江戸木目込人形

埼玉県 東京都

江戸時代中期に、京都上賀茂神社で祭事に使う、柳筥(やなぎばこ)の材料である柳の木の残片で、神官が、木彫の小さな人形を作り溝を付けて、そこに神官の衣装の残りの布を挟んで着せ付けたのが始まりだと言われています。
当初は賀茂で作られたため「賀茂人形」と呼ばれていましたが、衣装の生地を木の切れ目にはさみ込んで作るところから「木目込人形」と呼ばれるようになり江戸に伝わりました。

  • 告示

    技術・技法


    素地造りは、次の技術又は技法によること。

     
    (1)
    頭造りは、次のいずれかによること。

     
     

    「桐塑頭」にあっては、「地塗り」、「置き上げ」、「中塗り」、及び「切り出し」をした後、5回以上の「上塗り」をすること。

     
     

    「素焼き頭」にあっては、「中塗り」及び「切り出し」をした後、5回以上の「上塗り」をすること。

     
    (2)
    胴体造りは、「素地みがき」をした後、「地塗り」及び「筋彫り」をすること。この場合において、「ヌキ」は、「桐塑」とすること。

     
    (3)
    手足造りは、「地塗り」、「中塗り」及び「切り出し」をした後、5回以上の「上塗り」をすること。この場合において、「ヌキ」は、「桐塑」とすること。


    着付けは、筋みぞにのりづけをした後、目打ちを用いる「合わせ目」又は「重ね目」による木目込みをすること。この場合において、のりは、寒梅粉とすること。


    面相描きは、面相筆を用いて「目入れ」、「まゆ毛描き」及び「口紅入れ」をすること。


    毛吹きは、「スガ整え」をした後、「スガ吹き」をすること。この場合において、髪型は、「結上げ」、「割毛」又は「禿」とすること。

    原材料


    「桐塑」に使用する用材は、キリとすること。


    「素焼き頭」に使用する粘土は、白雲土又はこれと同等の材質を有するものとすること。


    着付けに使用する生地は、絹織物、綿織物又はこれらと同等の材質を有するものとすること。


    髪に使用する糸は、絹糸とすること。

     

  • 作業風景

    衣装着人形と違って木目込人形は、胴体に筋を彫り入れて布地を木目込み(はめ込み)、衣装を着ているように見せています。それは人形の体の線の美しさを壊すことなく、高級感にあふれ、工芸技術的にもすぐれたものです。また、目にガラスを入れる衣装着人形に対して、木目込人形の場合は手描き。作者によって顔が変わってくるのが特徴です。

    工程1: 原形づくり

    粘土で人形の胴体の原形を作ります。雛人形の場合、十二単や束帯などの衣装の合わせ目、襞、帯の流れまでを原型で彫り込んでいきます。

    工程2: 釜いけ

    原型を木枠のなかに入れ、溶かした硫黄を木枠いっぱいに流し込んで人形の型を取ります。この型を「釜」といい、原形の前半分と後ろ半分(あるいは上下)の2つを作ります。

    工程3: 素地づくり

    釜に油を塗って胴体を抜きやすくし、桐塑(桐の木の粉を正麩(しょうふ)糊で練ったもの)詰めをします。このとき、胴体の中心部を空洞にし、型がくずれないように紙を詰めて補強します。次に、2つの釜を合わせて強く押さえつけます。こうしてでき上がった胴体を「ぬき」といい、乾燥室で十分に乾燥させます。胴体に生じた凹凸やひび割れを、竹べらを使って桐塑で補足し、やすりできれいに補修します。

    工程4: 胡粉塗り

    胡粉(貝殻の粉末を焼いて作った白色の顔料)を膠(にかわ)で練って湯に溶かし、胴体に塗ります。これによって胴体の生地を引き締め、筋を彫りやすくするのです。

    工程5: 筋彫り

    布地を木目込む(はめ込む)ための溝を作ります。これを筋彫りといい、仕上がりのよしあしに影響する重要な作業です。筋の深さや幅は木目込む布地の種類や厚さによって違いますが、彫刻刀を使って一定の深さや幅になるよう丁寧に彫っていきます。

    工程6: 木目込み

    筋に糊を入れ、型紙に合わせて切った布地を、目打ちや木目込みべらを使ってしっかりと木目込んでいきます。とくに曲線部分は、たるみや小じわが出ないように、胴体にぴったり添わせて原型どおりに形を出すことが重要です。

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    工程7: 頭づくり

    顔と後頭部に分けた2つの釜に油を塗り、胴体より細かい粒子の桐塑を詰めていきます。胴体と同じく中心部は空洞にし、十分に乾燥させた「ぬき」にやすりをかけて補修します。

    工程8: 頭の胡粉塗り

    まず、地塗りをして乾燥させます。次に置上げ胡粉をつけ、鼻や口を盛り上げます(置上げ)。乾燥させ、切り出し小刀で削って形を整えます。次に中塗り。地塗りよりも濃い胡粉を頭全体にかけて注意深く形を整え、乾燥させます。水で湿らせた布で拭いて、胡粉のむらを取ります。そして、置上げした部分を一彫り一彫り削り、微妙な表情を作っていきます。人形師の腕の見せどころとなる場面です。続いて上塗り。上塗り胡粉を漉して沈殿させ、上澄みを刷毛で7~10回、むらにならないよう丁寧に、かつ手早く塗っていきます。

    工程9: 面相描き

    顔は人形の命といわれます。細い筆先に全神経を集中させながら、目や唇などを描き込んでいきます。面相描きは、人形のよしあしを左右する重要な工程です。

    工程10: 毛彫り

    髪の毛を植え込む部分の溝を彫っていきます。

    工程11: 毛吹き

    黒く染めた絹糸を櫛でとかして先を切りそろえ、糊づけします。毛彫りした溝のなかに、髪の毛の短い部分から目打ちで植え込んでいきます。

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    工程12: 取りつけ

    木目込みを終えた胴体に、向きや角度をよく考えて頭や手、持ちものを取りつけます。

    工程13: 仕上げ

    髪の毛のほつれを直してブラシで整え、木目込みの不出来な部分を調べて仕上げます。

     

  • クローズアップ

    お気に入りのお雛様と一期一会を果たしたい、江戸木目込人形

    人形の街・岩槻では、たくさんの人たちの手によって愛らしい人形の数々が生まれ続けている。雛人形、五月人形、市松人形――健やかにたくましく、見目麗しく育てよと人形に託した親の思い。子供たちを取り巻く環境は大きく変わろうとも、その心は昔も今も変わることはない。

     

    子供のため、そして自分のために人形を飾りたい

    武州・岩槻といえば、名にし負う人形の街。城下町・宿場町として栄えたこの地には、日光東照宮の造営・修築に当たった工匠たちが定住し、人形づくりを始めたという。岩槻周辺は、もともと桐の産地である。工匠たちは、この桐の粉が人形の材料として、また当地の水が胡粉を溶くのに適していることを発見したのだった。
    現在も、300人を数える人が昔ながらの分業体制の下、伝統的な人形づくりに携わっている。「最近では男の子をもつ20~30代の若いお母さんは、武器を連想させる鎧兜よりも、愛らしい木目込人形を好まれるようですね。また40代以上の女性でも、自分のためにと買っていかれる方が多いんです。節句に関係なく、小さめの立ち雛が人気ですね。経済的に余裕ができて、心にもゆとりが生まれたんでしょうか」とは、伝統工芸士・有松寿一さんの談。穏やかで木訥(ぼくとつ)な語り口のなかに、深い人柄が忍ばれる。

    節句に関係なく根強い人気を誇る立ち雛。「自分のために買っていかれるお母さんも多いですよ」と、作者の有松寿一

    今どきの子供たちも、木目込人形に首ったけ

    筆描きされた上品なやさしい顔立ち、配色の妙を尽くした目にも絢なる絹の衣装、すっきり伸びやかな立ち姿。木目込人形は、大人が手にしても思わずため息が漏れるほど、精緻で美しく高級感あふれる工芸品である。
    一方、子供たちも、別の意味で木目込人形に首ったけだ。有松さんは、小学校の体験学習で4、5年生を対象に人形づくりを指導したことがある。どの子も、人形の型抜き作業には瞳を輝かせて大喜び。「今、学級崩壊や多動性症候群などが盛んにいわれていますが、手を使うこと、体で覚えることに子供たちはすっかり夢中。これには、先生のほうがびっくりしていましたね。」

    岩槻では、分業体制がしっかりと敷かれている。こちらは面相描きをしているところ。集中力がものをいう仕事だ

    職人としての技、問屋としての経営感覚

    有松さんは、中学生の頃から人形師の父を手伝っていたという。縁あって、15歳である親方の元へ。修行を始めて3年ほどで、経営も手伝うようになった。20歳のとき、親方が42歳の若さで急逝。遺された家族を放っておけず、人形づくりを一時中断して問屋業に精を出す。後に親方の息子へ経営をバトンタッチ、晴れて人形師として独立した。
    「この道一筋、とはいかなかったことが、かえって視野を広げてくれたみたいです。」
    今や世を挙げてのIT時代、有松さんもパソコンをフル活用している。写真撮影もデザインも自らこなしたパンフレットを制作して営業で活用、問屋の人たちからは機能的でかつ美しいと大評判だ。ホームページも自分で立ち上げた。が、こちらは啓蒙の意味合いが強い。
    「あくまでメーカーとしての領分を守りつつ、問屋さんのじゃまにならないようにね」
    経営時代に身につけた各方面への気配りとバランス感覚が、今ここで生きている。むろん、先を読む視点も忘れてはいない。将来、職人の数は確実に減っていくだろう。息子は跡を継がないと言っているし、無理強いするつもりもない。だからこそ、今まで自分が作ってきた木目込人形はかけがえのない財産。データベースとして保存し、後の代に人形を作りたいという人が出たとき役に立ってくれれば、という。

    頭の取りつけ作業を行う有松さん。「衣装の選定にはとにかく悩みますね。毎年、京都の西陣織の展示会に顔を出しています」

    人と人形にも一期一会がある

    あるとき有松さんのサイトに、面識のない女性から一通のメールが届いた。それは、有松さん作の慶雲雛を購入した若い母親から寄せられたものだった。――店にはたくさんの作品が飾られていたのですが、どうしてもあなたが作られた慶雲雛へと目が吸い寄せられていくのです。子供のためにと求めたものですが、今では見るほどに愛着が湧き、このお雛様に出会えてよかったと、満ち足りた気持ちです。ありがとうございました。
    一期一会、であろう。人の人との間だけでなく、人と人形との間にも、そう呼ぶべきものが存在するのかもしれない。人形師は、わが子を育てるかのごとく一体一体の人形と向き合い、その慈みで人形に魂を吹き込み、見る者の心を動かす。子を思う親の心ある限り、人形づくりの技が途絶えることはない。

    • 御所風シリーズの一つ「吉祥果」。中国風の髷(まげ)が愛らしい。どの人形を見ても、衣装の柄と配色の妙はうっとりするほどの美しさだ。

    • 有松さん作「初陣」。顔はぽっちゃりとしてかわいらしいのに、凛々しさをも感じさせる。

    職人プロフィール

    有松寿一

    1941年生まれ。
    目下、3Dソフトを人形づくりに活用すべく研究中。
    一方で、テラコッタ(塑像)の技法を今なお学び続ける努力の人。

    四季を愛でる日本人のこまやかな感性が息づく、江戸木目込人形

    春夏秋冬、日本列島の自然は刻々と移ろっていく。その生命力の微妙な変化を受け取る感性が、木目込人形づくりにも大きく反映される。名匠の人形を通して、大人も子供も、日本人なら本来備わっているはずの感性を思い出し、大切に育んでいきたいものだ。

     

    人形に託した親心

    寒さがゆるみ桃の蕾もほころぶ春弥生、女の子の健やかな成長を願って飾られるお雛様。青々とした皐月の空に勢いよく泳ぐ鯉幟(こいのぼり)、たくましい男に育てよとの願いをこめて飾られる武者人形。時は移ろうとも、人形に託した親心は変わらない。
    少子化の進む昨今、親御さんたちは子供が少ない分、一人ひとりにこまやかな愛情を注ぎ、この子のためにいいお人形を、という気持ちになるらしい。一昔前は、おじいちゃんおばあちゃんが初節句のお人形を贈るケースが多かったようだが、今は若いお父さんお母さんが自ら子供のために選ぶことが増えているときく。

    「大空の夢」。今にも童たちの歓声がきこえてきそうだ

    「邪まな心があったら人形さんは作れないよ」

    人形師の柿沼東光さんは、15歳のときこの道に入った。もともと手先を使うことが大好き、仕事を覚える間も楽しくて、とくに苦労した覚えはないという。
    「あたしはのんびりした性格だからね。だいたい人形を作る人は、温和で心静かな人が多いんじゃないのかい。邪まな心なんかあったら人形さんは作れないし、仮に作ってもお顔に現れてしまうだろうよ」生き生きとした動き、独創性あふれる意匠が、柿沼さんの作る木目込人形の真骨頂だ。熊を投げ飛ばす金太郎、お兄ちゃんに背負われて万歳する童、桃の上にちょこんと腰かけてこちらを見つめる童、竹の子の隣で成長を競うかのように体を伸ばす童、鯉幟にまたがるやんちゃ坊主たち。自然のなかで無心に遊ぶ人形たちは、どの子もかわいらしく、見ているだけで思わず口元がほころんでしまう。

    柿沼さんの仕事部屋。「何だか世の中のテンポが早くなっちゃってねえ。昔は、気が向いたら仕事、そんな感じだったよ」

    新しい時代のニーズに合った木目込人形を

    お母さんの世代が交替していけば、必然的に人形の好みも変わってくる。柿沼さんは、伝統的な人形を作り続ける一方で、新しい時代のニーズに合った木目込人形をも手がけている。そのためには、あちこちを旅して各地の伝統工芸品に触れたり、日常のどんな些細なことにもアンテナをはることを忘れない。
    最近、新しい感覚の雛人形セットを発表した。季節(五節句)によって人形や背景の飾り、台座などを取り替えて楽しむものだ。これが、世代を越えて好評なのだという。正月は、門松と鏡餅を飾り赤い毛氈(もうせん)の上で初春を祝う雛たち。背景には、雲間からおめでたいご来光が指している。桃の節句は、お内裏様とお雛様。その周りで、楽しそうに楽を奏で舞い踊る童たち。端午の節句は、男の童たちの饗宴。背景にはもちろん、鯉幟と花菖蒲である。七夕の節句は、織り姫と彦星のロマンスを祝うように、天の川のせせらぎで無邪気に戯れる童たち。中秋の名月の頃は、団子を囲んで月見する雛たち。隣にちょこんと兎が座り、薄の穂が秋の風情を醸している。

    • 柿沼東光さん作、童人形。ほかにも動物に乗っている童たちの作は、どれもほほえましいものばかり

    • 新しい感覚の雛人形セット、夢小雛「祭遊」

    木目込人形を通して、季節の変化を楽しむ

    「節句」はもともと、「節供」と書いた。「節」は季節の節目を表し、「供」は食物を供えるという意味。つまり節供は、季節の変わり目に八百万(やおよろず)の神々への感謝をこめて旬の食べ物をお供えし、人々も一緒にいただいて健康を祈る行事だったのだ。
    お祭りや行事は晴れ(ハレ)の日、その日を思いきり楽しむことで生命力が再生産され、翌日からの日常生活が活力に満ちたものとなる。そう、暮らしにめりはりがあったのだ。
    「だけど今は、年中行事そのものも、それがもつ深い意味合いもだんだん忘れられて、日々の暮らしがのっぺらぼうになってしまったね。あたしは人形さんを通して、伝統文化の底に流れる日本人の細やかな感性を子供たちに伝えていきたいんだよ」
    柿沼さんの手によって生み出された木目込人形たちは、愛くるしいなかにも溌剌とした生命力が秘められている。存在感が濃厚なのだ。大人も子供も一緒になって木目込人形を飾りつけ、四季折々の変化を感じて楽しむ――。そんな心のゆとりや豊かさこそが、今切実に求められているのではないだろうか。

    「斑鳩(いかるが)聖星」。古代飛鳥の風を感じる作品

    職人プロフィール

    柿沼東光

    1920年生まれ。
    盛り上げ加工を施した手描き模様、金箔押し、螺鈿(らでん)など、常に新しい技術や感覚を取り入れている。

    こぼれ話

    江戸木目込人形のふるさとは、京都の上賀茂神社

     

    • 上賀茂神社。じつはこれは通称で、正式な名前は賀茂別雷(わけいかずち)神社といいます

     

概要

工芸品名 江戸木目込人形
よみがな えどきめこみにんぎょう
工芸品の分類 人形・こけし
主な製品 節句人形、歌舞伎人形、風俗人形
主要製造地域 さいたま市、春日部市、東京都/文京区、台東区、墨田区、北区、荒川区、板橋区、足立区、葛飾区、江戸川区
指定年月日 昭和53年2月6日

連絡先

■産地組合

東京都雛人形工業協同組合
〒110-0016
東京都台東区台東2-1-3
センチュリービル2階
TEL: 03-6284-3765
FAX: 03-6284-3652

http://www.hina-ko.jp/

岩槻人形協同組合
〒339-0057
埼玉県さいたま市岩槻区本町3-2-5
ワッツ東館 4階
さいたま商工会議所岩槻支所内
TEL: 048-757-8881
FAX: 048-757-8891

http://www.doll.or.jp/

実店舗青山スクエアでご覧になれます。

特徴

木目込人形とは、桐の粉をしょうふ糊で固めた桐塑(とうそ)で作った型に、筋彫りをし、そこに布地をきめ込んで(挟んで着付けて)作るものです。

作り方

人形のよしあしは顔で決まってしまうと言われるほど、頭作りは最も熟練した腕を必要とする工程です。まず桐の粉としょうふ糊を練ったものを型で抜き、乾燥させ、生地を作ります。この後何回も塗りを重ね、目、鼻、口、を小刀で切り出し、さらに上塗りをして肌の艶を出すために磨きます。そして、細い筆で眉や目を描き、頬に紅をさし、口紅を入れます。最後に髪の毛を植えて結い上げ、頭が完成します。

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