熊野筆

広島県

江戸時代、農業だけでは生活が支えきれない農民の多くが、農閉期に現在の和歌山県にあたる紀州の熊野地方や、奈良県にあたる大和の吉野地方に出稼ぎに行き、故郷に帰る時に、それらの地方で作られた筆や墨を仕入れて行商を行っていました。そうしたことから熊野と筆の結び付きが生まれました。
江戸時代後期に、広島藩を治めていた藩主の浅野家の御用筆司(ごようふでし)の所で、筆作りの方法を身につけた熊野の住人が、村に戻って村民にその技法を伝えたのが熊野筆の始まりとされています。

  • 告示

    技術・技法


    火のし・毛もみには、もみがらの灰を用いること。


    寸切りには、「寸木」及びはさみを用いること。


    混毛は、「練りまぜ」(「盆まぜ」をした後「練りまぜ」をする場合を含む。)によること。


    糸締めには、麻糸を使用すること。

    原材料


    穂首は、ヤギ、ウマ、シカ、タヌキ、イタチ若しくはネコの毛またはこれらと同等の材質を有する獣毛とすること。


    軸の素材は、竹又は木とすること。

  • 作業風景

    全国一の筆の産地・熊野町を支えているのは、人々の間で変わることなく受け継がれてきた筆づくりの技術です。
    筆づくりは、穂首づくり工程、軸づくり工程などに分けられますが、各工程はそれぞれの職人がすべて手作業で行います。その正確さ、きめ細かさは神業といってもよいでしょう。
    今回は<穂首づくり>と<軸づくり>の各工程に分け、順を追ってご説明いたします。

     

    <穂首づくり>

    工程1: 選毛(せんもう)・毛組み(けぐみ)

    造る筆の種類により、それぞれ必要な原毛から毛の良し悪しを選別し、使う毛と使わない毛とに仕分けます。筆に応じて、量り組み合わされます。

     

    工程2: 火のし・毛もみ

    籾殻を焼いた灰をまぶし、火のし(アイロン)をあてた毛に、鹿皮を巻いて揉みます。毛の油分を抜き取り、毛をまっすぐにし、墨を含みやすくするための工程です。

     

    工程3: 毛そろえ

    櫛抜き(くしぬき)して、綿毛を取り除いたあと、少量ずつ毛を積み重ね、毛をそろえていきます。

     

    工程4: さか毛・すれ毛とり

    毛先を完全にそろえ、半差し(小刀)で逆毛、すれ毛等を指先の感触を働かせながら、抜き取ります。良い毛だけを徹底的に選り抜きます。

     

    工程5: 寸切り

    命毛(いのちげ)、のど、腹、腰と呼ばれている筆の先端から、下部にかけての毛を、それぞれの長さに切り分けます。

     

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    工程6: 練り混ぜ

    寸切りした毛を薄く広げ、薄糊(うすのり)をつけながら混ぜ合わせていきます。残っている逆毛などを取り除きながら、長さの異なる毛を均一に重ね、何度も混ぜ合わせていきます。

     

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    工程7: 芯立て(しんたて)

    芯立て筒(コマ)に毛を入れ、太さを規格に合わせます。不必要な毛をさらに抜き取り、乾燥させます。

     

    工程8: 衣毛(ころもげ)巻き

    穂がより美しく見えるように、衣毛(上毛)を薄く広げて乾燥させた芯に巻きつけ、更に乾燥させます。

     

    工程9: 糸締め(いとじめ)

    毛の根元を麻糸で結び、焼きゴテを当て、すばやく焼き締め、まとめます。これで穂首の完成です。

     
     
    <軸づくり>

    工程1: 軸選び

    選別台で、穂首に合う太さの軸を選びます。

     

    工程2: ため

    火にかけ温め、「ため木」で曲がりを直し、まっすぐにします。

     

    工程3: 軸の切断

    注文の長さに合わせて、軸を切断します。

     

    工程4: コツ付け

    軸にセルロイド製や木製のコツを接着します。

     

    工程5: ロクロ加工(面取り)

    ロクロで軸の太さに合わせて、コツを削ります。

     

    工程6: 軸磨き

    磨き機により水で荒磨きした後、臘(ロウ)を使って磨きます。

     

    工程7: 糸付け

    ドリルでコツに糸を付けるための穴をあけ、千枚通しで糸を付けます。

     

    工程8: ダルマ加工

    まず、ダルマを付ける方の軸の先端の面を取ります。次にロクロにワリハメをはめ込み、湯通ししたダルマを入れて、寸木で長さを決め、馬とキサゲ(小刀)で削ります。

     

    工程9: ダルマ付け

    軸に接着剤を付け、ダルマをはめると、軸のでき上がりです。

    その後、穂首と軸をあわせる作業になります。

     

    工程10: くり込み

    軸に接着剤を付け、穂首をはめ込み、しっかりと固定します。

     

    工程11: 仕上げ

    糊を穂首にたっぷりと含ませたあと、糸を巻きつけ、軸を回しながら、余分な糊を取り除きます。穂首の形を整えたら、乾燥させ、キャップをはめます。

     

    工程12: 銘彫刻

    軸に三角刀で銘を彫り、その部分に顔料で彩色します

     

    工程13: 完成

    こうして一本の筆が完成します。

  • クローズアップ

    静かな町の静かな伝統工芸と職人

    ここ熊野町の筆は、全国の生産量のうち8割を占める、文字通り日本一の筆の町である。現在約1500人の「筆司」と呼ばれる筆づくりの技術者がいる。中でも40~50年もの間、筆づくり一筋に取り組む「伝統工芸士」は、全国の書道家の特注品を手掛ける筆づくりの名人たちである。

     

    静かで厳しい筆司修行

    その伝統工芸士の一人である、中川 敏朗さんにお話をうかがった。「もともと熊野町は、盆地で、土地も広くないし、就職いうても仕事はないし、ひたすら筆づくりをしてきたという結果が日本一の産地になった理由じゃけ。」と訥々とした広島弁で、中川さんは語り始めてくれた。たまたま、母が家内で筆づくりをしていたということもあり、学校を出てすぐに近所の明治生まれの「名人」のところに弟子入りした。師匠は一通り仕事の段取りを教えるだけで、後は弟子たちが、見よう見まねで作業をしていくのである。毎日毎日、土曜も日曜日もなく、朝8時からただひたすら筆を作っていく。そして、一工程ずつ(筆づくりは約70工程ある)師匠に出来栄えを確認してもらうのだ。「そのたんびに、師匠に『だめじゃ』と言われるけーね。うまくなって次の工程にいかせてもらうには、そりゃ必死よね。当時、同期で四人がいっしょに弟子入りしたんじゃけど、しばらくして師匠が、その中の一人に『おまえは手がぬるいけん、やめじゃ』と。つまり、その手先じゃ、筆では生活ができんけん、違う仕事を探せということなんじゃね。次の日からその人は来んかったよね。今思えば、若い時に早めに才能がないことを教えてあげるのが、愛情やったとは思うけど。師匠にそないに言われんように、いつも緊張しながら筆つくっとったよね。」

    今年で筆づくり一筋、49年目を迎える、中川 敏朗さん

    『ええ具合いになっちょる、これならえかろう』

    厳しい修行時代の四年間を終え、一人立ちした中川さんの次の目標は「使い手に満足してもらう筆づくり」であった。その後十年間くらいは、そのことだけに集中した。しかし、自分で「よし」と納得のいった筆が、使い手である書道家の先生になかなか誉めてもらえない、試行錯誤の、悶々とした年月が過ぎていった。そしてある日、問屋さんが、こう言ってくれたのである。「中川さん、あの有名な先生が『ええ具合いになっちょる、これならえかろう』と言うちょったよ」と。「もう、嬉しかったな。筆づくりをやってきてよかった、と心から思った。今でもその一言を聞くために仕事をしちょるようなもんよ。」と中川さん。
    愛情と意志を持って、モノづくりに向かう一流の職人が作った筆が、一流の書道家に認められ、使われて、そして一流の書ができあがる。・・・そういうことなのである。

    「最近の毛はやおい」

    そんな中川さんは続ける。「最近の毛はやおいけ、負えんのんじゃ」つまり、そのほとんどを中国から輸入している原料である獣毛が、柔らかくなり、腰のある筆を希望する先生の注文に応じづらくなってきたということである。原因は、昔に比べて、獣毛の状態が変わるほど“えさ”が変わってしまった、という環境上の問題なのか、獣が成育してしまうまで待てない、という経済上の問題なのか・・・。原因は定かではないのだが、いずれにしろ、一流の職人の眼にかなう獣毛が減ってしまっている。また、海外産の安い筆の輸入にも、熊野筆は影響を受けている。「じゃけど・・」と中川さんは「わしは負けんで(負けないぞ)。最後は“腕”の勝負じゃけね。最高の原料を見極める眼力と、この熊野町の筆づくりの伝統、そして筆に対する愛情と技術。わしは頑張るけえね。」中川さんは、柔らかなまなざしで、庭の菜の花を見つめながら、そう語ってくれた。

    自宅の作業場での中川さんの見事な手さばき

    職人プロフィール

    中川 敏朗

    昭和11年1月11日生まれ。
    16才から筆づくりに携わり、今年で49年目を迎える。昭和56年12月、伝統工芸士に認定される。

    こぼれ話

    筆づくりの歴史

    筆づくりがはじまった正確な時期は、はっきりとわかっていませんが、殷時代(前1600年頃~前1028年)の甲骨片に筆を用いたと思われる文字が書き残されており、その時代には既に、筆があったとされています。また、新石器時代末期の彩陶にも既に筆で描いたと思われる文様が残っています。現存する世界最古の筆は、中国戦国時代の楚(?~前223年)の遺跡から発見された「長沙筆」です。約16センチの細い竹軸の先端を裂いてウサギの毛を挟み糸で縛り、漆で固められています。また、漢代の木簡とともに発見された「居延筆」は約21センチの木軸の一端を四つ割にして、1.4センチの穂首を差し込んだ完成度の高い筆です。

    日本では、大宝年間(701~714年)には、筆が作られたとされていますが、現存する最古の筆は、正倉院にあるウサギ、鹿、タヌキの毛で作られた17本の巻筆です。
    書の名人であった、空海は812年に筆匠、坂名井清川に唐の製筆法によって、狸毛筆4本(楷、行、草、写経用)を作らせ、天皇に献上したという記録があります。この頃には、関東から九州まで各地で、筆が作られるようになりました。江戸時代には、御家人の内職として、高品質の筆がさかんに作られるようになりました。

    熊野の筆づくりの始まりは、今から約170年前、江戸時代の末になってからです。当時、農地の少なかった熊野では、農業だけでは生活を支えきれず、農民たちの多くが農閑期には、出稼ぎに出ていました。行く先は、主に紀州(和歌山県)熊野地方や大和(奈良県)吉野地方。出稼ぎを終えると奈良に立ち寄り、筆や墨を仕入れて行商をしながら、熊野へ帰ることを常としていました。これがきっかけとなり、熊野と筆の結び付きが生まれたのです。
    ちょうどその頃、井上治平(井上弥助)という若者が、広島藩の御用筆司から、また佐々木為次や乙丸常太(音丸常太郎)は摂津の国(兵庫県)有馬で筆づくりを学んで帰り、村人に筆づくりを広めたと伝えられています。当時これといった産業のなかった熊野で筆づくりは新しい産業として取り入れられ、村人達の努力と情熱によって産地としての基礎をなし、その優れた技術は、170年を経た今もなお、連綿と受け継がれています。

概要

工芸品名 熊野筆
よみがな くまのふで
工芸品の分類 文具
主な製品 毛筆、画筆、化粧筆
主要製造地域 安芸郡熊野町
指定年月日 昭和50年5月10日

連絡先

■産地組合

熊野筆事業協同組合
〒731-4214
広島県安芸郡熊野町中溝3-13-19
TEL:082-854-0074
FAX:082-854-6790

http://www.kumanofude.or.jp/

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

学童用、一般用、書道専門家用等、書道に励む人々が望む筆を幅広く生産し、特殊筆もそれぞれ注文に応じて作っています。

作り方

毛を選び、選んだ毛を組み合わせます。毛は灰でもんで油分を抜き、必要な長さに揃えて切り、毛を良く混ぜ合わせて芯(しん)を作ります。芯の外側に衣のように毛を巻き付け、根元を糸で締めて焼けば、穂首が完成します。穂首を軸に付け、糊で固めて仕上げ、銘を彫刻して完成です。穂首の原料にはヤギ、ウマ、シカ、タヌキ、イタチ、ネコの毛等を使います。選毛は筆作りの基礎となる重要な工程で、選び方を間違うと良い筆は出来ません。

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