木曽漆器

長野県

始まりは17世紀の初頭です。もともと豊富な木曽のヒノキを使った木地作りが盛んな土地柄で、江戸時代に尾張徳川藩の手厚い庇護を受けて発達しました。
木曽の漆器は中山道を通る旅人の土産物として人気がありました。
明治時代初期に地元で下地作りに欠かせない「錆土(さびつち)」粘土が発見されたことから、他の産地より堅牢な漆器が作られるようになりました。

  • 告示

    技術・技法

    1 木曽春慶にあっては、次の技術又は技法によること。
    (1)塗漆は、下地をせず、木地に直接精製生漆を繰り返し「すり漆」した後、精製透漆を塗布すること。
    (2)木地造りは、丸太を「みかん割り」したものを「へぎほうちょう」を用いてへぎ、板物又は曲げ物に成形すること。

    2 木曽変わり塗(木曽堆朱)にあっては、次の技術又は技法によること。
    (1)下地は、生漆にさび土等を混ぜ合わせたものを繰り返し塗布することにより「堅地下地造り」をすること。
    (2)上塗りは、たんぽを用いて精製ろいろ漆を置き、多種の精製彩漆を重ねて塗付した後、砥石、砥炭等を用いて「砥ぎ出し」をすること。
    (3)仕上げは、「ろいろ塗」によること。

    3 塗り分けろいろ塗にあっては、次の技術又は技法によること。
    (1)下地は、生漆にさび土等を混ぜ合わせたものを繰り返し塗付することにより「堅地下地造り」をすること。
    (2)上塗りは、多種の精製彩漆を用いて「塗り分け」をすること。
    (3)仕上げは、「ろいろ塗」によること。

     

    原材料

    1 漆は、天然漆とすること。

    2 木地は、ヒノキ、カツラ若しくはトチ又はこれらと同等の材質を有する用材とすること。

  • 作業風景

    工程1: 木地加工

    自然乾燥させた木材を、作りたい形に作ります。例えば文箱や盆、座卓など。

    工程2: 下地づくり

    お米の粉と生漆を混ぜて「こくそ」を作ります。それを塗り、隙間やデコボコがなくなるようにします。

    工程3: 下地塗り

    生漆と錆土を混ぜて下地漆をしっかりと厚く塗ります。色は灰色です。

    工程4: 中塗り

    生漆を塗ります。この時、ほこりが出ないように塗ることが大切です。

    工程5: 型置(かたおき)

    たんぽを使い、漆でデコボコの模様をつける「型置」をします。

    工程6: 色漆塗り

    生成漆に顔料を混ぜて、出来上がった色漆を型置漆と同じ高さになるまで、1回塗っては乾かし、また塗るという作業を繰り返して行い、12~18回以上重ねて塗ります。

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    工程7: 研出(とぎだし)

    色漆塗りが乾いてから、水ペーパーと砥石でしばらく研いでいると、木の年輪に似た美しい模様が出てきます。

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    工程8: 胴擦(どうずり)

    炭の粉と油と砥粉(とのこ)を混ぜて作ったもので磨きます。

    工程9: 摺漆(すりうるし)

    生漆を綿につけて摺り、和紙でふき取ります。

    工程10: 磨き

    砥粉・角粉・油をつけて、綿でムラのないように(すべて同じように)磨き上げて完成です。

     

  • クローズアップ

    日用品から高級家具までそろう 木曽漆器

    木曽漆器には「木曽変わり塗(木曽堆朱)」「塗り分けろいろ塗」「木曽春慶」とある。その伝統技法を受け継ぐ二人の職人に話を聞いた。

     

    庶民のための漆器

    石本忠男さんと荻村康行さんは木曽漆器の伝統工芸士。二人とも同じ親方の元で修行をした兄弟弟子だ。石本さんが兄弟子、荻村さんが弟弟子になる。かれこれ40年以上の付き合いになるという。二人とも漆塗りの技術向上のために作られた「どんぐり会」や、楢川村立産業学校などで勉強を重ねた。「木曽はもともと『めんぱ(ヒノキで作られた楕円の弁当箱)』など庶民のための実用的な漆器を多く作っていたんですが、大都市から遠いでしょ。売るのが大変なんです。それで産地としての特徴を出すために木曽変わり塗などにもっと力を注ごうということになったんです」当時の様子を石川さんはそう振り返る。

    石本忠男さん(左)と荻村康行さん。木曽漆器の伝統を受け継ぐ二人は40年来のつきあいがある。

    漆塗り職人の6男

    石本さんは昭和7年、楢川村平沢にて漆塗り職人の6男として生まれる。「当時の風潮から考えて6男が親の仕事を継ぐことは考えられなかったですね。でも中学生の頃に私は結核になりまして、これがきっかけとなって漆塗りを始めたんですよ。家の中でできる仕事をということで家業を手伝うようになったんです」。以来50年以上にわたり漆を塗り続けている。今では石本さんは木曽を代表する塗師の一人となり、伝統工芸士会の会長を務めるまでになった。結核にならなければ今の石本さんはいないかもしれない。そう考えると人生とは不思議なものである。

    最近はこういう感じのものがよく出るそうです。

    20歳まで給料なし

    荻村さんは昭和15年名古屋生まれ。「戦後にここ(楢川村平沢)へ来たんです。父親の故郷がここだったんです」。荻村さんが中学生の頃、40人の同級生のうち進学するのは3分の1くらいで、残り3分の2は漆器の道へ進んだという。「私もその一人で、石本さんのお父さんの所へ弟子入りしました。住み込みで他の弟子達と相部屋でしたね。漆の塗りの講習会みたいなものも開かれたりして勉強になりましたよ」。いわゆる徒弟制度である。20歳までまともに給料をもらったことがないそうだ。「でもそれが普通でしたからね。20歳になって初めて住み込みをやめ、外から通うようになりました」。こうして荻村さんは地道に塗りの技術を身につけていった。

    石本さんの漆器の裏にはドングリマークが描かれる。

    漆器は使われ続ける

    「木曽変わり塗」と「塗り分けろいろ塗」は刷毛で漆を塗った後で表面を磨き上げるので、鏡のようにつやがある。一方「木曽春慶」は刷毛で塗ったままが仕上がりとなる。これは「磨き上げなくても自然なままで美しい」ので木曽地方では「花塗」ともいう。それぞれ特徴があり、好みや場面に応じて使い分けてみるとよい。石本さんは言う。「使ってみると木のぬくもりを感じるし、安らぎや潤いを感じますからね。それに食事もおいしくなりますよ」。石本さんは自分の漆器に自信を持っている。「漆器はこれからも使われ続けると思いますよ」。良いものは使われ続けると確信している石本さんの言葉だ。

    工房には塗りかけのスプーンが並んでいた。

    高いというイメージがあるが

    荻村さんは語る。「漆器は高いというイメージがあるけど、長持ちするから結果的にはそんなに高くないんです。何よりも身体によいですし」。そして使い捨ての時代はもう終わりにして、よいものを長く使うのがいいのではないか、と提案する。「そのためにもまずは使ってもらうことが一番ですね。使ってどんどん意見してもらいたいです」。この前向きな姿勢が木曽漆器の質の高さを象徴しているのではないだろうか。

    塗られる前の漆はこの桶にいれて保管されている。

    こぼれ話

    より良い漆器を求めて~錆土の発見~

    600年の歴史を持つ木曽漆器は良質な木地と堅牢さが特徴ですが、その堅牢さを支えている技術は百数十年前、明治の初め頃に確立したものなのです。当時職人たちはより良い漆塗りの技術を求めて輪島へ勉強に出かけていました。そこで輪島の堅牢な漆塗りを支えているものが「地の粉」と呼ばれる粘土であることを知ります。職人たちは木曽にもそのような粘土がないか探しました。そしてついに楢川村の奈良井で鉄分を多量含んだ粘土を発見したのです。この土は「錆土(さびつち)」と名付けられました。この土を漆と混ぜて下地に塗ることによって輪島に負けない丈夫な漆器を作ることができるようになったのです。漆塗りに賭ける当時の職人たちの執念が錆土の発見につながったと言えるでしょう。

    • 丈夫な木曽漆器作りには地元産の「錆土」が不可欠です

     

概要

工芸品名 木曽漆器
よみがな きそしっき
工芸品の分類 漆器
主な製品 座卓、盆、膳、重箱、そば道具、花器、家具
主要製造地域 松本市、塩尻市、木曽郡木曽町
指定年月日 昭和50年2月17日

連絡先

■産地組合

木曽漆器工業協同組合
〒399-6302
長野県塩尻市木曽平沢2272-7
TEL:0264-34-2113
FAX:0264-34-2820

http://kiso.shikkikumiai.com/

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

木肌の美しさを生かす「春慶塗(しゅんけいぬり)」、幾層もの漆によりまだら模様を表わす「堆朱(ついしゅ)」、彩漆(いろうるし)で幾何学模様を作り出す「塗り分け呂色塗(ぬりわけろいろぬり)」に特色があります。

作り方

「春慶塗」は、ヒノキ材の天然のままの持ち味を表現するため、漆を摺(す)り込む方法を使います。「堆朱」は、地元産の錆土によって堅地下地(かたじしたじ)を作り、その上に色漆を幾層にも塗り、それを研いで、縞模様を出します。「塗り分け呂色塗」は、違う色の漆を模様に合わせて塗り分け、表面を磨いて仕上げます。

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