尾張七宝

尾張七宝の起こりは、江戸時代後期に、現在の名古屋市を中心とした地域にあたる尾張の梶常吉(かじつねきち)が作ったのが始まりとされ、常吉によって技術・技法が確立されました。
尾張七宝として確認できる作品としては、天保4年(1833年)の梶常吉作による七宝ぐい呑みが最も古いものとされています。

  • 告示

    技術・技法


    素地成形は、次のいずれかによること。

    (1)
    鍛金にあっては、地金を金床に当て、木鎚又は金鎚を用いて成形すること。

    (2)
    「ヘラ絞り」にあっては、地金を木型又は金型に当て、これらを回転させてヘラ棒を用いて絞りこむこと。


    素地の接合をする場合には、「ろう付け」によること。


    施釉は、次のいずれかによること。

    (1)
    「植線」を行う場合には、区間された内外に、ほせ又は筆により釉薬を施すこと。

    (2)
    「植線」を行わない場合には、下絵にそって、ほせ又は筆により釉薬を施すこと。


    仕上げは、砥石又は木炭等で研磨すること。

    原材料


    使用する素地は、銅板又は銀板とすること。


    「植線」に使用する材料は、銀線、真鍮線又は銅線とすること。


    釉薬には、硅石、鉛丹、若しくは硝石又はこれらと同等の材質を有するものを用いること。

  • 作業風景

    工程1: 素地づくり

    銅板を金づちや木づちでたたいたり、または機械で絞り、原形をつくります。現在では大半が施盤・プレス機による機械絞りになっています。

    工程2: 下絵つけ

    素地に絵柄を墨書きします。ここでも近頃は柄を彫りこんだプラスチック型を利用したカッティング法印刷方式が開発され、作業能率の向上が図られています。

    工程3: 線つけ

    墨で書いた図案の上に金属線(主に銀線)を植えつけていき、図案の輪郭をとります。銀線は異なる釉薬の境界となるものです。

    工程4: 釉薬さし

    下絵の配色に従って、様々な釉薬が使われています。釉薬は珪石、酸化鉛、硝石を原料に、着色のコバルト、マンガン、銅、銀などを少量混入して作りますが、どの窯元でも特色ある色合いを出すために独自の調合をしています。

    工程5: 焼成

    施釉が終わると、窯で焼き上げます。以前は木炭窯を使用していましたが、現在ではすべて電気炉となっています。焼成することにより、粉末の釉薬は溶けて金属線との段差が生じるため、線と釉薬が同じ高さになるまで繰り返されます。

    工程6: 研磨

    焼きあがった製品は線と釉薬部分の間に凹凸が出来てしまいます。これを滑らかにし、光沢を出すとともに植線を浮き出させるため研磨が行われます。砥石、ワラ、木炭などで磨き上げます。

    工程7: 覆輪つけ

    研磨工程で見加工の上下端は、銅素地が露出しているため、メッキ業者や飾り部品商から供給される銀の覆輪をつけ完成します。

  • クローズアップ

    「七つの宝物」が放つ絢爛・高貴な輝き 尾張七宝(おわりしっぽう)

    古代エジプトに起源をもつとされる七宝は、仏典にある七つの宝物(金、銀、瑠璃、しゃこ、瑪瑙、真珠、まいえ)に美しさをたとえたのがその名の由来という。ガラス質の釉薬が、あでやかな色彩に透明感ある輝きを与える。

    名店に生き続ける技と伝統

    名古屋の老舗「安藤七寶店」を訪ねてみた。現代的でファッショナブルなアクセサリーや装飾小物など、洗練されたデザインの美しい商品が目を楽しませてくれる。さらに店内奥へと足を進めると、やや趣が変わり、あでやかな色と輝きを放つ伝統の品が高貴な香りを漂わせ並んでいた。花鳥を中心とするデザインと明るい色遣いは、日本的というよりは、より広くオリエントの歴史を感じさせる。製品工場で、実際の作業工程をのぞいてみた。

    名古屋の老舗「安藤七寶店」

    銀線一本が仕上がりの違いを生む

    尾張七宝は制作方法の違いにより、いくつかの種類に分けられる。代表的な「有線七宝」は金属素地に描かれた下絵の輪郭にそって銀線などを植えつけたもの。異なる色の釉薬(ゆうやく)が銀線によって分けられるので、色彩が混合せず鮮明になる。分業体制で作業が進められる工場で、線つけを主に担当しているのは森三喜男さん。窯業学校を出て20歳のころからこの店で七宝作りにたずさわっている。「最初に見たときは、陶器のきれいなものかと思ったね。」一見、陶磁器に見える七宝だが、金属素地にガラス質の釉薬を焼き付けるところは、琺瑯(ほうろう)をイメージしたほうが近い。実際、七宝を実用化させたものが琺瑯なのだそうだ。七宝の精彩なところが、森さんにとっては陶器にない魅力に思えたという。銀線は幅や厚みの異なるものを図案により使い分ける。仕上がりをイメージし、ひとつの花瓶に何種類もの銀線を使う。接着剤の役割を果たすのは紫蘭の根を乾燥させ、粉末にして水に溶かした上澄み液だ。化学接着剤を使うと、焼成の際にガスが発生するが、蘭は植物なので完全燃焼して害にならない。そんなところにも自然のものの良さが表れる。

    素地の一部をくり抜いて施釉する透胎七宝

    価値あるものへのこだわり

    森さんは個人的にも年2度の展覧会をめざして作品作りに励む。職場では分業制が基本だが、自分の作品は、素地作りからほぼすべての工程を1人で行う。ふだんあまり手がけない部分では苦労が多い。1年に仕上がる作品は2つか3つ。30年以上の経験をもっていても、何か新しいことをやろうと思えば「まだわからんことばっかり」らしい。伝統的な七宝を作り続けてきたこれまでの仕事を振り返って考えるのは「高級なもの、きちんとしたものを作ること」への喜びだという。「思い出として印象深く残っているのは、七宝で祭り用の山車の四本柱を作った大仕事。仲間とともに試行錯誤を重ね、平成7年から3年がかりで完成させました。」不透明釉を使い複雑な絵柄を施したその丸い柱は、なんとも味わい深い独特な色合いの、まさに「技が織り成す妙」である。

    3年がかりで完成させた山車の四本柱

    七宝に魅せられて57年―引退後のあらたな楽しみ

    森さんとともにこの四本柱に取り組んだ職人の1人、大ベテランの桜井鶴也さんは、2001年3月、77歳で退職することになった。終戦の年に20歳で勤め始めて57年。安藤七寶店が皇室に納めている菊の御紋章の入った品も40年ほど手がけてきた。2センチほどの御紋とはいえ、線つけや施釉がもっとも難しいとされる仕事である。後を引き継いでくれる腕のある職人がなかなかいないので、すっかり引退というわけにもいかないらしい。「自分のイメージどおりに出てくるところが面白いねえ」と語る桜井さん。「七宝の釉薬は泡が細かいから、研磨で細かい穴があきやすい。だから低く塗るのを何度も繰り返して高さを出していく」。釉薬を塗り重ねることでできる厚みから伝わる温かみが、七宝の魅力のひとつだという。眼鏡の奥の目が優しい。退職後も展覧会の審査員などで引っ張りだこのようだが、その合間をぬって、これからもじっくりと新しい作品づくりに取り組んでいくことだろう。

    職人プロフィール

    森三喜男 (もりみきお)

    1945年生まれ。
    「七宝は奥が深い。まだまだやり足りないね」。個人的にも作品作りに励む。

    1924年生まれ。
    2001年春、57年間勤めた安藤七寶店を退職。
    今後も七宝に関わっていく。
    こぼれ話
    進駐軍の帰国土産としての一大ブーム

    輸出産業として盛んになった七宝は、戦時中はその主要材料である銅、酸化鉛、コバルト、マンガンなどが軍需品であったために、生産自体が難しくなりました。しかし、昭和20年の終戦後は状況が一変し、進駐軍が帰国する際の土産品としての人気が高まり、七宝町の生産者も数年間は大忙しの時期が続いたといいます。日本の土産といえばたいていは木、竹、紙からできているなかで、素地が金属の七宝焼は丈夫で落としても割れることがなく、長旅には最適だったのでしょう。土、日曜日ともなると、ジープが何台も連なって買いつけに来ていたといわれます。
    国外から里帰りした逸品もあります。七宝町産業開館の展示室でひときわ目を引くのは高さ1.52メートルの「間取り花鳥紋大花瓶」。輸出がもっとも盛んだった明治30年代のもので、七宝焼としては最大級のものです。

    「七宝の町」で守られる精緻な技術

    尾張七宝の始まりは、オランダ船がもたらした一枚の皿だった。尾張藩士梶常吉が破砕分析してその構造を知り、「泥七宝」と呼ばれる手法を開発。その後ガラス質の釉薬が研究され、今日まで続く精巧華麗な七宝焼が誕生した。

    海外向け美術品としての七宝人気

    もともと輸出産業として発達した尾張七宝は、明治時代にはパリ万博、日英博覧会にも出品されて国外でその名を広く知られるようになった。こうした大舞台の際には、完成した品を持っていくほか、職人を数名現地に派遣して、半年間ぐらい制作にあたらせ実演した。代表的な有線七宝の技術は、明治末から大正初めごろにほぼ完成され、そのほかの種類もこの頃にほぼ出揃い、その精緻な技術が今日に至るまで受け継がれている。七宝焼が盛んだったこの地は明治39年に七宝村(現七宝町)の名がつけられた。

    施釉と焼成を繰り返す七宝制作。集中力と根気が必要だ。

    歴史が刻まれた作業場

    ベテラン職人の林貞加津さんをたずねた。4代目の林さんは大正8年生まれ。町で一番古い窯元であり、その木造家屋が尾張七宝とともに歩んできた歴史を感じさせる。現在、焼成には電気炉を取り入れているが、木炭窯を使っていたころは燃えないように土を塗っていたという窯場の天井を見上げると、はがれた土と黒いすすの跡が当時の名残をとどめていた。子どものときから見様見まねで七宝制作の手伝いをしてきた林さんは、昭和20年の終戦を機に本格的に職人生活に入った。

    さまざまな色の釉薬が用意されている。

    必要な道具は自分で作る

    七宝は分業で作られることが多く、窯元である林さんの場合は施釉と焼成がおもな仕事になる。有線七宝なら銀線がつけられた状態で林さんのもとに届く。優れた職人は使う道具もほとんど手作りだ。細かい図柄に釉薬を施すときには、「塗る」というよりは「刺し込む」状態に近い。筆ではなく針を使う。筆先の毛の部分を抜いて代わりに針を差し込んだものを自分で工夫して作っているが、それも木綿針、絹針と使い分けている。少し長めに伸ばした指の爪さえ道具の一部となる。
    「失敗をせんとなあ」。技術は肌で覚えなければならない。大きな失敗をすることで次から気をつけるようになるということだ。根気よくコツを習得していく。だが、自分の技術とは別の、思いがけない原因でトラブルが引き起こされることもある。釉薬の溶解加工が外注になってからのことだが、下塗りに使う釉薬たったひとつの加工が悪かったために、研磨の段階で小さな穴がたくさんあいた。「95パーセントまで仕上げて初めて不良品だとわかるんだからねえ」。大きな損害が出た。ひとつの品を完成させて「これはいい具合にいけたなあ」と思えるときが職人としての喜びだ。

    細かい図案への施釉は筆ではなく針を使う。

    まずは知ってもらうこと。伝統と進化

    「七宝は落としても割れない。いつまでも色が変わらず光っている」。そんな七宝の魅力を多くの人に知ってもらいたいと林さんは話す。カルチャーセンターで七宝焼が教えられるなど、手軽なアクセサリーとしての七宝は人気があるが、「これが本物ですよ」と伝統的な尾張七宝の素晴らしさを伝えていかなければならない。現在、組合理事長をつとめる服部良吉さんは、「たとえば陶器の産地の学校で、給食用の容器が樹脂製ではだめですよね」と、教育の場で文化を伝えていくことの必要性を訴えている。
    町では毎年展覧会が開かれるが、最近の出展作品をみると、かなり大胆で新しい感覚の図柄やデザインのものが増えているように思われる。生活様式の変化で花瓶を置く床の間がなくなれば、別の形のものへの転換も必要になってくる。現代的なアレンジを加えつつも、受け継がれてきた精緻な技術はいつまでも守り続けてほしい。

    展覧会で受賞した作品。やはり現代的だ。

    職人プロフィール

    林貞加津 (はやしさだかづ)

    1919年生まれ。
    息子さんと2人で古くからの窯元を守る。

概要

工芸品名 尾張七宝
よみがな おわりしっぽう
工芸品の分類 その他の工芸品
主な製品 花瓶、香炉、額、飾皿、宝石箱等
主要製造地域 名古屋市、あま市、西春日井郡枇杷島町
指定年月日 平成7年4月5日

連絡先

■産地組合

名古屋七宝協同組合
〒457-0821
愛知県名古屋市南区弥次ヱ町5-12-15
株式会社安藤七宝店内
TEL:052-602-5373
FAX:052-871-7758

http://www.city.ama.aichi.jp/sangyo/3248/003471.html

七宝町七宝焼生産者協同組合
〒497-0002
愛知県あま市七宝町遠島十三割2000
アートヴィレッジ内
TEL:052-441-9802
FAX:052-441-9802

特徴

焼き物といえば、一般に陶器のようなものと思われがちですが、尾張七宝は素地に金属を用い、その表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を施し、花鳥風月、風景等の図柄をあしらったところに特徴があります。

作り方

製造工程は、図案作成、素地作り、下絵描き、模様付け、施釉、焼成からなり、手作業により細部にまでこだわった製品が作られています。

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