技術・技法
1
もみがらの灰を用いて火のしかけ及び毛もみをすること。
2
「平目」をした後、「分板」を用いる寸切りをすること。
3
混毛は、「練りまぜ」によること。
4
「おじめ」には、麻糸を使用すること。
奈良の筆作りの歴史は、今から1200年程前、空海が唐に渡った時に筆作りの方法を極め、日本に帰った後その技法を大和国の住人に伝えたことに始まります。
明治時代以後は、学校教育の制度とともに全国で使用されるようになり、今日に至っています。
1
もみがらの灰を用いて火のしかけ及び毛もみをすること。
2
「平目」をした後、「分板」を用いる寸切りをすること。
3
混毛は、「練りまぜ」によること。
4
「おじめ」には、麻糸を使用すること。
1
穂の素材は、ヤギ、ウマ、タヌキ、イタチ、シカ、ネコ、ムササビ、リス若しくはテンの毛又はこれらと同等の材質を有する獣毛とすること。
2
軸の素材は、竹又は木とすること。
原毛を筆の細太、柔剛、長短などの用途別に分類し、分類した毛を先の毛、のど毛、腰毛等に選別します。
筆の原料となる原毛ですが、柔らかさと硬さが程よく、墨の含みがよい獣毛を10種類より、選びますが、その動物の種類や採取の時期、体毛の部位などによって、微妙に仕上がりに影響があります。千差万別の毛質を弾力、強弱、長短などを別に巧妙に組み合わせて作る製筆技術は、長年にわたる筆匠達の経験と研究努力から生まれるものです。
原毛に、くしを入れて綿毛を取り除き、よく混ぜ合わせます。
もみがらを焼いた灰をかけ、熱を加え、鹿皮で毛を巻き、よく揉み、油分を取り、くせを直し、くせの直った毛を指先で少しずつ抜き取り、毛先を揃え、準備します。
さらに、手金と手板を使い、毛先を揃えます。はんさし(刃のない小刀)で悪い毛を取り除きます。
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先揃えした毛を水に浸し、平たく整えます。
命毛に喉毛、腰毛を各寸法に切り、段々に組合わせ、形を整えます。よい筆を作る微妙な技術と熟練を必要とする大切な工程です。
重ねあわせた毛をむらのないように、入念に練り混ぜを繰り返し、先の悪い毛を除去します。
練り混ぜた毛(芯毛)に糊を加え、穂の太さに分けてコマという筒に毛を通し、太さを決めます。そして自然乾燥させます。
薄く延ばした化粧毛などのきれいな毛を、のり巻きのように、芯毛に巻きつけます。
乾燥した穂の根元を麻糸で縛り、尻を焼きゴテで焼き、強く締めます。この作業で穂首ができあがります。
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筆軸の内部を小刀で削り、穂を接着剤で取り付けます。
筆軸に取り付けた穂に、布海苔(ふのり)を充分しみこませ、糸を巻き余分な布海苔を絞り出し、形を整え乾燥させます。それにサヤをかけ、軸に筆名等を彫刻して完成させるのです。
我が国の筆作りは平安時代の初期に、弘法大師(空海)が遣唐使として入唐したしたことから始まる。空海自ら、清川という大和の国の住人に伝授したのが、奈良筆のそして日本の筆作りの最初だといわれている。
現在、筆に使用されている獣毛としては、羊毛、狸毛、ウサギ毛、猫毛など数十種類もある。またそれらは、生えている体の部分、刈り取る時期、産地等により弾力などが全く異なる。一般に中国産の筆は、原毛2~3種類を混合して作っているが、日本産の筆は、10種類前後の毛を混ぜて造筆する場合が多い。これは日本で生息している動物が、筆毛の対象としては少なく、そのうえ採取量も少ないため、いろいろな毛を混ぜて、その筆の特徴を出していくという、古来からの製作者の知恵が生きているということである。
藤井さんは、昭和5年生まれで、広島県の熊野町の出身である。熊野町は、現在も数量としては国内有数の筆の産地として知られている。そこでお父さんが筆の職人をやっており、跡を継ぐ形で熊野町で筆作りの道へ入った。若かったが、持ち前の熱心さでめきめき腕を上げ、もっと高いレベルで仕事がしたいと、日本一の筆をつくるため、17歳で奈良に出て来たのである。
当時を振り返って藤井さんは「まず筆そのものが全然ちごーとった(違っていた)。質も違うし、なにより、種類が何百種類もあるのにびっくりしたんですわ。奈良では書道の先生の好みに合わせて作るんですよ。わしゃ熊野では一人前じゃと思うて奈良へ来たけど、さすが奈良は日本一の筆所じゃと思いました。」と人懐っこい笑顔で語ってくれた。
「奈良に来ても師匠はおらんし、当時は誰も自分の技術を、親切に他人に教えることはせんかったもんな(しなかった)。じゃけど(けれども)なんやかんやと用事を作って、近所の先輩職人の仕事場に遊びに行くふりをして、その技を”目”で盗んだもんですわ。」「またその当時は、中国産の筆が最高の品質やったんで、そりゃ一人で朝から晩まで、研究して工夫を重ねましたよ。苦労?そんなもんは、ちっとも思ったことないですよ。ただ日本一いや世界一の筆を作りたい、とそのことばかり思ってましたからね。気づいたら50年以上も筆を作っとったということですわ。」と屈託なく笑う。
「職人のすべては”いいもの”を作ることにつきますわ。そして使ってくれた人がほめてくだされば、それが本望ですわ。」
筆作り50年の藤井孝一(ふじいこういち)さん
「一番の思い出は、昭和43年に皇太子殿下(現在の天皇陛下)そして昭和44年に浩宮徳仁殿下に、私の筆作りの技術を見ていただいたことですかね。そりゃ一介の筆匠(筆職人)の技を神様みたいな人が覗き込んで見てくれるんじゃけ、緊張もしましたが、うれしくもあり、光栄でしたよ。」
「今の皇太子さまは、見学予定が20分のところを1時間近くも見学されたんかな。よっぽど興味を持たれたんかな。ドキドキした感覚は今でも憶えてますよ。」とその時の記念写真を見せてくれながら、キラキラした目で語ってくれた藤井さんが印象的だった。
17歳の頃に志した”日本一の筆を作る”という夢は、周りから見ると見事に成就したように見える。しかし藤井さんは「この世界は奥が深い。50数年やっても未だに満足いく筆はできん。また年を重ねるごとに難しくなっていくもんですわ。」
「使う人に、本当に喜んでもらう筆をつくるまでは、私は仕事を続けますよ。それが私の夢でもあり、職人としての執念ですからね。それと一つだけ言わせてもらうと、『書の道』は日本人の心だと思うんですよ。文字の美しさを学ぶことは、とても大切なことだと思うんですよ。まあ私のもう一つの夢は、日本民族の文化としての”書の道”が復活することです。」
最後に日本民族の文化についての深みのある言葉をいただいた。
藤井さんの作業場にあった筆毛
こぼれ話
中国での筆の起源について
「筆」の起源をたどると、その昔は軸に竹などを用いない鋭利な石針状のものや、草木を叩いて刷状にしたものでした。次に紀元前400年頃、秦の始皇帝の時代、30万の兵を率いて匈奴(きょうど)を征討し、また万里の長城を築いたといわれる古代中国の将軍が、現代に近い筆を作ったといわれています。
時代が過ぎ、中国の戦国時代の古墳から竹の筒が発見され、そのなかに竹軸に動物の毛がついている筆が出てきました。現在使われている筆と同じ様式の物としては、おそらく最古のものであるとされています。
戦国時代から漢代に入り、竹に動物の毛を植えた今の筆に近いものが作られるようになり、それ以前の細い点線しか引けないものとは異なり、たっぷりと墨を含ませることも可能になり、書そのものにも一大変化と前進をもたらし、草書などの速写などもできるようになったのです。
時代は移り、晋から隋、唐になるにつれ、筆の軸は竹のみならず、色ガラスや象牙なども使われるよになり、金、銀、漆などさまざまな貴重な材料で作られましたが、その時代の筆で、現在、日本に残っている筆として最も有名なものは、752年の最初の大仏開眼に使われた「天平筆」で、今も正倉院御物として保存されています。
工芸品名 | 奈良筆 |
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よみがな | ならふで |
工芸品の分類 | 文具 |
主な製品 | 書道用筆 |
主要製造地域 | 大和郡山市 |
指定年月日 | 昭和52年10月14日 |
奈良毛筆協同組合
〒630-8016
奈良県奈良市南新町78-1
(株)あかしや内
TEL:0742-33-1015
FAX:0742-33-1015
ヒツジ、ウマ、シカ、タヌキ、イタチ、テン、ウサギ、リス等、十数種類の動物の毛が筆の原材料として使用されます。弾力、強弱、長短等千差万別な毛質を巧みに組み合わせて作ります。
筆に応じて、原料となる毛をより分け、灰でもみ、毛を寄せます。水に浸し、形を作り、混ぜ合わせ、芯を作り、上毛(うわげ)を巻きます。乾いたら麻糸で根元を焼き締めて穂首の出来上がりです。軸に入れ、接着剤を付け、銘を刻んで完成です。