読谷山ミンサー

沖縄県

始まりは読谷山花織と同時期で、南国の影響が強い製品です。一時、生産が途絶えてしまいましたが、昔のことを良く知っているお年寄りによって復活されました。
ミンサーとは細い帯を意味しています。

  • 告示

    技術・技法


    次の技術又は技法により製織された紋織物とすること。

     
    (1)
    先染めのたてうね織りとすること。

     
    (2)
    よこ糸の打ち込みには、「手投杼」を用いること。

     
    (3)
    紋は、「紋棒」又は「花綜絖」を用いて表わすこと。


    かすり糸を使用する場合には、かすり糸の染色法は、「手くくり」によること。

    原材料

    使用する糸は、綿糸とすること。

  • 作業風景

    読谷山のミンサーは、花や縞の柄が全面に浮き出ています。これは竹串を使って浮かしたい部分の経糸(たていと)をひろい、紋を作る「グーシバナ」という技法によるもので、読谷山ミンサーの大きな特徴です。全体の流れは、デザイン、絣括り、染め、整経、織りとなっています。

    工程1: デザイン

    方眼紙に色えんぴつで図案を描きます。基本になるのはジンバナ(銭花)、カジマヤー(風車)、オージバナ(扇花)の三つの花柄です。これをアレンジした30種余りの幾何学模様と絣や縞を組み合せて模様を考えます。

    工程2: 絣括り(かすりくくり)

    絣になる部分の経糸を糊付けして引っ張り、乾かします。染めたくない部分を木綿糸で括っていきます。木綿は水分を吸うとしまるので、染料が入りこみにくいのです。8ミリ、6ミリ、1センチの幅で、それぞれ等間隔に括ります。括り終わったら染色します。フクギ、テカチ(車輪梅)、グール(サルトリイバラ)、シイ、琉球藍などを染料に使います。

    工程3: 糸繰り

    糸を使いやすくするため、綛(かせ)に巻き、ボビンに巻きます。

    工程4: 整経

    織り幅とミンサーの長さを整える作業です。経糸の本数と長さを引きそろえます。1センチの幅に32本の糸が入ります。

    工程5: 仮筬(かりおさ)通し

    整経した糸を織りたい幅の筬に通していきます。上糸と下糸の2本をひと組にして筬の目に通します。ミンサーの10センチの幅なら、320本通します。

    工程6: 経巻(たてまき)

    筬を通した糸を引っ張って整え、巻いていきます。張力が均一になるように気を配ります。

    工程7: 綜絖(そうこう)通し

    筬をいったんはずして、綜絖に通します。糸を1本ずつ前後に分けて通していきます。これで経糸の間に緯糸がきれいに入ります。

    工程8: 経巻(たてまき)

    筬を通した糸を引っ張って整え、巻いていきます。張力が均一になるように気を配ります。

    工程9: 織り

    浮かしたい部分の経糸を竹串でひろうグーシバナの技法で織っていきます。

     

  • クローズアップ

    花や縞の柄が一面に浮き出したミンサーは、花織で知られる読谷山らしい細帯

    藍染めが基本だが、今では色とりどりのものが作られている。読谷山で染色を手がけている新垣さんにこれまでの歩みをきいた。

     

    沖縄の各地で織られている伝統の帯

    ミンサーの「ミン」は木綿、「サー」は狭いを意味している。この細帯は、読谷山のほか、首里、八重山、与那国と、沖縄のいくつかの地方で今も織られている。藍染めで幅10センチほどのものが基本だが、土地によって模様や技法が少しずつ異なる。
    読谷山のものは、紺地に花や縞の柄が浮き出ている。竹串を使って経糸(たていと)をひろいながら紋を作る「グーシバナ」という技法だ。東南アジアの紋織りの影響が強い。琉球王国時代に広まり、明治時代には途絶えたが、花織とともに現在は復活している。
    沖縄では織物にたずさわる人は女性が圧倒的に多い。その中で、染めだけは男性が担当していることが少なくない。ミンサーと花織の染色を27年にわたって続けている新垣隆さんにお話をきいた。

    黙々と染色に取り組む新垣隆さん

    復活への険しい道を歩んだ読谷山の染織

    大学を卒業して間もないころ、新垣さんはミンサーも花織も知らなかった。どちらも絶滅寸前で、お年よりの記憶にかすかに残っているくらいにまで衰退していたのだ。読谷村が復興に取り組み始めたのは1964年。当時は高度成長の真っ只中だった。大量生産の時代になぜ手織りを守らなくてはいけないのか、という声は強く、道はけわしかった。織り機も満足になければ、染めの知識を持っている人もいない。大学で化学を専攻していた新垣さんに白羽の矢が立った。
    「私が始めたのは昭和48年です。化学をやっていたから、染料と媒染剤がどんな化学反応を起こしてなぜこの色が出るのか、といったことが理解できたんです」
    経験や勘だけでなく理論を知ってる新垣さんの存在は、回りの人にも頼もしかったにちがいない。
    それでも苦労は絶えなかった。頭では分っていても、大量の糸を一度に染めるとなると、要領がつかめない。奮闘するうちに糸がぐちゃぐちゃになり、織る人から「この糸では糸繰りができません」と言われたこともあった。

    今や製作が追い付かないほどの人気

    製品が売れないことも悩みの種だった。問屋との付き合いもないし、どこへ持っていけばいいのかわからなかった。
    綿から絹に重点を移したり、帯の柄を工夫したりして、消費者の好みを探った。色物も増やしていった。沖縄では昔、首里の士族のみが色物を着ることができた。庶民は黒と紺しか許されなかった。ミンサーも花織の着物も紺が基本である。展示会でお客の声に耳を澄まし、いろいろな色を染めるようになった。
    手織りを守り続け、さまざまな努力が実った結果、今では製作が追い付かないほどになった。
    「全国で伝統工芸が後退していく中、徐々に、堅実ではあるが伸びていっているのがうれしいですね。去年は組合で1億3千万円の売り上げがありました。村内には三カ所の地域工房があって、みんなが利用しています。産地がまとまっているのがよいのでしょう」
    後継者も順調に育っていて、新しい作品が次々と生まれている。

    職人プロフィール

    新垣隆 (しんがきたかし)

    1949年生まれ。読谷山花織事業協同組合理事長。後進を育てながら染色に取り組んでいる。

    こぼれ話

    身近なところで新たな染材を見つけたい

    読谷山では、草木染めを行っています。深い紺色は琉球藍で染めます。黄色はフクギの木の皮を、茶色はテカチ(車輪梅)の幹を割ったものを、それぞれ大鍋で煎じます。染液に糸をひたして、きれいな色になるまで繰り返し染めます。ほかには茶色が出るグール(オキナワサルトリイバラ)や、ベージュになるシイの木を使います。鉄、石灰など、何で媒染するかによって染まる色は変わってきます。
    染色の材料は自生しているものを使います。先日は読谷山花織事業協同組合の組合員約100名が集まって、山にグールを掘りにいきました。一年分をまとめて採取します。グールは芋のようなもので、乾燥すると使えなくなるので、地中に埋めて保存します。
    30年近い経験を積んだ新垣さんは、まだまだやりたいことがいくつもあるようです。
    「伝統工芸の色は、やはり地元のものを使うのがいいと思うんです。草木はほとんどみんなやっていますから、別のものに挑戦したい」読谷の特産品の紅芋や、近くの海でとれる海草などが使えないかと考えています。

    • 草木で染め上げられた糸

     

概要

工芸品名 読谷山ミンサー
よみがな ゆんたんざみんさー
工芸品の分類 織物
主な製品
主要製造地域 中頭郡読谷村
指定年月日 昭和51年6月2日

連絡先

■産地組合

読谷山花織事業協同組合
〒904-0301
沖縄県中頭郡読谷村字座喜味2974-2
TEL:098-958-4674
FAX:098-958-4674

http://www.yomitanhanaori.com/

特徴

先染めの綿の絣糸を素材とした紋織物で、南国特有の色彩感覚に満ちた柄模様で知られています。模様には、グシバナ、綜絖花(そうこうはな)、絣等があります。

作り方

緯糸の打ち込みには手投げ杼(ひ)を使い、紋織物は紋棒または花綜絖を用い、絣糸を使う場合の絣糸は手括(くく)りで染色する等、技術は読谷山花織とほとんど同じです。

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