阿波和紙

徳島県

今から約1300年ほど前、忌部族という朝廷に仕えていた人たちが、麻やコウゾを植えて紙や布の製造を盛んにしたという記録が、9世紀の書物に見られ、ここに阿波和紙の歴史が始まります。
以来、忌部族の始祖である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を紙の神として崇めまつることによってその技術が伝えられ、現在に至っています。

  • 告示

    技術・技法


    抄紙は、次の技術又は技法によること。

     
    (1)
    「流し漉き」によること。

     
    (2)
    簀は、竹製又はかや製のものを用いること。

     
    (3)
    「ねり」は、トロロアオイ又はノリウツギを用いること。


    乾燥は、「板干し」又は「鉄板乾燥」によること。

    原材料

    主原料は、コウゾ、ミツマタ又はガンピとすること。

  • 作業風景

    工程1: 煮熟(しゃじゅく)

    保管してあった楮(こうぞ)を煮熟(しゃじゅく)前に一昼夜流水に浸します。これは煮熟剤(しゃじゅくざい)の浸透をよくし、煮熟(しゃじゅく)を補助するためです。そして水の中で十分に洗い、繊維についている取り残しの黒皮やゴミを洗います。
    次にアルカリ液で繊維を煮ます。伝統的には、木灰からアルカリ液(炭酸カリウム)を抽出し、煮熟剤としてきました。現在では、石灰(水酸化カルシウム)、ソーダ灰(炭酸ナトリウム)または苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を用途によって使い分けています。
    水量は、原料重量に対し、約10倍以上が必要です。火加減は煮沸するまでは強火で、煮沸後は沸き負けない程度の火加減に保つようにします。煮沸後30分もすると、繊維は柔らかくなり、上下をひっくり返し、炊きむらのないようにします。

    工程2: 塵取り(ちりとり)

    炊くと灰汁(あく)が出ます。本来は灰汁とは、水に灰を混ぜて作った上澄み液を言うのですが、煮熟液を総して、灰汁と言います。煮熟完了後一昼夜放置し、蒸らします。その後流水に浸し、灰汁ぬき。アルカリ液に溶出した非繊維物質を取り去ります。次にていねいに、塵取り。これはすべて手作業で行います。
    水中にかごを入れ、その中に適量の繊維を入れて、塵を取ります。この作業で、傷、芽、焚きむら、変色部分を除去します。

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    工程3: 打解(だかい)

    塵取りされた原料は打解されます。打解は、たたき棒で石板か、堅木の板の上で、ていねいにたたいて、束になっている繊維を一本づつばらします。現在では、打解作業も機械化され動力臼を使用することもあります。

    工程4: 紙漉き(かみすき)

    流し漉きで和紙を漉くときに「掛け流し」「調子」「捨て水」の三つの工程があります。最初は、浅く汲みこみ、すけた全面に繊維が薄く平均にいきわたるように、すばやく操作します。すばやい動きは、表面に塵などの雑物がつくのを防ぐのです。この工程は、紙の表面を作り、「掛け流し」や「初水」と呼ばれます。
    次の汲み込みを「調子」と呼びます。最初よりやや深く汲み込み、すけたを動かして、繊維を絡み合わせます。求める厚さになるまで、何回も汲み込んでは揺り動かします。天井から吊った竹の弾力を利用して、汲み込まれる水の重さを軽減しながら、バランスよく揺り動かすのです。漉かれる紙の種類や、地域で動かし方が異なります。
    紙が漉き上がったら、”す”は”桁”からはずして、紙または毛布をしいた紙床板(しといた)の上の定規に合わせて、間に空気を入れないように伏せていきます。

    工程5: 圧搾(あっさく)

    湿紙を重ねてできた”紙床(しと)”を一晩そのまま置き、自然に水分を流したあと、さらに残った水分を取るために少し大きめの板ではさみ、圧搾機で重力を加え脱水します。
    紙の層を傷めないように、最初は弱く次第に強く、6時間くらい圧搾します。できるだけ強く水を出すことにより、緊縮性に富んだコシのある紙となります。水分含有率は70%くらいになります。

    工程6: 乾燥(かんそう)

    圧搾を終えた紙は、1枚づつ干し板に張り付け、天日で乾かしたり、蒸気を用いた乾燥機を使って乾かします。
    濡れ紙を紙床から剥がす場合には、紙床面に平行になるように鋭角に。剥がれた濡れ紙は、乾燥機の上に置き、刷毛でなでつけます。刷毛の運びは繊維の配列に逆らわず、均一に力のかかるようにします。
    仕上がった紙は、用途により、ドウサ、こんにゃく、柿渋を塗ります。また化学染料や、自然染料で染められたり揉み紙や、ちりめんのような紙を作るために、加工されます。

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  • クローズアップ

    伝統技術と新しさの美しい調和、阿波和紙

    約1300年前から継承される、独特の風合いを持つ、阿波和紙。手漉き和紙の伝統、それは郷愁としてだけでなく、新しくその次代の息吹を表現し続けることによって、次の世代へ受け継がれていくものである。

     

    伝説の伝統工芸士「藤森実」さん

    現在は、和紙作りも会社経営も息子さんに譲っている藤森実さんは以前こう語っている。「私は、戦時中は、貨物船の通信士として、船に乗り込んでいたのです。そして、終戦を迎えました。東京も大阪も焼け野原でしたね。そんな状況で簡単に仕事が見つかるとは思えず、仕方なしに家業の和紙作りを継いだのですよ。その頃は、障子紙、雨傘などを作っていたのですが、作ればそれだけ、すぐにそばから売れていく。物がない時代でしたから、作れば売れる、そんな出荷量の伸びに、安心感と平和を強く感じておりましたな。」
    「ところが、昭和30年代の高度経済成長期には、大手メーカーの洋紙に押され、この山川町の和紙業者も次々に廃業していった。寂しかったし、当然危機感は強くなっていきましたよ。その頃考え方の転換を迫られたのです。『どんなにきれいな紙を作っても紙自体は常にわき役。紙は何かに活用されて価値が出るもの。使う人の気持ちを意識しないと経営は成り立たない』という、伝統の和紙に対する、新しい考え方に変わっていきました。」また「ここで家業をつぶしてしまうくらいなら、他に何をやってもダメだ、という崖っぷちに立った気持ちもありましたね。」と藤森さんは語る。
    藤森さんは、昭和40年代に、趣味的で、工芸的な和紙へ方向転換し、企画と生産をそちらへ大きく転換したのであった。藍染和紙や色紙を考案したのも、新しい需要を求めた策だったのである。生き残るためには、需要を的確に察知し応えていく時代を読む目と、伝統という重さを感じながらも、それにこだわらず、利益を生み出すものを考案し、生産する経営感覚が必要だったのである。
    昔からの伝統だからといって、頑固一徹の職人気質だけでは、廃業していたかもしれない。そんな思いを強く持つ藤森さんは、職人と呼ばれることが、さほど好きではない。時代の流れに対応し、自分の会社の危機と、阿波和紙の伝統の危機をしっかりと乗り切ってきたという、自信と誇りがあるのである。

    新しい製品への挑戦

    そんな先代の進取の気質は現在も脈々と受け継がれている。阿波和紙は従来からの伝統工芸品としての和紙と新しい和紙の調和を見出している。
    例えば、伝統の手漉き和紙製法で、オーダーメイドの和紙も製造しているのである。手漉き和紙の風合いを出しながら、しかもそこには、金属のワイヤーがデザインとしてほどこされている。大阪のレストランから注文のきた、インテリア用の大きなサイズの和紙。
    そんな新しい感覚、感性をうまく取り入れて、21世紀を迎えている阿波和紙なのである。その新しい感覚のオーダーメイドのインテリア和紙を真剣に漉いていた、女性伝統工芸士である上田貞子さんにお話をうかがった。

    インテリアとしての新しい和紙も生産

    母子二代、女性伝統工芸士

    伝統工芸士の上田貞子さんは、21年間阿波和紙に取り組んできた。「全然苦労というものは感じたことはありませんね。いつも創意工夫を重ねなければだめになりますよ。私は和紙造りが大好きです。いつも楽しみながら、作業をしています。」ととても明るい笑顔で語ってくれた上田さん。もともと、もの作りが大好きな女性なのであろう。伝統の和紙漉きをしている時の姿も、デザイン担当の人と打ち合わせしながら、和紙にワイヤーを入れている時の姿も、気合充分。いいものを作るんだ、という気迫が感じられた。
    実は、上田さんの娘さんも母の後ろ姿を見て、この和紙作りの世界に入っている。母子で、地元で育まれてきた伝統産業に従事できることに喜びを感じ、新しいもの作りへチャレンジしていっているのである。これからどんな新しい製品ができるか、楽しみな阿波和紙である。

    笑顔の素敵な伝統工芸士上田貞子さん

    「私、東京から和紙を勉強しに来ています」

    紙漉きの実演もできる、阿波和紙伝統産業会館を取り仕切っていた、工藤多美子さんは、ある時、和紙の講習会でここ徳島の山川町まで来て、そのまま「就職させてください。」と言ってのけた、阿波和紙大好き女性である。
    もちろん和紙造りはすべてマスターしている。彼女のような新しいタイプの職人さんもいるし、阿波和紙の素材感を求めて、国内外からたくさんの芸術家やデザイナーも訪れている。

    21世紀型職人の工藤多美子さん

    こぼれ話

    今では一般に見ることも、聞くこともなくなってきた和紙の原材料について簡単に説明します。

    1.楮(こうぞ)
    楮は、くわ科の落葉低木で、3メートルくらいになります。栽培も容易で毎年収穫できる植物です(エコロジーな植物ですね)。繊維は太くて強いので、障子紙、表具用紙、美術紙、奉書紙など幅広い用途に、原料として最も多く使用されています。阿波和紙の場合は、徳島県から、高知県境に栽培されている黒皮を使用しています。徳島では、2種類の楮が収穫されています。1種類は、繊維の粗い、厚手の紙を漉くのに適し、もう1種類は繊維の細い、薄手の紙を漉くのに適した楮です。
    現在では、日本国内の楮の生産量が激減したことにより、価格が急騰したため、タイ産の楮を使うことも多くなってきているのが現状です。

    2.三椏(みつまた)
    「みつまた」という呼び方は、今日では一般的な呼び方ですが、昔は駿河、伊豆地方の方言だと言われています。
    三椏は、日本固有の製紙原料ですが、紙材料として、三椏を使用し始めたのは、今から300~500年も以前からであると言われています。
    三椏は、ジンチョウゲ科の落葉低木で、枝分かれの状態が3つになっています。成木は、2メートル余りになり、苗を植えてから、3年毎に収穫できるのです。葉は楕円形で、互い違いの向きに生え、花は初秋から樹木の先につぼみをつけ、翌年2~3月頃、外側から内側に向け、順番に開花し、花びらは黄色で4枚に分かれ、一つの花に8本のおしべ、一本のめしべがあり、6月頃実を結ぶのが特徴です。

    3.雁皮(がんぴ)
    雁皮はジンチョウゲ科の落葉低木で、成木は2メートルになります。繊維は細く短く、光沢がある優れた原料ですが、生育が遅く栽培が難しいので、自生している雁皮を生剥ぎにして収穫します。収穫時期は、水揚げのよい春から夏にかけて。雁皮は、謄写版原紙用紙の原料として大量に使用されていましたが、コピー機が普及して以来、急激にその使用量が減少したのが現状です。現在は金箔銀箔を打ち延ばす箔打ち紙、襖の下貼り用などに使用されています。

概要

工芸品名 阿波和紙
よみがな あわわし
工芸品の分類 和紙
主な製品 画仙紙、工芸紙、包装紙
主要製造地域 吉野川市、那賀郡那賀町、三好市
指定年月日 昭和51年12月15日

連絡先

■産地組合

阿波手漉和紙商工業協同組合
〒779-3401
徳島県吉野川市山川町川東141
阿波和紙伝統産業会館内
TEL:0883-42-2772
FAX:0883-42-6085

■海外から産地訪問
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阿波和紙~産地訪問記事

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

手漉(す)きならではの生成(きなり)の色合い、優しい肌触り、しなやかな柔らかさと、驚くほどの強さがある草木染製品が阿波藍染和紙です

作り方

選び抜かれた原料、コウゾ、ミツマタ、ガンピから繊維を取り出し、紙漉き、紙貼りをして仕上げます。工程として最も重要なものは手作業による紙漉きで、竹またはかやで作った簀(す)を用いて「流し漉き」をしますが、厚みを一定に保ち、繊維ムラをなくすのには大変な技術が要求されます。

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