小石原焼

福岡県

17世紀、江戸時代前期に黒田藩藩主によって開かれた、筑前最初の窯です。
当初はその地名から「中野焼」と呼ばれ、大型のかめ、壷、徳利等の磁器を焼いていましたが、18世紀初めから陶器が焼かれるようになり、小石原焼と呼ばれるようになったと言われています。

  • 告示

    技術・技法


    成形は、ろくろ成形によること。


    「生掛け」による釉掛けをすること。


    模様付けをする場合には、「飛びかんな」、「櫛描」、「はけ目」、「指描」、「打ち掛け」又は「流し掛け」によること。

    原材料


    使用する陶土は、「小石原陶土」とすること。


    使用する化粧土は、「小石原化粧土」とすること。


    「生掛け」に使用する長石は、「赤谷長石」とすること。

  • 作業風景

    小石原焼の特徴は陶土の上に化粧泥という白い土をかけ、さまざまな技法で文様を彫るところにあります。刷毛目の大皿、生乾きの時に文様を入れる飛びかんな、櫛で文様を入れる櫛目など、今も変わらない技法には素朴な味わいがあります。

     

    工程1: 原土掘り

    もともと小石原には陶土に適した土が豊富に採れており、現在もそれは変わりません。

     

    工程2: 土乾燥

    採った土をいったん乾燥させます。

     

    工程3: 粉砕

    谷川の水を利用して、採取してきた土を細かく砕く機械“唐臼(からうす)”などを利用して細かく砕きます。昭和40年頃までは、小石原では約30基の唐臼が現役で動いていました。
    ギーゴトン、ギーゴトンと唐臼をつく音は、昼夜を問わず谷川にこだまします。

     

    工程4: 土こし

    細かく砕かれた土は、水槽でよくかき混ぜ、何度も何度も濾していきます。土はだんだんときめの細かい、粘りのある土へと変わっていきます。

     

     

    工程5: 脱水

    水分を含んだ土を脱水します。

     

    工程6: 土練り

    作陶にかかる前に、土を徹底的に練りこみます。土を練りこむ際、菊の花びらの形のように細かく練りこむため、この作業は“菊練り”と呼ばれます。菊練りは土の中の空気を追い出すとともに、作る製品が必要とされる粘りと硬さを出していくのです。

     

    工程7: 土こね

    粒子の粗密の均一化、水分の濃密度の平均化と陶土内の気泡を完全になくすため、手仕事で丹念に行われます。

     

    工程8: ロクロ成形

    土ができあがるといよいよ形つくり工程になります。ここではロクロを使用します。電気がなかった時代は、足で蹴ってロクロを回していました。それを“蹴ロクロ”といいます。現在では、電動ロクロが主ですが、レバー調節で回る速度を自由に調節することができます。
    手法についてですが、陶土を両手で棒状に長く伸ばします。伸ばした陶土を丁寧にこねながら上へ上へと積み重ねていきます。これを“練りつけ”の手法といいます。次は“引きづくり”の手法です。ロクロの上の陶土で一つの製品を作り、それができあがったらひもで切り取り、残った陶土で次の製品を作っていく手法です。ロクロの上に置かれた陶土からいくつもの製品を作っていきます。一個の陶土から一個の製品を作る手法を“たまづくり”といいます。またロクロを使わずに作る手法を“ひもづくり”とか“手びねり”といいます。

     

    工程9: 半乾燥

    形づくりが終わると、天日で乾燥させ、次の工程に入っていきます。天日干し風景は小石原村の風物詩です。

     

    工程10: 化粧掛け

    半乾きの状態でいろいろな道具を使って、細工を施していきます。「飛びかんな」「刷毛目」「櫛目」「指がき」などの手法があり、小石原焼の特徴でもあります。

     

    工程11: 削り

    化粧土をかけた品物を回転させながら、わんきょくした鉄片をあてていきます。その鉄片が跳ねて、とびとびの削られた文様が品物に入っていきます。これは「とびかんな」という手法です。この鉄片はなんと、昔からある“ぜんまい時計”に使われるぜんまいです。それを各陶工が自分の手に合うように削りを入れて使いやすい道具に仕立てています。熟練を要する手法です。
    また素地に化粧土を施し、ロクロで回しながら、刷毛で等間隔にパタパタとはたいていき、独特の文様を入れていく手法を「打刷毛目(うちはけめ)」と言います。スポイトに化粧土を入れ、自由に文様を描いていきます。「いっちん書き」と言います。これらは、いずれも小石原焼オリジナルの手法です。

     

     

    工程12: 素焼き

    絵付、施釉をしやすくするために素焼きを行います。

     

     

    工程13: 釉薬かけ

    釉薬は焼物の表面をガラス状の皮膜で薄く包みます。焼物に光沢を与え、美しく見せ、水の浸透を防ぐ役割もあります。小石原焼の釉薬の原料は、地元で採れる“わらばい・もくばい・ちょうせき・さびつち”などです。陶工たちはこれらの釉薬を独自の配合をすることにより、窯元特有の色を出しているのです。
    釉薬かけは、天日で乾した後の半乾燥状態でやる場合と、素焼き後にやる場合とがあります。小石原焼独自の釉薬かけの手法として、ひしゃくを使って、むらなくかけていく“ひしゃくがけ”、酒ずきなどの小物に釉薬を入れ、製品の表面にいっきにかけていく“打ち掛け”。様々な計算できない模様が生まれます。“流し掛け”は口の小さな入れ物に釉薬を入れ、その入れ物から陶器に等間隔に釉薬を流していきます。その釉薬の流れ具合が品物の味を決定していきます。

     

     

    工程14: 本焼き

    いよいよ焼成です。窯は「登り窯」を使います。最近ではガスや電気の窯も多く使用されています。登り窯の長さは平均20メートル。窯は4・つあります。・ 窯に品物をつめていく時、最も難しいのは品物の配列です。奥の方から、溶けやすい釉薬がかかった品物を置き、また品物同士が触れ合わないように、棚足や棚 板で配列していきます。そして窯に火が入ります。一番下に焚き口があり、段々と上に焚き上げていきます。一番下の焚き口でおよそ15時間炊き続け、窯の温 度が1000度くらいになると、横の焚き口から薪を投入する「横焚き」にはいります。「横焚き」は薪を奥から手前とむらなく入れていきます。経験が要求さ れる仕事です。窯の温度が1300度くらいになると、さらに上の窯の「横焚き」にはいっていきます。火入れから焚き上げまで、およそ40時間。根気と体力 のいる不眠不休の作業が続きます。
    焚き上がりからおよそ一週間、窯を冷やして、いよいよ窯から製品を取り出す「窯出し」になります。陶工にとっての窯出しの瞬間は、いつも期待と不安が交錯します。陶工の心は踊ります。棚に炎の温もりを感じながら、心をこめて製品を取り出します。

     

     

    工程15: 検品

    素焼きしたものにキズなどがないか検品します。

     

    工程16: 完成

  • クローズアップ

    伝統の技が、土の温もりを伝える、小石原焼

    神話と伝説の故郷、英彦山(ひこさん)の山麓で、四季むらさきの陶煙をあげる登窯。
    ひと塊の陶土は、ロクロの上で形となり、熟練の手業によって飾られ、炎によって永遠の命を授かる。

     

    小石原焼の歴史とその特色

    天和2年(1682年)開窯された小石原焼は、大型の甕、壷、鉢、すり鉢といった荒物製品から、日用の食器類まで、昔から変わらない素朴さが好まれている。そして、この小石原焼には、飛びかんな(生乾きのときに硬い金属のはねで文様を彫る手法)、櫛目(櫛で文様を入れる手法)、はけ目(刷毛で文様を入れる手法)、指描、流し掛け、打ち掛けなどの独特の技法が生きている。ここ小石原では古来から、多くの陶工や窯元は、そんな伝統の技を大切に受け継ぎながら小石原焼の発展を願って、さらに新しい作風の確立をめざしているのである。今回は、小石原焼の伝統工芸士である、熊谷泰生さんにお話をうかがった。

    自分の個性を表現することが小石原焼の命

    春の日差しが暖かいご自宅の作業場の前庭で、熊谷さんは半乾きの陶器を天日で乾燥させていた。開口一番「こういう具合に裏返しで、乾燥させんとこれくらい日が強くなったら、日の当る強さで、陶器が変形してしまう。」とあいさつもそこそこに、いきなり、力強く自分の作品の説明に入っていった。髭のよく似合う、いかにも個性的な伝統工芸士である。土の香りがする作業場。山の斜面を利用して作られた登り窯。川の水を引いて陶土をつくる唐臼。小石原村のすべてから、何百年も前からの息使いが伝わってくる。熊谷さんは「私はもともと、陶工ではなかったんですよ。学校を出て最初は、サラリーマンをやってましてね。その後、寿司職人もやりました。遠縁のおじさんが、陶工でしてね、ある時遊びにいったら、『おまえ、食べ物を作るのも、食器を作るのもそんなに替わらんぞ。同じ”作る”なら、ずっと大切にしてもらう物を作るほうがええぞ。俺の仕事を手伝え。』と私を誘うのですよ。この世界には、軽い気持ちで入ったというのが正直なところですな。しかし、そう甘いもんじゃないですよね。その親方には、鍛えられましたよ。『おまえは人より、何年も遅れて入ってきたのだから、人の何十倍も何百倍も死に物狂いで、頑張らんと一人前にはなれん』と口うるさく言われましたね。私も負けず嫌いだったから、必死に打ち込みました。自分の思うようにいかずに、毎日夜中の3時くらいまで、一心にろくろにむかった時期もありました。陶器はただ、伝統技法を守るということだけではだめですよ。自分の作品に自分の何を表現するのか、自分の個性をどう表現するのかが、とても大切です。」と熊谷さんは熱く語ってくれた。

    ろくろにむかう熊谷泰生さん

    新らしさと伝統の融合、小石原焼

    小石原焼には20代の若者も多く従事している。多くの伝統工芸がその継承者不足で悩んでいるにもかかわらず、ここ小石原では地元の若者が誇りを持って、陶工の道を歩んでいる。熊谷さんのご子息も大学の芸術学部を卒業して、跡を継いでいる。
    「小石原の陶工は皆個性が強いけれど、家伝の秘法を頑なに守ることよりも、自分の技を若い人に伝えたいんですよ。」と熊谷さん。ベテランの職人が、各々得意な技術を、講習会や窯元の枠を越えて、若手や後輩に熱心に伝え、教えていっているのである。実際、弟子である息子さんから、今まで知らなかった技術を教えてもらうこともあるという。
    「60代、70代の人は円熟したベテランの個性を出し、若手は新しい感覚を伝統技法とうまくマッチさせて自分の個性を表現していく。双方が刺激を受けながら、時代の要望をとらえて、そして、基本的な伝統技法は継承しながら、小石原焼は変化してきたのです。それが新しい小石原焼の伝統になっていくのです。」と熊谷さんは、息子さんの作った新しい感覚の焼物を指さしながら、暖かい笑顔で語ってくれた。
    庭の向こうには、しゃくなげの花が満開であった。

    職人プロフィール

    熊谷泰生 (くまがえやすお)

    昭和24年9月18日生まれ。
    昭和44年より作陶
    昭和58年九州通産局長賞受賞
    平成6年伝統工芸士になる

    個性を重視する伝統工芸士熊谷泰生さん

    こぼれ話

    小石原村の歴史と文化

    降り仰ぐ杉の木立に懐かしい、いにしえ人の声がこだまします
    ここ小石原は、修験道が盛んだった昔、山伏が英彦山(ひこさん)へ峰入するための最も重要な修行の場所でした。今でも村人によって、大切に守られている“行者堂”には、修験の始祖である「役行者(えんのぎょうじゃ)」の木彫り像が安置されています。また、行者堂の前には、石積みの護摩壇があり、近くには、「香精堂(こうせいどう)」「香水池(こうすいいけ)」など修験道に関する遺構や遺跡が数多く残っています。
    そして、行者堂を見守るように天をさして伸びる杉の巨木群。これは、修験者が峰入りするときに植栽したもので、樹齢300年から500年、50メートル以上もの大木に育ったこの杉を、人々は行者杉を呼び親しんでいます。

    行者の森の国境、西は筑前東は豊前小倉領
    行者杉が生い茂る行者の森の中に、苔むした境目石(さかいめいし)が二基、背中合わせに建っています。これは江戸時代、美しい行者杉の権利をめぐって、争いが絶えなかったといわれる筑前と豊前の間で、元禄14年(1701年)に国境争いが解決したときに、建てられたものです。それまでの国境にあった石像の境目観音は、そのまま行者の森のお堂で祀られ、新たに筑前では木造の境目観音を建立しました。しかし、この観音様は、たびたび盗難にあったため、藩命により浄満寺に移され、以来、境目石だけが長い歳月の間、国境を見守り続けています。

    • 樹齢300~500年の行者杉

    • 苔むした境目石(さかいめいし)

     

概要

工芸品名 小石原焼
よみがな こいしわらやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 かめ、壷、置物、飲食器
主要製造地域 朝倉郡東峰村
指定年月日 昭和50年5月10日

連絡先

■産地組合

小石原焼陶器協同組合
〒838-1601
福岡県朝倉郡東峰村小石原730-9
小石原焼伝統産業会館 内
TEL:0946-74-2266
FAX:0946-74-2266

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

刷毛目(はけめ)の大皿、飛び鉋(かんな)の壷等、加飾に特徴があります。現在も昔とあまり変わらない技法で壷、飲食器、花器等が作られています。

作り方

17世紀後半に確立した飛び鉋、化粧掛、刷毛目等の加飾の技術を施し、素焼を行わずに釉薬(ゆうやく)をかけ、焼き上げます。

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