笠間焼

茨城県

笠間焼は江戸時代の中期に箱田(現在は笠間市内)の職人が信楽焼の陶工の指導で窯を焼いたのが始まりとされています。明治時代に廃藩置県で笠間藩がなくなるまで、藩の保護・奨励を受けていました。
笠間焼が生まれてから昭和20年代頃までは、瓶や摺鉢等の台所用品が多く焼かれていましたが、少しずつ作られる製品の種類が変わって、現在では食器等の食卓用品や花瓶や置物等が作られるようになりました。

  • 告示

    技術・技法


    成形は、ろくろ成形、型起こし成形又は手ひねり成形によること。


    素地の模様付けをする場合には、化粧掛け、はけ目、彫り、飛びがんな、イッチン、印花又は張り付けによること。


    下絵付けをする場合には、線描き紋様、ぼかし、イッチン又は絵付けによること。この場合において、絵具は、「呉須絵具」、「鉄絵具」、「あめ絵具」又は「銅絵具」とすること。


    釉掛けは、浸し掛け、流し掛け、はけ掛け、筒掛け、櫛目掛け又は掻き落としによること。この場合において、釉薬は、「柿釉」、「並白釉」、「黒釉」、「緑釉」、「青地釉」、「飴釉」、「糠白釉」、「ナマコ釉」又は「イラボ釉」とすること。

    原材料

    使用する陶土は、「笠間粘土」、「蛙目粘土」又はこれらと同等の材質を有するものとすること。

  • 作業風景

    鉄分を含んだ赤褐色の粘土ををおもに使用し、温かみのある製品をひとつひとつ作り上げる笠間焼、ここではその笠間焼の工程を紹介します。

    工程1: 原土採掘

    山や畑の地下にうずもれていた粘土を掘り出す。笠間粘土、蛙目粘土、高萩蛙目粘土、北茨城軟質粘土などが使われます。

    工程2: 圷土工程(粘土づくり)

    掘り出された粘土をしばらくの間、野外で野ざらしにして水を混ぜ、ねり状にして粘土をつくります。水簸による粘土づくり、トロンミルおよびフィルタープレス機械による粘土づくりがあります。

    工程3: 菊もみ工程

    菊の花びらのように手でねり、空気をぬいて、水分の均一をはかります。

    工程4: 成形工程(形づくり)

    成形には、ろくろ成形(技法1.切りづくり2.玉づくり3.切りかえし4.つぎもの)、型起し成形(技法1.型取り法2.型おこし法)、手ひねり成形(技法1.ひねり出し2.紐づくり3.板づくり)があります。これらの方法により、いろいろな形をつくります。

    工程5: 素地加飾工程

    泥掛け、はけ目、彫り、飛びかんな、盛り上げ(イッチン)、紋様づけ(印花、張り付け)などの方法で素地に加工をほどこします。

    工程6: 乾燥工程

    片乾きにより、ひずみや亀裂を生じないように平均的に乾燥します。日陰乾燥、天日乾燥、熱風乾燥(人工)があります。

    工程7: 素焼工程

    よく乾燥した製品を窯に入れて約10時間から15時間、700度から800度で釉薬がかかりやすく、取り扱いがしやすいように素焼されます。

    工程8: 下絵付工程

    素焼された製品に、筆などに絵具、釉薬をつけ下絵を付けます。ほかにも半乾きのときに化粧土を泥状ににして表面にほどこしたり、また素地の面を板金などで削り取り模様を描いたり、模様を張り付けたりする製法があります。焼きあがり製品に上絵付して800度で焼き付ける加飾もあります。

    工程9: 施釉工程(釉薬をかける)

    素焼された製品に、釉薬(黒釉、白マット釉、灰釉、乳白釉など)をかけます。浸し掛け、流し掛け、はけ掛け、筒掛け、櫛目掛け、かきおとしなどがあり、ほとんど手作業で行なわれます。

    工程10: 本焼工程

    施釉された半製品を登り窯、ガス窯、電気窯、灯油窯などに入れて、約20時間、1250度から1300度で本焼されます。

    工程11: 仕上げ、検査工程

    窯だしされた製品をひとつずつ底をなめらかに仕上げ、割れなどがないかを調べ検査をとおったものが完成品となります。

  • クローズアップ

    伝統と自由な空気が調和する笠間焼

    江戸時代、安永年間(1772年~1781年)からの伝統を持つ笠間焼。伝えられたのは技術だけではない。土への慈しみ、絶え間ざる研究心、そして創造の喜びもまた受け継がれてきた。赤褐色の粘土をおもに使用し、独特の温かみのある製品を産み出し続けている。

     

    伝統、そして、それを基礎とした自由闊達な空気

    江戸時代、安永年間、箱田村(現在の笠間市)の久野半右衛門が信楽の陶工、長右衛門の指導で焼きものを始めた。半右衛門が築いた窯を娘婿の瀬兵衛が継ぎ、長右衛門の弟・吉三郎とともに盛り立て、今に継がれるような優れた焼きものを創り上げた。これが笠間焼の起源である。以来200年以上の師から弟子へ、親から子へと受け継がれてきた伝統と歴史を持つ笠間焼、意外にも格式ばった形式やお堅いしきたりなどはほとんどない。そんな自由な気風が伝統のなかにも個性あふれた新たな作品を産み出しつづけ、若い陶芸家も数多く活躍している。笠間焼に後継者不足といった声は聞かない。今回は若手の陶芸家の一人、額賀章夫さんにお話を聞いてみた。

    作品の一つを持つ額賀章夫さん

    使って頂くお客様への思いやり

    自由闊達な気風、若手の陶芸家も多いと聞いて、創作意識の強い芸術家肌の陶芸家のイメージを頭に描いていた。しかし、そんな先入観は額賀さんにお会いしてもろくも崩れ去った。「雰囲気の良い作品、お客様が使いやすい作品を目指しています。」美術的センスだけでなく、お客様に使って頂く以上、親しみやすく、使いやすいものであるべきだ。そんな信念をお持ちの額賀さん。彼の作り出す作品は、ご本人同様、柔らかなぬくもりがある。そして、実際の使い心地も最高である。コーヒーカップを手に取ると、そのフィット感に思わず感激してしまった。今までに、ここまでしっくりくるコーヒーカップに出会ったことがなかった。食器や花瓶、コーヒーカップなど、ふだん何気なく使うものを多く作り出している笠間焼、決して押し付けではないお客様への思いやりの心。この心こそが笠間焼の真髄である。

    実によく手にフィットする額賀さん作のコーヒーカップ

    伝統は創作の母である

    自由であるといっても200年近い伝統はしっかりと受け継がれている。自由闊達な気風は伝統を壊すものではなく、逆にその継承のための大きなエネルギーとなっている。額賀さんも笠間焼の過去の歴史・作品を自分自身でかみしめることで新たな創作の源としている。新しい物を創作していく生みの苦しみは絶えず陶芸家を苦しめる、そんな時支えになるのは、お客様の存在、そして受け継がれてきた伝統なのである。

    笠間に行ってみよう

    焼きものの里、笠間。笠間市内には数多くのギャラリーがあり、実にさまざまな笠間焼の世界が気軽に楽しめる。日常生活のなかで気軽に使えそうな、手ごろな作品から、フォーマルな場所に似合う作品。かわいい模様のものがあったり、素朴な雰囲気のものがあったり、ちょっとした記念日に似合いそうなお洒落なものまで。実に個性とバリエーションにあふれている。笠間駅前でレンタサイクルを借り、のんびりとギャラリーめぐりをしてみるのも良いだろう。ちょっと郊外に出れば小鳥のさえずる豊かな自然の空気も満喫できるし、観光名所も多い。もっと深く、笠間焼を感じたいという人は笠間芸術の森公園に行くといい。さまざまな作品を集めた茨城県陶芸美術館、陶芸体験の出来る笠間工芸の丘などがある。

    額賀さんの作品と人柄にほれ込み額賀さんのもとで修行する森永さん

    職人プロフィール

    額賀章夫 (おおやただひろ)

    1963年生まれ。
    東京造形大学時代に焼物に興味を持つ。
    使いやすさ、よい雰囲気のもの、使っていただくお客様への思いやりをこめて作り続けている。

    こぼれ話

    笠間焼の世界

     

    • 2001年笠間市にオープンした滞在型市民農園クラインガルテン

     

     

概要

工芸品名 笠間焼
よみがな かさまやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 洋食器、和食器、花器、置物
主要製造地域 笠間市、水戸市、石岡市、常陸太田市、ひたちなか市、筑西市他
指定年月日 平成4年10月8日

連絡先

■産地組合

笠間焼協同組合
〒309-1611
茨城県笠間市笠間2481-5
TEL:0296-73-0058
FAX:0296-73-0708

http://www.kasamayaki.or.jp/

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

笠間焼には、200軒ほどの窯元や、陶芸作家、販売店があります。主として手作りの製品で個性的なものや、これまでになかった新しい感じのするものから伝統的なものまで、色々な感性の作品が共存する特異な産地として注目をあびています。

作り方

笠間焼は、原料の陶土に鉄分が含まれているため、そのままだと赤黒い陶器になります。そこに絵付けや、白い土を水で溶かしたものを使って飾りを施すことで、色々な表情のある作品を作り出しています。作り方は手作りで、ろくろ、たたら、ひねりだし等の方法で作ったものが多く見られます。

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