南木曽ろくろと上野焼のトークショー
今日から特別展「南木曽ろくろ細工展」と匠コーナー「上野焼伝統工芸士 守窯 作陶展」が始まりました。
青山スクエアでは恒例のトークショーが14時から行われ、その時の様子をお伝えします。
まずは南木曽ろくろ細工の現理事長でもある野原さんから、お話をしていただきました。
南木曽ろくろ細工は長野県の伝統的工芸品です。
長野県は、陸に囲まれた土地のため海がありません。
ですが、木は豊富にあるため、木目の美しい材料が豊富に取りそろえることができます。
南木曽ろくろ細工の職人は、
昭和50~60年の頃、130名もいたのですが、現在は五分の一ほどの人数に減ってしまったそうです。
原因としては、景気の低迷と職人の高齢化によるもの。
ただ、現在の職人は、40~50代の若手も多く、親の後を継いで後継者となっているというのが良かった点でもあり、南木曽ろくろ細工の新しい文化が生まれてきています。
次に話をしていただいたのは、この道50年の田上さん。
元々は山仕事をしていた田上さん。
ですが、昭和30年代に起きた伊勢湾台風で南木曽の地に訪れ、後始末をしていました。
その頃、南木曽ではプラスチック製品に押されて、木工の仕事をする若手が、ほぼいない状況でした。
残っているのは、墓守のために、南木曽の地に残った高齢者だけだったのです。
そんな中で、空家もあることを知った田上さんは、そこに住むようになり、作り手の手伝いをするうちにろくろが挽けるようになり、現在に至ったそうです。
この先も、時代にマッチしたものを作っていこうと思っていると、おっしゃっていました。
また現在、南木曽の小中学校では、卒業記念品の一つに南木曽ろくろ細工のお碗を渡しているそうです。
南木曽ろくろ細工は、新しい物づくりにも挑戦しています。
南木曽ろくろ細工で作ったスピーカーやボールペンなども、木工品の作り手としても新しいことをしています。
現在どちらも、一定のファンが付くほどで、今日も南木曽ろくろ細工のボールペンを買うために、青山スクエアの開館前から並んでいる人がいるほどでした。
次に野原さんの息子さんにもお話をしていただきました。
小学校の頃から、父親の手伝いをしていたため、木工品はずっと身近な存在だったそうです。
学校を卒業後は、すぐに親の跡は継がず、高山の家具屋に就職。
そこはろくろではなく木工の指物の業界でしたが、南木曽だけではなく外の世界も見ておくべきだと思い、他の場所へ行ったとおっしゃっていました。
現在は、お父様と同じ場所で南木曽ろくろ細工の作り手として、日々励んでいます。
南木曽ろくろ細工で扱う木は種類が多く、風合いなどの個性がそれぞれ違うのが面白く感じており、それを使い手の人にも感じてほしいと願っているそうです。
今後は、様々な木を使って小物を作ったり、新しい挑戦をしていきたいとおっしゃっていました。
次に、匠コーナーの上野焼の熊谷さんに、お話をしていただきました。
上野焼は福岡県の伝統的工芸品です。
ただ上野焼は「あがのやき」と読むのですが、「うえのやき」と読む人がいるほど、あまり有名な伝統的工芸品ではありません。上野焼は古い時代からあったものですが、御用窯だったこともあり、お殿様に献上するための茶道具を多く作っていたそうです。
熊谷さんは、もともと別の仕事をしていましたが、父親の友人が上野焼をしていることもあり、上野焼の作り手になりました。
熊谷さんが作り手になった時は、陶器ブームの終盤だったこともあり、作り手がたくさんいたそうです。だからこそ、他の人とは被らないような作風でと掻き落しをするようになりました。
ですが、掻き落しという手法は、確かに現在の上野焼の作り手にはほとんどいませんが、文献を遡ってみると上野焼で掻き落しをしていた人は既にいることを知り、驚いたそうです。
またこの四月から、熊谷さんのお嬢様も一緒につくるようになり、守窯として新しい一歩を踏み始めています。熊谷さんも一般的な上野焼の作り手から、少し離れた存在ですが、お嬢様もやはり少し違ったアプローチをしており、上野焼の新しい形を生み出しているそうです。
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今回お話をしていただいた方たちは、
特別展「南木曽ろくろ細工展」は6月14日まで、
匠コーナー「上野焼伝統工芸士 守窯 作陶展」は6月7日まで出店していますので、
ぜひ青山スクエアにお越しください!