搬出を禁止されたこともあり、“御止め石”という別名も残っています。
    その中でも良質材が選ばれ、出雲石灯ろうの原料として切り出されます。

    工程2: 型造り(かたづくり)

    各部位の型造りは、一定の割合を基準として、「手斧」「つるはし」「三本刃」や「のみ」を使って、丸み・勾配・稜線などの美的バランスをとりながら、型造られます。

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    工程3: 接合(せつごう)

    各部位の接合は、笠と火袋の接合部を除き、一定の割合を基準とした“丸ホゾ”によって、接合されます。

    工程4: 彫り(ほり)

    彫刻・飾りを入れる・特長なども一定の寸割り基準によって”のみ”を用いて「浮き彫り」「筋彫り」「透かし彫り」または「丸彫り」が施されています。
    「浮き彫り」は(雲、鹿、紅葉、竜、桁、鷺)・「筋彫り」は(竜、波、カトウ、縄模様、扇、松)・「透かし彫り」は(半月、満月、こうもり、窓、ひょうたん、井桁、輪違い)また「丸彫り」は(猿、ふくろう)と決められています。

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    工程5: 仕上げ

    表面の仕上げは、「みがき仕上げ」・「つつき仕上げ」・「たたき仕上げ」・「がんがん仕上げ」または「なぐり仕上げ」でされます。特殊な工具、用法によって石肌が“なめらか”“粒状”“等線状”“鮫肌状”または“原石状”に仕上げられます。

    工程6: 全体の調和

    それぞれの灯ろうとしての持ち味が生かされ、各型の外見が優美であって、全体精巧かつ調和がとれていなくては、出雲石灯ろうとして認可されません。

     

  • クローズアップ

    1400万年の歴史を柔らかに彫る 出雲石燈ろう(いずもいしどうろう)

    来待石(きまちいし)は1400万年前に生成された凝灰岩砂岩で、出雲一帯でしか産出されない。 この石の特長は、切り出して新しくても枯淡の趣があり、苔(こけ)がつきやすいこと。そんな来待石を原料にあの千利休にも愛された”出雲石燈ろう”は400年の歴史と伝統に培われた優雅な作品である。

     

    石燈ろうの歴史

    仏教の伝来とともに献灯用具として、石燈ろうが使われるようになった。その後時代とともに、その範囲は広がっていったが、桃山時代に入り茶道の流行とともに、庭園には石燈ろうが用いられるようになり、特に「わび」「さび」を求めた新しい燈ろうが生み出された。
    とりわけ出雲地方では、松江藩七代藩主松平治郷(不昧)が保護育成し、伝統の礎となった。その伝統のある、出雲石燈ろう造りの伝統工芸士である伊藤暢保(いとうみちほ)さんにお話しを伺った。

    「とにかく、石が好きなんですな。そして、もの造りが好きなんですな。」

    伊藤さんは、開口一番石燈ろうの構造から説明してくれた。「石燈ろうは上から、九輪、笠、火袋、受鉢(うけはち)、竿(さお)、台の六つの部分からなっています。その形は無数にありますが、伝統的工芸品として指定を受けているものは、春日形、銀月形、虚無僧(こむそう)形、道風(とうふう)形、雪見形といった26品目です。
    それに各々変化形を加えれば130種類くらいになるでしょうか。もちろんこれらはすべて頭の中に、そのバランスから細部まですべて入っています。」
    伊藤さんはこの世界に入ったきっかけをこう語ってくれた。
    「もともとこの地方は来待石の加工業が盛んだったんで、小さい頃から近所のじいさんが、石を加工している作業を見ておったんですが、ある時、いつものように近所の家に遊びに行った時、ある石工のおじさんが庭でつるはしをふるっていたんです。その石工さんはつるはし一本で、四角い石を見事な仏像に変身させたんですよ。そりゃ、感動しました。当時から手先が器用で、物つくりの仕事がしたいとは思っておったんですが、その石工さんのみごとな技術は何年経っても目に焼きついていましたな。しばらくしてこの道に入ったのですが、あの時の石工さんは、来待地区へ加工技術を伝えるために、松江から招かれていた伝説の名工”新出九一郎”さんだったんですよ。あの時、新出さんの技を見てなかったら今頃は全然違う道を歩いていたかも知れませんな。とにかく今でも私の目標はあの時の庭で見た、新出さんですよ」と少年のように目を輝かす伊藤さん。

    現代の名工、石と向き合って50年の伊藤暢保さん

    天職につける至福のよろこび

    「でも、やはりこの仕事は、わしの天職ですな。来待石が大好きなんですわ。粒が細やかで粘りがあって、加工しやすい上に、耐寒性、耐熱性に富んでます。それにこの色がいいでしょう。切り出した新鮮な石面は青灰色をしていますが、庭に出して、雨露にあたれば、灰褐色に変わってきます。そしてすぐに苔がつき始め、何とも言えん、古色を帯びてきます。そんなすばらしい石が、裏山から出るんですから、幸せなことですよ。」

    山から切り出され、加工直前の来待石

    職人冥利に尽きる瞬間

    「わしは20歳にこの道に入ってもう50年近く石を彫ってきたけど、いつも曲線をいかに柔らかく出せるかを考えて彫っています。その曲線が、石燈ろう全体の調和にどう合うのか、置かれたその庭にどう調和するか、ひいては自然とどう調和するのか。それをいつも考えて彫ってきました。だけど、わしは根っからの職人ですから、手を抜いた仕事は一度もやったことはないです。やはり、一所懸命作ったものをお届けに行って、お客さんに喜んでもらう時が、最高にうれしい時ですわ。」
    「この前も鳥取のお客さんが、地震で壊れてしまった石燈ろうを持って来られましてね、こう言われたんですよ。『20年前にあんたに作ってもらった燈ろうやから、やはりあんたに修理してもらいたいんや。』いやあ、職人冥利に尽きるというのはこういうことですな。」最後に後継者問題に触れた時、伊藤さんは、西日を見つめてこう語ったのだった。
    「わしは、『モノを作る喜び、自分で創造する喜び』そして『自然に触れながら、自然に教えてもらうこと』これを今の子供たち、いや日本人に伝えたいんです。ただそれだけなんですよ。」

    こぼれ話

    厳しい検査基準をクリアして伝統工芸品に認定

    出雲石燈ろうはその製品が伝統工芸品として認定されるまでに、厳しい検査基準が設けられています。
    基本デザインとしては26形があり、その各部位においても寸法、仕上げ方法、彫刻の種類まで規定があります。
    代表的なデザインとその名称をご紹介いたします。

     

概要

工芸品名 出雲石燈ろう
よみがな いずもいしどうろう
工芸品の分類 石工品
主な製品 庭園用石燈籠、神社仏閣奉納用石燈籠
主要製造地域 境港市 島根県/松江市、出雲市
指定年月日 昭和51年6月2日

連絡先

■産地組合

来待石灯ろう協同組合
〒699-0404
島根県松江市宍道町東来待1644-1
TEL:0852-66-0274
FAX:0852-66-0274

鳥取県石灯籠協同組合

松江石灯ろう協同組合

特徴

細かい粒子がしっかり詰まっている石質の原石のため、気品高く柔らかで優美な作品が出来ます。色合いが良い上に、早く苔が付いて古色を帯び、自然と良く調和します。さらに寒さや、熱さに強く、徳川時代初期の作品が現代まで残っているように、長年の風化に良く耐えます。

作り方

各部位の型作りは「手斧」「つるはし」等を用いて、丸み、勾配、稜線等のバランスを取ります。彫刻、加飾では、のみを用いて「浮彫り」等を施します。そして表面の仕上げは特殊な工具用法によって、石肌を、滑らか、粒状、鮫肌状、原石状等、作品に合わせて整えます。

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