匠を訪ねて~東京銀器 職人家族に囲まれて育った東京銀器の作り手
2016年8月31日 青山スクエアで制作実演中の上川善嗣さんを訪ねました。
東京銀器:上川善嗣
東京銀器とは、江戸時代中期に銀師(しろがねし)と呼ばれる銀器職人と、金工師と呼ばれる飾り職人が登場したことが始まりです。
江戸で職人が育った背景には、貨幣を作る金座・銀座の存在や各大名が集まる政治経済・文化の中心だったためではないかと言われています。
この世界に入ったきっかけ
初めて銀器に触れたのは2歳の時
上川さんの家は、代々東京銀器の職人として活躍してきました。そんな中で、上川さんは2歳の頃、当時ご存命だったお爺様の膝の上に座って、銀をたたく心地いい音を聴きながら育ったそうです。
お爺様は、上川さんが3歳の頃になくなりましたが、今でもお爺様が銀をたたいていた音が身体の中に残っており、自分が銀をたたくときの音と重ねて聞いているとおっしゃっていました。
上川家の長男。だからこその想い
幼少の頃から東京銀器に触れていた上川さんですが、このまま家の仕事に就職してしまうと「全く世間を知らない人になってしまうかもしれない」という思いもあり、学校を卒業後、実家ではなく他の金属工業の会社に就職をしたそうです。
就職先は寮生活だったため、会社と寮の往復という生活。それでも最初は、金属を加工する部署に配属されたため、その世界に没頭しました。
ですが、すぐに総務部に空きが出たということで、総務に移動になり、さらに今度は人事部に空きが出たとのことで人事部に移動させられてしまいます。
違う仕事をしている中で
物づくりの現場を知りたくて入った会社の中で、どんどんと現場から離れてしまい、上川さんの中で違和感を覚えるようになっていったそうです。
そして、「自分はやはりモノを造るのが好きなんだ」という気持ちを確信したとおっしゃっていました。
そんな中、母親が身体を崩し、それを転機に会社を辞めて実家の家業を職とする道を選んだのです。
反響の多い人気の東京銀器の商品たち
作るときのこだわりは『使いやすさ』
ぐい飲みひとつでもこだわりがある
上川さんに作るときのこだわりはありますか?と尋ねたところ、使いやすさだと答えてくれました。
銀で作られた物は、半永久的に使い続けることができます。だからこそ、永く使い続けたいと思えるような工夫が必要だそうです。
例えば、写真のようなぐい飲みでのこだわりは『飲み口』。口を当てた時に、心地良さを感じるような仕上を施しています。
また、外側は模様を入れていますが、内側はピカピカに磨き上げている状態。銀は反射率が高い特性があります。ピカピカに磨き上げておくことで、中に入れた液体が反射して、より美味しそうに見えるというわけです。
こういったこだわりを、上川さんは一点一点に入れています。
これからも作り続けていく上で
物づくりは自分の力だけじゃない
最後に上川さんに、今後はどんなものを作っていきたいですかと尋ねたところ、まだ「こういうもの」という展望は立てていないとおっしゃっていました。
実家で物を作り、時にお客様と接し、その中でひらめきやアイデアが浮かんでくるそうです。ふとした瞬間にこういう商品があってもいいかもしれないと思って作ってみたり、実際に作ったものを見たお客様が「こういうのも欲しい」と言って来たり。
そうしているうちに新しい商品が生まれていく、というのが楽しいとおっしゃっていました。
例えば、先に出した「アイススプーン」も、初めは堅いアイスも簡単に食べられるものとして考えていただけでしたが、お客様がベビースプーンとして使いたいと言われたことがきっかけで、商品の可能性が広がったということもあったそうです。
また、別の工芸品を作っている職人さんと話をしている中で、コラボ商品を作ってみようということになったりなど、人と接することで可能性がどんどんと広がっていくのが、今は一番楽しいとおっしゃっていました。
東京銀器は上川さんをはじめとして、まだまだ広がりを見せてくれそうですね。
最後に・・・
今回、取材を受けてくれた上川さんは、8月26日から8月31日まで行われている特別展「TOKYO職人展」に出展をされていました。
普段はご実家の「有限会社 日伸貴金属」にてモノづくりをしています。こちらでは、実際に体験をすることも出来るので、気になる方は連絡をして予約をしてみてはいかがでしょうか?