八重山ミンサー

沖縄県

アフガニスタンから中国を経て伝わり、王府時代の16世紀初め頃、木綿布(ミンサー)の使用が記されていることから、
この頃すでに八重山地方でミンサーが織られていたと考えられています。また、八重山ミンサーの名前は綿(ミン)のせまい帯(サー)からきたと言われています。通い婚の時代に女性から意中の男性に贈る習わしがあり、5つ4つの模様は「いつの世までも変わらぬ愛を誓った物」と言われています。

  • 告示

    技術・技法

    1 次の技術又は技法により製織されたかすり織物とすること。
    (1)先染めのたてうね織りとすること。
    (2)よこ糸の打ち込みには、「手投杼」又は「板杼」を用いること。

    2 かすり糸の染色法は、「手くくり」によること。

     

    原材料

    使用する糸は、綿糸とすること。

  • 作業風景

    経糸(たていと)、緯糸(よこいと)とも木綿糸を使います。白い絣(かすり)の柄ができるように経糸を染めて並べ、そこに緯糸を入れていくことで布になります。織る作業は最後の一段階であり、それまでの下準備に長い時間と手間がかかるのです。

    工程1: 整経

    織りたい幅に必要な経糸の本数を計算し、長さをそろえます。白い四角の模様の部分になる絣糸、白い線の部分になる縞糸、紺色の部分になる地糸のそれぞれについて行います。帯の幅と長さを決める大切な作業です。

    工程2: 絣括り(かすりくくり)

    整経した絣糸を水張りし、藍染めのための準備をします。白く残したい絣の部分に藍染めの液がしみこまないよう、ひもで括ります。絣の大きさを書いた定規を糸に当てて、糸に印をつけて括っていきます。今はビニールひもを使いますが、昔はイトバショウの皮でやっていました。

    工程3: 藍染め

    絣を括った糸を水に浸し、脱水してから藍染めの液につけます。もみこむように動かしながら染めます。2、3分で取り出し、空気に触れさせて酸化発色させるのです。十分濃い色になるまで何回も繰り返します。時間や回数は勘がたより。藍は、畑で栽培しているインド藍を主に使います。藍以外の色にするときは、フクギ、ヤマモモ、クチナシ、シイ、アカメガシワ、紅露(クール)などで染めます。

    工程4: 絣とき

    絣糸が染め上がったら、括ったひもをひとつひとつていねいにはずします。糸を切らないように注意が必要です。

    工程5: カチタミ(のり張り)

    織るときに絣の模様がずれないように、のり張りして糸の張力を均一にします。木綿糸はかなり伸びるので、ここでそろえておくのです。家の石垣に打ちこんだ杭に糸を張って行います。この作業によって織りやすくなります。

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    工程6: 仮筬通し(かりおさどおし)

    経糸(地糸、絣糸、縞糸)を柄の通りになるように並べて筬に通し、布の幅を確認します。

    工程7: 経巻き(たてまき)

    仮筬に通した経糸をピンと張り、絣がずれないように気を配りながら巻いていきます。たるみやよじれを直しながら巻き取ります。

    工程8: 綜絖通し(そうこうどおし)と本筬通し

    ロール状に巻かれた経糸の端を、綜絖の針穴に前後一本ずつ通していきます。通した糸をさらに本筬に通します。手締めで織る場合は筬には通しません。

    工程9: 製織

    糸の張力を整えてから織り始めます。刀杼(とうひ)を使って、経糸に緯糸(藍染めした地糸)を入れていきます。織り上がったら、洗濯をして仕上げます。絣括り、カチタミなど、織るまでの下ごしらえの出来が布の美しさにつながるのです。

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  • クローズアップ

    今も昔も島の暮らしに欠かせない宝物

    300年の歴史があるという八重山ミンサー。一本の細帯には、その時代時代に生きた人々のさまざまな思いが込められている。内盛さんにとって、ミンサーは一生の宝。これからもずっと織り続けたいという。

     

    未来の夫へ、新妻からの贈り物

    真っ白なサンゴの砂を踏みしめて石垣に囲まれた赤瓦の家をのぞくと、縁側に2台の機が並んでいた。ここ竹富島で生まれ育ち、幼いころから織物に親しんできた内盛スミさんの仕事場である。1台には絹織物、もう1台には、紺地に白の絣(かすり)の鮮やかなミンサーがかかっていた。
    ミンサーは、八重山のほか、与那国、読谷、首里と、沖縄県各地で織られてきた木綿の細帯。藍染めで幅10センチくらいのものが基本だが、土地によって模様が少しずつ異なる。
    八重山の柄は、4つと5つの長方形を組み合わせたもの。「いつ(5)の世(4)までも末永く」という願いが込められ、婚約が決まったときに、女性が織って男性に贈ったという。縁取りの模様は「ヤシラミ」、つまりムカデの足で、「足しげく通ってください」の意味だそうだ。

    民宿を営みながら織物に精を出す内盛さん

    しめ心地のよさは「手締め」ならでは

    内盛さんに織るところを見せてもらった。小柄な体をスルリと機にのせたかと思うと、シャッシャと手足を動かし始める。ふつうの機織りとはなにか動作がちがう。これが竹富島のミンサー独特の「手締め」という織り方だった。
    経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を入れるとき、機の筬(おさ)でトントンと打たずに、刀杼(とうひ)を手前にグッと引くようにしてよこ糸を寄せる。力がいるし、帯の幅を一定にするにはかなりの熟練が必要だ。
    「手締めはたいへんですよ。でも、織り上がったものには味がある。ぬくもりがある。筬で織ったものは、本当はミンサー織りと言いたくないんですよね」
    戦後は筬打ちが増えたものの、今も手締めにこだわって織る人たちがいる。なるほど、ふたつを比べてみると、手締めのものは木綿なのにしっとりとやわらかい。目がつまっていて模様が浮かび上がる。なによりしめ心地のよさに定評があり、使えば使うほど味が出てくるそうだ。
    帯は一度手に入れたら一生使えるもの。こんな帯を手元において、自分も年をとりながら、どう変化していくのか見てみたいものである。
    長く使うものだけに、細長い一枚の布にはいろいろな思いが込められる。
    「うちのお父さん、主人のお父さんですけれども、子供のころ、この島でミンサーを織ってたおばあちゃんがお守をしたわけ。だからずっとそのばあちゃんの帯をしめてたですよ。私が嫁にきたときからね。あんまり使いすぎて端の糸が切れてたんですよ。私が新しいのと交換してあげようといったら、『お守をされたからお母さんの片身と一緒なんだよ』といって、絶対しめてくれなかった。半分に折ってずーっと使ってました。亡くなるまでずっとあの帯だった」

    手締めでミンサーを織る

    竹富島の人たちを助けた時代

    内盛さんが最も盛んにミンサーを織ったのは、昭和30年代後半から40年代にかけてだった。竹富島を訪れる観光客が増え、おみやげとして人気を集めたのだ。米軍の将校夫人が集団でやってきて、帯やミンサーのテーブルセンターを買っていくこともあった。
    島の女性73人が織っても、間に合わないほどだった。家族は総出で手伝った。おばあちゃんが経糸を作り、お父さんが絣を巻く。藍染めも各家庭でやっていた。
    寸暇を惜しんで織ったおかげで、内盛さん夫婦は子供たちを進学させることができたという。ミンサーは内盛さんにとって一生の宝となった。最近は絹や麻を織ることが多くなったけれども、2台の機のうち1台は常にミンサーを織るように心がけている。
    「機から消したくないからね。好きなもんを織っていても、これはやらんといかんというのが心の片隅にある。ずっと機に乗せておこうという気持ち。私を助けてくれた大事なものなんです」
    竹富島で最も大きな行事である種子取祭のとき、人々はムイチャーという芭蕉布の着物にミンサーをしめて踊りに参加する。昔も今もこれからも、八重山の暮らしに欠かせないものであることに変りはないようだ。

    • 上が手締め、下が筬打ち。違いは明らか

    • 植物染料で染めた色とりどりのミンサー

    職人プロフィール

    内盛スミ (うちもりすみ)

    大正14年生まれ。
    母親の機織りを見て育ち、結婚後、本格的に取り組む。竹富町織物事業協同組合理事長。

    こぼれ話

    麻、芭蕉、絹……多彩な竹富島の織物

    豊かな自然に恵まれた竹富島では、八重山ミンサーのほかにも、麻の八重山上布、芭蕉布、木綿と苧麻のグンボウなど、古くから伝わる多様な布が織られています。
    麻は琉球王府の時代にもたらされたといわれています。首里城からきた役人が、仲筋集落のヌベマアという娘を連れていき、お礼に麻の苗と甕をくれたと言い伝えられています。

    • 染料のインド藍や、糸をとる苧麻、芭蕉の畑

    • ミンサー柄のテーブルセンターも人気

概要

工芸品名 八重山ミンサー
よみがな やえやまみんさー
工芸品の分類 織物
主な製品 男物帯、女帯、ネクタイ、小物
主要製造地域 石垣市、八重山郡竹富町
指定年月日 平成1年4月11日

連絡先

■産地組合

竹富町織物事業協同組合
〒907-1101
沖縄県八重山郡竹富町竹富381-4
TEL:0980-85-2302
FAX:0980-85-2302

特徴

起源は17世紀以前。語源は定かではないが、木綿の狭い帯「綿狭帯」が「ミンサー」となったとされている。絣は手括りで、藍の先染めのたて畝織。5つの絣と4つの絣が交互に配され、「いつの世までも末永く」の意味をもった男性用の帯。

作り方

絣は手括(くく)りで、先染めのたてうね織、緯糸の打ち込みには手投げ杼(ひ)または刀杼を用いて織ります。

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