石見焼

島根県

江戸時代中期に、地元の職人が、現在の山口県の陶工より製陶法を習い、石見焼の片口や徳利等の小さな製品が作られるようになりました。
その約20年後には、現在の岡山県の備前から水かめのような大きな陶器製品が伝えられたと言われています。

  • 告示

    技術・技法

    1 はい土は、水簸をして、製造すること。

    2 成形は、ろくろ成形、押型成形又はたたら成形によること。

    3 素地の模様付けをする場合には、櫛目、へら目、はけ目、彫り、化粧掛け、流し掛け又は飛びかんなによること。

    4 絵付けをする場合には、手描きによる下絵付けとすること。この場合において、絵具は、呉須絵具又は鉄絵具とすること。

    5 釉掛けは、どぶ掛け又は杓掛けによること。この場合において、釉薬は、透明釉、飴釉、黒釉、来待釉、伊羅保釉、白釉又は灰釉とすること。

     

    原材料

    1 使用する陶土は、宇野白粘土、宇野赤粘土又はこれらと同等の材質を有するものとすること。

    2 使用する化粧土は宇野白粘土又はこれと同等の材質を有するものとすること。

  • 作業風景

    工程1: 混合(こんごう)

    採掘した原土を30~40cmの土塊の状態で、屋根の下で半年以上乾燥させるのが基本である。これは乾燥することによって、後の工程の際に、粘土が水中に分散しやすくするためである。同時に原土中に含まれている有害成分が水に溶けやすくなったり、ある種の有害成分は固結して除去しやすくなるためである。

    工程2: 水簸脱水(みずはだっすい)

    原土を水中に分散させて泥水状にする。その後分散させた泥水から砂礫などの粗粒分を除去する。粗粒分を除去した泥水を「おろ」を用いて一次脱水した後、「もり鉢」に移して、自然乾燥により水分25%程度になるまで脱水する。

    工程3: 菊練り(きくねり)

    脱水した粘土を、徹底して練った後、ろくろで使用する大きさで更に土練りして、気泡を完全に追い出す。

    工程4: ろくろ成形

    一個の製品を作るのに必要な菊練りした粘土をろくろの上に据え、しゃくし(内側)と手のひら(外側)を用いて成形する。一つの粘土塊から一個の製品を作る。
    また超大物(72リットルくらいの大かめなど)を作る場合、作業を先導するひとの調子にあわせて、他の別の1人ないし2人がロープを引っ張り、ろくろを回す技法もある。特に石見焼の場合は、ロープをろくろの足に一回巻きつけ、力を入れて引っ張る際にすべらないように、杭を立てて用いる点に特徴がある。

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    工程5: 乾燥

    成型したものを乾燥させます。

    工程6: 素焼き(すやき)

    素焼きは、製品に釉薬(ゆうやく)の接着がより効果的になるように、800℃の温度で焼成する。古くは、登り窯の状態を見ながら、熟練工の勘のみで800℃を判断し、火を止めていた。

    工程7: 釉薬かけ

    A.しゃく掛け(大物製品)–製品の底に水を打った後、ひしゃくで”内釉”(内側に釉薬をかけること)をする。その後、内部で余った”釉薬”を半切り(釉薬を入れる桶のようなもの)に戻し、製品を「わたし」の上に伏せる。製品の外側は、ひしゃくで釉薬をかける。口掛けの部分に溜まっている釉薬を指で手早く取り除く。薬掛けが済んだ製品は、底に地板を当てて2人で起こし、縁を刷毛できれいにし、乾燥させる。

    工程8: どぶかけ(小物製品)

    うわ薬の入った桶等に、製品の高台を持って浸す。

    工程9: 窯積み(かまづみ)

    窯に一つ一つ丁寧に積み上げる。

    工程10: 焼成(しょうせい)

    窯で焼き上げる。

     

  • クローズアップ

    暮らしの中で育まれた石見焼の心を、伝統の窯で焼き続ける

    古くから登り窯が築かれ、江戸時代には“大甕(おおがめ)”の産地として知られた石見地方。古来からの大はんどうと呼ばれる大甕や小ぶりの水甕を作りながら、時代の移り変わりや人々の生活の変化に対応して、日用陶器を豊富に製造してきた。
    大甕の需要が減った今も、大はんどう(大甕)の技法を後に残すために伝統的技法「しの作り」で定期的に大甕を作り、石見焼の心を焼き続ける。

     

    主に藍染めに使用された超大型甕の“大はんどう”

    200kgの粘土を使って、形にするまで3人がかりで約1カ月もかかる。その技法は「しの作り」と呼ばれる。腕より太い紐状にした粘土を肩に担ぐようにして、ろくろの上に積み上げ、2人の引き手が綱引きの要領で、息を合わせてろくろの綱を引っ張り、ゆっくりまわしながら、はんどうの底、腰、肩と7~8回繰り返して完成させる。
    その独特の製造技法を、現在も伝える数少ない伝統工芸士の嶋田春男(しまだはるお)さんにお話しを伺がった。

    嶋田さんの作業場風景

    「そら、つらいこともあったけど、今はもう忘れてしもたわな。」

    古くから、焼き物が盛んに作られてきた江津市近郊では、明治時代に“大はんどう”が量産され、最盛期には100軒を越える窯があった。しかし、昭和30年代には、プラスチック容器と上水道の普及が進み、需要が激減してしまった。“大はんどう”は日常生活では、なかなか見られなくなってしまった。
    当時を振り返って、嶋田さんはこう語ってくれた。
    「石見焼といえば、大はんどうが代名詞やったんですよ。そりゃ明治から昭和の敗戦くらいまでは、よう売れましたよ。まず当時の生活必需品でしたからね。わしの父親が窯を開けたんが、昭和10年ですから、修行時代を入れて、もう60年以上も石見焼に携わっています。その当時は、とにかく売れて売れて大忙しだったもんです。」
    「でも昭和30年代になって、高度経済成長で日本も水道が完備されるようになり、また軽くて扱いやすいプラスチック製品の流入で、パタッと止まってしまいました。まだ若かった私は、全国各地の陶器の産地に勉強に行きました。そんな中で伝統の技法をいかしながらの、傘立てや漬物壷など新しい製品を提案していったのです。」

    乾燥中の石見焼マグカップ

    『はんどうを作る手と食器を作る手は違うぞ。』

    「当時は、仲買いさん(問屋)からの情報がほとんどない状態で、もちろんアドバイスもなし。そんな状態ですから、市場の動きはさっぱりつかんでいませんでしたね。でも昭和40年代に民芸ブームがきて、石見焼にもスポットライトが当たり始めたんです。」「でも、ある人にこう言われたんです。『はんどうを作る手と食器を作る手は違うぞ(大物を作る技法と、人の口に入るものを入れる食器を作る技法は違う。甘くみるな。)』と言われたんですよ。」その言葉が、嶋田さんの生来の負けん気に火をつけ、がむしゃらにがんばって、石見焼独特の素朴な風合いと、温かみを持つ焼き物を開発製造することができた。時代の流れに動かされながらも、その石見焼の本流の伝統と技法を頑なに守り、現在も現役で仕事を続ける嶋田さん。『日本の職人ここにあり』という感がある。

    伝統と技法は精神とともに継承され続ける

    「一言に伝統と言っても古いものにこだわっているだけじゃ、とっくに終わってますよ。わしは親父の後を継いだ2代目やけど、息子の3代目(嶋田孝之さん)、また孫の4代目(嶋田健太郎さん)にもよう言うんですよ。『伝統にあぐらをかくな。市場に支持されることが大切じゃ。死ぬまで勉強やぞ。チャレンジすることを忘れたら、仕事を辞めろ』とね。」
    間違いなく嶋田春男さんは、職人としても人間としても超一流の人だ。

    石見焼の陶歴64年、嶋田春男さん

    こぼれ話

    『石見焼』の現存する最古の資料

    石見地方では、豊臣秀吉が行った文禄・慶長の役(1592~1610)に従軍した斎藤市郎佐衛門が、朝鮮陶工である李朗子を連れ帰り、唐人窯を開いた記録があります。高取焼や萩焼で発掘された皿や、すり鉢などがこの地方の出土品と類似していることが確認されています。唐津焼・高取焼・萩焼等の文禄・慶長の役の後に起こった窯は、わが国の焼き物の源流をなすもので、陶磁史上貴重な窯の一つであると評価されています。このことは「唐人窯」にもあてはまり、その窯で焼成された遺物は灰釉がかけられていたことがわかります。

    石見地方で本格的な焼き物が作られるようになるのは、江津村(現江津市)の森田某が寛暦13年4月(1765年)朝鮮もしくは、同系の唐津技法が周防岩国藩の入江六郎から学び伝えられ、小物技法が石見で生まれ、作製されていたと考えられています。
    一方、天明年中(1781年頃)備前の国より、一職工が江津村に来て、粗陶器作り、大物技法を伝授したと歴史書にあります。これら大物と小物の二つの流れが入ってきて、時代の需要にも影響され、良質の粘土を豊富に有する石見地方は、幕末にかけて『石見焼』の根本を確立していきます。
    文化・文政時代(1804~1829年)には、日本各地で窯が急激に増大していきました。石見地方でも丸物(焼物)の許可願い等に関する文章や、記述が残されています。

    文政2年(1819年)5月「谷戸経塚」が造営されました。この経塚から発掘された一石一経が収められていた甕は、それ以前のものとされますが、『石見焼』の現存する最古の資料として重要です。

     

概要

工芸品名 石見焼
よみがな いわみやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 水かめ、すり鉢、炊事用品
主要製造地域 江津市、浜田市、益田市、大田市、鹿足郡津和野町
指定年月日 平成6年4月4日

連絡先

■産地組合

石見陶器工業協同組合
〒699-2841
島根県江津市後地町1315
石州嶋田窯内
TEL:0855-57-0155
FAX:0855-57-0155

特徴

磁器に近い粘土を使い、鉄を含む地元の石を使った茶褐色の釉薬(ゆうやく)や、アルカリを含む石を使った透明な釉薬を用いた製品が主力です。この透明釉は、完全燃焼した炎で焼くと黄土色を、不完全燃焼した炎で焼くと青色になります。

作り方

石見地方で採れる陶土を使用します。この土を水に入れて泥水にし、粘土として使うものと不要なものとにより分けます。より分けた泥を乾燥させて粘土を作り、ろくろ、たたら等の技法で形を作ります。形になったものは日陰で乾燥させ1,300度の高温で焼き上げます。

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