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TRADITIONAL CRAFTS

結城紬Yuki Pongee

茨城県結城地方は古くから養蚕業が盛んで、農閑期に副産物の利用として紬が作られ、奈良時代にはすでに朝廷に納めていました。
鎌倉時代にこの土地の領主だった結城氏がこの産業の保護育成に努めたため、結城氏の名を取って結城紬の名が定着したとされています。江戸時代初期代官になった伊奈忠次が信州や京都から技術を導入したことにより、結城紬の名は一層高められました。近代になってからは技術の改良が行われ、特に絣織りの進歩で最高級の紬が生産されるようになっています。

The Yuki area of Ibaraki Prefecture had been a center for sericulture since ancient times. Based on this, Yuki Tsumugi was woven during slack periods of the farming year and cloth was supplied to the Imperial Court during the Nara period (710-794).
Yuki, in fact, who was the lord of the fief in the Kamakura period (1185-1333) worked hard to protect and nurture the weaving of this cloth and ultimately, his name was given to the cloth. Its reputation was enhanced when Ina Chuji, who had became chief magistrate, introduced new techniques from Shinshu and Kyoto. Various technical improvements were made on entering the modern age and especially with the development of ikat weaving, it became possible to produce a pongee of the very highest quality.

Because threads are pulled by hand from the silk floss, and a hundred or so threads of different lengths are intertwined one by one, the yarn is representative of kasadaka fiber, which has no twist. For this reason, it has the simplicity of woven cotton even though it is made of silk and is, in the main, used to make kimono and obi.

  • 告示

    技術・技法


    次の技術又は技法により製織された織物とすること。

     
    (1)
    先染め又は先練りの平織りとすること。

     
    (2)
    製織には「いざり機」を用いること。


    かすり織物におけるかすり糸の染色法は、「手くくり」によること。


    「しぼ取り」をする場合には、地糸に使用するよこ糸の「追ねん」及び「湯もみ」によること。

    原材料

    使用する糸は、真綿の手つむぎ糸とすること。

  • 作業風景

    本場結城紬の製作はいくつもの工程に分かれています。ここでは、主な工程を見てみることにしましょう。

    工程1: 真綿かけ

    重曹で煮た繭をひとつひとつ指で広げ、5~6枚を重ねて、一枚の袋状の真綿を作ります。より細かく、強い糸を取れる真綿が求められ、俗に「綿かけ8年、糸つむぎ3年」と言うくらい良い真綿を作れるようになるには経験が必要です。

    工程2: 糸つむぎ

    「つくし」という道具に真綿を巻きつけて、手でつむいで「おぼけ」と呼ばれる桶に糸を入れていきます。たて糸、よこ糸など、種類によって違った太さで、かつ太さののムラなくつむがなければなりません。仏、糸と言われるものは強い撚り(より)をかけて丈夫に補強されているものですが、結城紬の糸は世界に類を見ない無撚糸です。この技術の修得には、数年の修行が必要です。1反分の糸量をつむぐには、2~3カ月を要します。

    工程3: 管まき(くだまき)

    おぼけのつむぎ糸を糸車で管に巻く作業です。勢いが強すぎると中の糸がもつれ、遅いとたるむので適度な速さで巻かなければなりません。

    工程4: 糸あげ

    糸を一定の長さにするため、かせあげ器に巻く作業です。糸を扱い易くするために行います。

    工程5: 機延べ(はたのべ)

    10数本の糸を延べ台に巻き、1反を織るのに必要な長さに揃えます。数反分を一度にする人もいます。

    工程6: 図案作成

    明治時代の結城紬は縞模様や、簡単な縦横絣でしたが、大正時代には横糸絣による絵絣が流行しました。そして昭和初期になり、亀甲などの小絣を駆使した「細工絣」が考案されました。特殊な方眼紙に図案を描き入れ、伝統を生かしつつ、時代にあった新しいデザインにも心が配られています。

    工程7: 絣括り

    絣の柄となる部分に染料が染みこないよう、絣糸を綿糸でしばります。反物の幅の間に、亀甲柄が80、100、160、200個入る、4段階のクラスがあって、ひとつの幅にしばる個所は一番単純な80亀甲で160。200亀甲だと400もの箇所しばります。一般に絣括りだけで3カ月くらい、精巧なものになると限りがありません。

    工程8: 染色

    結城紬独特の染色法を「たたき染め」と言い、絣くくりされた糸を棒の先に絞り、台にたたきつけて染料を染み込ませる方法です。やりすぎるとしばったところまで染料が染み込んでしまったり、反対に少なすぎると染めムラがでてきたり、やり直しのきかない緊張の作業です。

    工程9: 糊つけ

    つむぎ糸は綿状のため、毛羽だちを抑え、糸の腰をつよくして織るのに扱いやすくするために糊つけします。

    工程10: 筬通し(おさとおし)

    筬(おさ)はくし状になっていて、680の目の間にたて糸を上糸と下糸の2本ずつ、矢筈というヘラで差し込んでいきます。つむぎ糸を機織り機に載せるための作業です。

    工程11: 機巻き(はたまき)

    筬(おさ)に通したたて糸を、通した方から「緒巻」に巻いていきます。この緒巻を機織り機に備えつけて、よこ糸を織っていきます。

    工程12: 機織り

    結城紬は地機という最も原始的な機織り機で織り上げます。なんと1500年もの間、今日まで変わることなく使われているのです。労力も時間もかかる製法ですが、横に張るたて糸を腰当てに結びつけ、手つむぎ糸の弾力あるやわらかさを生かし、織るときに無理な張力をかけません。一方、よこ糸は、筬(おさ)で打ち込んだ後、さらに樫材でできた重さ600グラム、長さ約55センチの「杼(ひ)」でさらに打ち込みます。こうして丈夫で軽くて暖かい結城紬独特の風合いが作られていくのです。1反織るのに早い人で、1カ月ぐらい、高級品になると1年以上かかるものもあります。

    工程13: 縞屋(しまや)

    織り上がった紬は、検査を受けて合格すると結城市内にある卸商に持ち込まれ、現金での取引が行われます。問屋は「縞屋」と呼ばれますが、これは昔、結城紬には縞柄が圧倒的に多かったことに由来します。

    工程14: 糊抜き

    紬を着物に仕立てる前に、最後の工程である湯通しをします。織る前につけた糊を糸の芯にわずかに残して抜き、独特のやわらかさと風合いを出します。その後の洗い張りで一層風合いが増し、着込むほどに色が冴え、体に馴染んできます。

     

     

  • クローズアップ

    ひとすじひとすじの糸に込められた、作り手の深い愛情とひたむきな心――結城紬

    結城紬の歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼる。常陸国の特産物として朝廷に上納された布、「あしぎぬ」は紬の原型とされている。長年にわたり多くの人たちの創意工夫によって成長してきた本場結城紬は、1956年(昭和31年)に国の「重要無形文化財」に、1977年(昭和52年)には「伝統的工芸品」に指定された。野村福一さんは、妻千代子さんと、息子夫婦4人で結城紬を継承している。

     

    結城紬の興隆

    「あしぎぬ」はその後、結城氏が北関束で勢力を伸ばしていた室町時代には「常陸紬」と言われ、室町幕府・鎌倉管領に献上されてから、結城家の名をとり「結城紬」として全国的に著名な物産となっていった。江戸時代には、この地を治めた幕府の代官、伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)のとき、染法を研究し、模様を工夫して創作改善。明治時代には、大衆の間にも愛用され、親しまれるように。そして大正の末期には、緯絣(よこかすり)が考案され、更に細工絣(さいくかすり)と称する経緯絣(たてよこかすり)が生まれ、販路は次第に伸長した。しかし戦時中は、一部技術者を残して休機へ。歴史の中で、国力として成長・発展してきた結城紬。終戦と同時に復活し、幾多の苦難を乗り越え、現在に至っている。

    • 紺地の典型的な結城紬

    • 特殊な方眼紙に描かれた細かい柄、昭和初期くらいから亀甲柄などの小絣が発展

    工芸士へのきっかけ

    野村さん夫婦が紬を始めたのも、それぞれ親の仕事を見ているうちに自然に手についたから。結城紬の生産形態はもともと農家の副業であり、一家で糸をつむぎ、絣を括り織り上げるというものだった。細かい集中力のいる糸巻きは小学校からという野村さん。「父親から習ったというより、そばで見て育ったという感じ」。絣しばりは糸を奥歯にかけるときっちりしばれる。広くしばるところと、小さくしばるところといろいろだが、強い力で均等にしばらなければならない。絣づくりで一番根気のいる男の仕事だ。「気を抜いたり、手が変わってもだめ」想像以上の集中力とひたむきな努力を要する。千代子さんも子どもの頃にいたずらしながら、できるようになったという。お互いこの道50年。

    • 図面に対応させながら、しばる部分に色をつけてマークしていく

    • 絣をしっかりしばっていく野村さん

    50年の変化

    この50年で変わってきたことは、なにより色合い。昔は紺地に縞模様(しまもよう)だったが、現在は淡い色、さわやかな色あいの地になり、柄も古典的な柄の組み合わせから新しいものまで、時代ごとに変化している。昭和20年の半ばくらいから急速に模様化し、亀甲柄、格子柄、七宝柄など伝統的な柄の模様が広がっていった。その前は戦中の「奢侈禁止令」(しゃしきんしれい)により、贅沢を禁じられた。野村さんの代になって経済の急成長と同時にいっせいに開花。「どんどん注文が来るから、他の仕事に就こうと考えるひまもなかった」。織り終わるのを、問屋さんが機織り機の脇で待ってるくらいだったという。「本当にあの頃はよく売れたんだよ」と野村さん。作れば売れるという華やかな時代を知る野村さんは、後継者が育つ理由がそこにあると語る。後継者の息子さんのことを考えれば、今後は、やはり生産者から直接消費者へという流れが重要である。問屋さんが中継するという長年の習慣と、今後どのような連携がありうるのか、野村さんは着る人との持続的な連携を第一に考えている。本当に着たい人が納得して買えるような、そんな仕組みを作ることも課題である。

    淡い色の現代的な結城紬

    今後の伝統工芸士の仕事として

    野村さんは、これからはただ商品をつくって売るというのだけではなく、結城紬の持つ文化的な側面を大事にしていきたいという。織物の文化を伝えることこそ、「紬を着てみたい」という憧れや伝統を大切にする心を育てることができる。このような伝統工芸士としての交流活動は野村さんの代から。先日は沖縄の久米島、久米絣(かすり)へ指導を兼ねて交流会に行ってきたばかり。また、同時に自宅の工房をオープンスペースにして、織物教室を開くことにした。基礎から上級の技術を学ぶことができ、材料と織り機はすべて重要無形文化財指定のものを使用する。織りあがりは自分のものとなる。作る実感を増やしていくことも、着る人の紬への愛情を深めるチャンスになる。

    本場結城紬の商標

    袖を通すたびに深まる味わい

    織り上がった着物は真綿(まわた)のようにやわらかく、袖を通すたびに手作りの味わいが深まる結城紬。軽くて暖かくて、しわにならない。結城紬を好む人はこの機能性を味わうと手離せなくなるという。野村さんは、手紬ぎ糸と麻糸を使い、しゃり感を出した夏の素材を考案した。東京国立博物館に永久保存されるような「重要無形文化財結城紬」の作品をつくると同時に、作る人の心が伝わる着物を手渡していきたいと野村さんは考えている。

     
    • 野村さんが考案した夏の素材。透けて涼しそう

    • 「藍青海波松帆文様」東京国立博物館に永久保存されている

    職人プロフィール

    野村福一

    1933年、茨城県結城市生まれ。伝統工芸士。重要無形文化財保持者。94年より茨城県本場結城紬組合理事長。96年に通産局長賞、97年に卓越した技能賞を受賞。父半平は31年に結城紬の無形文化財指定に尽力した。

    野村福一さん、妻の千代子さん

    こぼれ話

    ぬくもりを感じる、結城紬と結城箪笥

    結城紬と同様に、全国に知られているのが「桐箪笥」です。結城が城下町となった頃から、欅にかわって、桐で小袖箪笥(衣装収納箪笥)が作られるようになりました。桐材は燃えにくく、通気性に富むなど、衣類収納用としては最適。現在では大半が婚礼調度品として生産されています。昭和33年に茨城県の伝統工芸品に指定されました。大切な結城紬を守る、これも貴重な伝統工芸です。

    桐下駄
    江戸中期以降、現在の下駄の種類が確立され、結城の桐下駄づくりは専門的に職業化されました。靴が主流の現代でも、通気性と肌ざわりのよさで愛好家が多く需要は衰えていません。この桐下駄も桐箪笥と同じく、昭和33年も茨城県の伝統工芸品に指定されました。

    • 現在は年間約2000本を生産している桐箪笥

    • 絶妙なはきやすさの桐下駄

     

     

概要

工芸品名 結城紬
よみがな ゆうきつむぎ
工芸品の分類 織物
主な製品 着物地、帯
主要製造地域 茨城県/結城市、下妻市、筑西市、結城郡八千代町 栃木県/小山市、下野市、河内郡上三川町、芳賀郡二宮町
指定年月日 昭和52年3月30日

連絡先

■産地組合

茨城県本場結城紬織物協同組合
〒307-0001
茨城県結城市大字結城3018-1
TEL:0296-32-1108
FAX:0296-32-1108

http://www.honba-yukitumugi.or.jp/

栃木県本場結城紬織物協同組合
〒323-0155
栃木県小山市福良2358 栃木県産業技術センター
紬織物技術支援センター内
TEL:0285-49-2430
FAX:0285-49-2430

■関連展示場・施設

特徴

真綿から手で糸を引き出すため、長さの異なる百数十本の一つ一つの繊維が絡まり合うだけで、糸に撚(よ)りがない嵩高繊維(かさだかせんい)の代表格です。そのため、絹でありながら木綿織風の素朴さがうかがえるのが特徴です。

Yuki Tsumugi textiles are the prime representative of the Kasadakaseni textile style, in which thousands of threads are hand-pulled from silk floss, each of slightly differing length, and then woven into a fabric without any twisting of the threads. This produces a fabric which could be mistaken for cotton with its rustic simplicity, but is in fact made of silk.

作り方

全工程が手作業です。糸紡(つむ)ぎ、絣括(くく)り、いざり機(はた)による機織りの3工程は、重要無形文化財に指定されています。1枚の着物を作るために、約30kmの糸を手で紡ぎ、600gもある大きな杼(ひ)で緯糸を3万回以上も打ち込みます。絣は1mmの誤差を争う、極めて細かな作業です。

All steps of producing Yuki Tsumugi fabrics are done completed by hand. The three primary steps of pulling the threads, dying them using an ikat technique, and then weaving them on a loom have all been designated as intangible cultural properties. To make a single kimono fabric, nearly 30 km of thread is pulled by hand, and using a 600 g shuttle, over 30 thousand weft threads are woven. Even a 1 mm error in the weaving will disturb the ikat dyed pattern, making the weaving a painstakingly fine process.

産地からの声

長い商取引の習慣で、市場に出ている結城紬は、織るために補強した小麦粉糊がたくさん付いたままです。展示会等で、糊をぬいた本当の風合いを感じ取って下さい。