備前焼

岡山県

備前焼の歴史は古く、平安時代にすでに作られていました。日本六古窯の一つに数えられ、千年の歴史を持つ陶器(厳密には「せっ器(「せっ」は火へんに石)」)として全国的に有名です。
室町時代末期頃からその素朴さが、茶人たちに愛され、茶道具が多く作られるようになりました。
江戸時代に入ると藩の保護もあり、全国に広まりました。昭和の初期「備前焼の中興の祖」と言われた金重陶陽や藤原啓、山本陶秀が人間国宝の指定を受ける等、順調な歩みを続けました。

  • 告示

    技術・技法


    成形は、ろくろ成形、たたら成形、押型成形又は手ひねり成形によること。


    素地の模様付けをする場合には、へら目、櫛目、透かし彫り、はり付け又は「彫り」によること。


    塗り土をする場合には、「とも土」によること。


    火だすき、「胡麻」、「桟切」、「牡丹餅」、「伏せ焼」又は「青備前」を焼成により出現させること。

    原材料

    使用する陶土は、「ヒヨセ粘土」、「長船黒土」、若しくは「山土」又はこれらと同等の材質を有するものとすること。

  • 作業風景

    工程1: ヒヨセ(粘土質の土)の採取

    ヒヨセと呼ばれる粘土質の土を、水田の底を2~3メートル掘り下げたところから採取します。備前の土は粘り気が強く、鉄分がバランス良く含まれているのが特徴です。

    工程2: 菊ねり

    精製した陶土を練り上げ、粘土を均一にすると共に中の空気を抜くために行うもので、その後、成形に入ります。菊の花のように練り上げるところから菊ねりと呼びます。慣れなければかなり体力がいる作業となります。(土ねり3年とも言われる年季の要る大切な作業です。)

    工程3: 成形

    (1)手ひねり
    成形台の上に積み上げ、目的の形に練り上げます。急須など独特の形をしたものは大まかな成形後、細かな成形に入ります。最後にあらかじめ成形したふたを合わせます。陶彫(とうちょう)は、手ひねりの変形として置物を作る成形手法。鳥やウサギ、動物、人物など具体的なものを造形する時などを言います。最近は備前の手法を使って抽象的な造形や前衛的な作品に取り組む作家も出てきました。

    (2)ろくろ
    ろくろには手ろくろ、蹴ろくろ、電動ろくろがあります。
    手ろくろ:回転するろくろ台の上で陶土を回転させながら成形する方法。かつては手ろくろが主流でした。
    蹴ろくろ:足で蹴って回転させるろくろ
    電動ろくろ:最近は、ほとんどの作品が電動ろくろを使っていますが、微妙な調整が可能となりましたので、それぞれに特徴ある作品を創造していくことができます。
    別に、仕上げ(成形)ろくろがあります。

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    工程4: へら遣い

    ろくろによる成形後、さまざまな文様を刻み込んでいきます。備前では、絵を描いたり釉薬(ゆうやく)を塗ったりはしません。置物、細工物で型から作る物も最後は成形ろくろの上でへらにより仕上げられるのがほとんどです。

    工程5: 窯詰め(かまづめ)

    全てを炎に委ねる備前焼では作家は焼き上がりの姿をイメージしながら窯詰めに最大の工夫をしていきます。窯焚きの前に、わらを巻くもの、巻かないものなど、形状が同じものをたくさん置かずに、様々な形のものをバランス良く配置します。のぼり窯の構造にはウド、一番窯、二番窯、ケド、けむり遊びなどがあり、それぞれに部屋によって焼き上がりは異なります。これが備前焼の大きな特徴です。

    工程6: 火入れの儀式

    作品の善し悪しは焼き加減によって決まるため、火入れは吉日を選んで神に祈り、慎重に行います。祝詞をあげ、清めたあと、情熱を込めて行う緊張の一瞬です。

    工程7: 焼成

    十分に乾燥させた赤松の薪を入れ、焚き続けます。窯の大きさにより焚く日数は異なりますが10~15日間ずっと作家は窯の前から離れずに、火色を見つめながら火と格闘します。炎は赤からオレンジ、白へと変化し、窯の中では壮絶なせめぎ合いが繰り返されていきます。
    途中炭による「窯変」をねらって木炭を入れることもあります。炎の作る文様は置かれた場所の違い、炎のあたり方、灰の降りかかり具合で、一つとして同じものはありません。

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    工程8: 窯出し

    窯出しは、炎との戦いを終え、誕生した焼きものを取り出す最も緊張する瞬間です。作家にとっては悲喜こもごもの思いが錯綜する複雑な時間でもあります。ここで作品として出すものを選別します。

    工程9: 仕上げ

    ペーパーヤスリや紙ヤスリ、石で磨かれ、水で洗われて、器など水洩れ試験をして作品として完成します。

  • クローズアップ

    1000年の伝統を越え、今も土と炎がせめぎ合う備前

    古墳時代から作られた、須恵器をルーツとする備前焼。日本を代表する伝統窯には備前、瀬戸、常滑、丹波、信楽、越前があり、六古窯(ろっこよう)と言われるが我が国で最も古い窯である。
    うわぐすりをかけずに、良質の陶土を昔ながらの松割木を燃料にしてじっくりと焼き締める。土と炎の出会い、その融合によって生み出される素朴な肌合い。地味で飾り気はないが存在感を持って頼もしく語りかけてくる。日本美の原点といわれるゆえんである。

     

    自然ありのままの美しさが備前の特長

    伝統的工芸品に関しては知識があまりない人でも一度はその名を聞いたことがあるのではないだろうか。1000年にも及ぶ歴史を持ち、今だに人々を魅了して止まない秘密は何なのだろうか。そこのところを備前焼作家であり、協同組合岡山県備前焼陶友会元理事で備前焼伝統工芸士会会長でもあった堀江祥山さんに伺った。数々の受賞歴を持つ、この道50年以上のベテランである。「備前焼は粘土、作り、焼き方の三拍子が揃って始めて良い物ができます。備前焼の命とも言える土は田んぼの底から取れるので田土(たつち)と呼ばれていますが、ここでしか取れません。鉄分を多く含み、粒子が細かく、粘り気があります。」通常、冬の間に掘り出し、1~2年ほど風雨にさらした後、山土と黒土を混ぜ合わせて使用するそうだ。これを釉薬(ゆうやく)をかけずに長時間ゆっくりと赤松を使って焼き締めることによって備前特有の土味の自然美が生まれるのである。

    菊の花のようにねるので菊ねりという。作品の善し悪しに関わるので丁寧にしっかりと行う

    風土と歴史そして地理的要因が備前焼を広く世に知らしめた

    「備前焼は古墳時代の須恵器の製法から発展し、平安時代には陶工達が邑久からここ伊部に多く移り、現在の原型ができ上がったと言われています。ここ伊部に陶工が移ってきたのは、良質の粘土や赤松の木、温暖な気候など優れた作品づくりに欠かせない条件を備えていたこと、更に山陽道沿いで又海路も近かったなどがあげられます。鎌倉時代初期から後期にかけてさらにその特徴を備え、室町時代からの茶道の流行で一躍世にでました。」特に桃山時代には豊臣秀吉が「わび」「さび」の趣ある風合いを好み、備前焼を推奨したため、茶陶の名品が多く作られ、最も隆盛の時を迎えたという。陸海の交通手段を合わせ持っていたことも、広く世に流通させる要因になったそうだ。その後、江戸時代に入ってからは藩主池田光政が備前焼を保護、奨励し窯元から名工を選び、ご細工人として扶持を与え、酒徳利、水がめ、すりばち、種つぼなどの実用品が多量に生産され、備前焼が生活に入っていったのもこの頃だそうである。

    できあがった作品。ひとつひとつが伝統の見事さである

    ひとつとして同じ物ができない備前焼、磨きつづけたい伝統の技

    「備前焼は、炎のあたり方や灰の降りかかり方で器の表情を出します。だから窯の中での器の置き方の少しの違いで焼き具合が違ってしまいます。炎を満遍なく通し、独特の表情を出すには窯の中に色々な形の器を、少しずつ、バランス良く置かなければなりません。それにはでき上がった作品を全て焼くわけではなく、焼くかどうか選別します。しかも備前焼は粘土の関係で鋳込生産ができないことから、1点ずつ手作り(ろくろ成形も含め)です。だから大量生産はできないのです。」
    窯焚きは堀江さんのように伝統的登り窯を使っていると、焼き入れは年に一度か二度だそうだ。だから半年かけてその日のために作品づくりに全身全霊を傾ける。失敗したら半年間の努力が全て水の泡となる厳しい世界だ。そういう意味でも作った作品を全て焼きたいと思うのが人情だが・・・。

    • 窯詰を待つ作品、どのような色合いになるのだろうか

    • 伝統的登り窯。その大きさに圧倒される

    「今まででこれはよくできたと満足できるものはひとつあるか、ふたつあるかです。その時はよしと思っても翌日になれば駄目だと思う物もある。作れば作るほど満足できなくなります。この奥の深さがこの焼きものの面白さです。いつまでも勉強ですね。」この日は実際に土練りとろくろを回していただいたが、粘土に触れた瞬間に表情が一変したのには驚いた。その手際の鮮やかさにも。帰り際に、素晴らしい器をいただいた。飲み口にざらざらが少しあったようでその部分を熱心にヤスリで磨きをかけながら「これで渡して唇を切ったら、備前の名折れになるからね。」穏やかな口調ながら、その言葉には熟練の職人だけが持つ真剣さと伝統を守る工芸士の責任の重大さを感じた。こうして、受け継がれた伝統が備前焼を愛する人々の心をとらえて離さないのだろう。

    職人プロフィール

    堀江祥山 (本名寛之)

    1923年、岡山県勝田町生まれ。
    1937年窯元に入り、1964年窯を築き独立。細工物に精通。
    現在は花器類、茶陶を主に制作。時には置物も。備前陶心会初代会長。岡山県備前焼陶友会理事。受賞歴優秀技能者岡山県知事表彰、労働・通産大臣表彰、伝統展、支部展、日陶展、県展入選。

    こぼれ話

    主な窯変

    備前焼といえば窯変(ようへん)で知られます。窯変とは、窯の中の状況によって器の素地や自然の釉薬が偶然に起こす変化のことです。偶然に生まれる自然の作用は、様々な文様を描き出していきます。

    主な窯変をご紹介します。
    胡麻(ごま)
    窯焚きのときに薪の灰が器に降りかかり、高温で溶けて自然釉(しぜんゆう)となったもの。ゴマをまぶしたように見えることから。さらに釉がかかって流れた物を「玉だれ」という。桟切(さんぎり)
    器が窯に置かれたときに炭などに埋もれてしまい、直接炎があたらなかったために、その部分が還元焔焼成されて灰青色や暗灰色になったもの。火襷(ひだすき)
    窯詰めの際に器どうしがくっつかないよう巻いたわらに含まれるアルカリ成分と、素地の土の鉄分とが化学反応を起こし、器表面に赤褐色の筋模様が生じたもの。緋襷とも書く。牡丹餅(ぼたもち)
    大型の器の上に小さいものを載せて焼くとき、そこだけ火と灰が直接当たらないため、載せた器の形に赤く模様が現れたもの。「饅頭抜け」とも呼ばれる。青備前(あおびぜん)
    ふつうは酸化焼成で赤っぽく焼けるが、窯の中の位置などによって還元焼成となり、素地の鉄分が変化して青みがかった焼き上がりとなったもの。人工的に青備前の焼成をすることもある。

     

概要

工芸品名 備前焼
よみがな びぜんやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 食器、酒器、茶器、花器、置物
主要製造地域 備前市、岡山市、瀬戸内市
指定年月日 昭和57年11月1日

連絡先

■産地組合

協同組合岡山県備前焼陶友会
〒705-0001
岡山県備前市伊部1657-7
TEL:0869-64-1001
FAX:0869-64-1002

http://www.touyuukai.jp/

■海外から産地訪問
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備前焼~産地訪問記事

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

素朴で重厚な作風、土味の持つあたたかさ、使い勝手のよさに特徴がありますが、最大の特徴は窯変(ようへん)にあると言えます。焼く時の窯の中の状態によって、焼き物の色や表面が変化する自然の産物である窯変のために、備前焼は全く同じ作品がニつと作れない自然の芸術となっているのです。

作り方

備前焼は釉薬(ゆうやく)を使わず、絵付けもしないで、焼き上げます。窯は登り窯で、燃料には赤松を使用し、約1230度の高温で、窯の大小により期間は異なりますが、約2週間前後薪を焚き続けます。その間、窯の中で作品の表面が、高熱と炎や灰などの作用を受けて変化するのが窯変です。

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