十日町明石ちぢみ

新潟県

19世紀の終わり頃、京都の西陣の夏用の反物の見本を持ち帰り、もともとあった十日町透綾(とおかまちすきや)という織物の技術に応用して、新商品の試作研究が行われました。
この時以来、緯糸の強撚(きょうねん)と整理法の技術研究が熱心に進められ、すでに十日町で織られていた撚透綾(よりすきや)を改良して、緯糸に強撚糸を使用した新地風(じふう)「透綾ちりめん」の試作に成功し、明治中頃から「明石ちぢみ」と名付けられ市場に送り出されました。

  • 告示

    技術・技法


    絣織にあっては、次の技術又は技法により製織されたしぼ出し織物とすること。

     
    (1)
    先染めの平織りとすること。

     
    (2)
    かすり糸は、たて糸及びよこ糸又はよこ糸に使用すること。

     
    (3)
    かすり糸の、かすりを手作業により柄合わせし、かすり模様を織り出すこと。

     
    (4)
    かすり糸の染色法は、手作業による「くびり」又は「摺り込み」によること。


    縞織、格子織及び色無地にあっては、次の技術又は技法により製織されたしぼ出し織物とすること。先染めの平織、綾織、朱子織、又はこれらの変化織とすること。


    しぼ出し織物に用いる地よこ糸は、「明石緯」を使用すること。「明石緯」に使用する糸は、「八丁式撚糸機」により下撚りをした後、布のり、わらびのりその他の植物性糊料を手作業によりもみ込むこと。


    しぼ出しは、「湯もみ」によること。

    原材料

    使用する糸は、生糸若しくは玉糸又はこれらと同等の材質を有する絹糸とすること。

  • 作業風景

    十日町明石ちぢみの作業工程は複雑に別れていますが、大別すると、経糸、緯糸に絣模様をつけ染色し、製織、仕上げになります。糸は生糸、玉糸を使用し、まずその糸に絣模様をつけます。先に定規を作成し、定規にそって、糸に墨で印を付け、摺込みヘラと呼ばれるヘラで染料を糸に摺込んで行きます。緯糸にはちぢみ独特のしぼ(波状のしわ)を出すために、強い撚(よ)りをかけます。こうしてできた糸を織機にセットし、ようやく織りに入ることができるのです。その時も、経緯(たてよこ)の絣模様の位置を見ながら丁寧に織り上げます。最後に湯もみというちぢみ独特の作業をし、しぼを出します。

    工程1: 設計(絣図案制作・定規作り)

    原図案や見本により、方眼紙に柄の位置を決めて、絣図案を作り、どの位置の糸に絣が入るのかを細かく設定します。それからその図案を基に、経絣(たてかすり)、緯絣(よこかすり)を分解して、定規を作ります。

    工程2: 撚糸

    生糸、玉糸( 筋糸ともいい、筋が多くて太い糸のこと。玉繭という二匹の蚕でつくられた繭からとった糸です)を合糸機で引き揃え、撚糸機で撚りをかけて、必要な太さ、強さにします。主として駒撚り(こまより)とします。

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    工程3: 手延べ

    繰返し機で、ボビンや枠に巻取った糸を、経絣、緯絣別に、設計に基づいた本数と長さに手で延べます。

    工程4: 墨付け、くびり

    経絣、緯絣、それぞれの絣糸を張り台に張り、絣定規の両端にある、布幅を示す「耳」という部分の印をあわせて、絣模様の位置に墨印をつけます。その後、経糸と緯糸の墨印をつけた部分を、綿糸か平ゴムで硬く括ります。これによりこの部分には色がつかなくなります。くくり方が弱いと、くくった部分まで色が抜けたり、不ぞろいな色になってしまうそうです。

    工程5: 摺込み、染色

    墨付けされた必要なところに、摺込みヘラを使って、それぞれ染料をよく摺込んで行きます。色が摺込まれたら、糸をくくり、かせ状にして、地糸(絣のつかない部分)とともに繰り返し揉みながら染めていきます。その後100度ほどの蒸気で色を安定させます。

    工程6: 糊付け・上撚り

    明石独特の味わいを出すための作業です。糊付けした緯糸を八丁撚糸機(はっちょうねんしき)を用いて強い撚りをかけます。この糸が、明石緯(あかしよこ)と呼ばれる糸で、この糸が明石ちぢみ独特のしぼを生み出すのです。

    工程7: 織り準備、織

    経糸と緯糸により作業が違います。経糸は、くびりをとり、ほぐした後、柄を見ながら男巻き(おまき)に巻き取ります。図柄どおりに巻き取らなければならないので、慎重な作業となります。それから、織機の綜絖目(そうこうめ)と言う部分に1本1本通し、それを2本ずつ、筬(おさ)に通します。標準の本数は1200本程度です。緯糸も、経糸同様くびりをとり、ほぐしてから手繰枠(てぐりわく)に巻き取り、小起こし台(こおこしだい)にかけて最後に織布用の管に巻きます。ようやく織の準備ができ、いよいよ織り上げることができます。織機の綜絖目(そうこうめ)、筬(おさ)に通した経糸の間に緯糸が行き来して、織られて行きます。絣模様は、絣つくりで印をした耳の部分を見て、模様をぴたりとあわせて、1本でもずれのないように織ります。

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    工程8: 仕上げ

    仕上げに、お湯の中で手でまんべんなく揉み、布にしぼを出します。最後に汚れや織むらなどの検査をします。

     

  • クローズアップ

    せみの羽のように透き通った織物、明石ちぢみ

    十日町明石ちぢみは、さわやかな風合いを持つ織物です。長き冬で雪に閉ざされるがゆえに、織物はこの地に根付きました。その技は他にはない風合いのちぢみを生み出します

     

    織ることで作り出される世界

    明石緯(あかしよこ)と呼ばれる緯糸(よこいと)を使い、しぼ(しわ)を出す十日町明石ちぢみ。独特のしぼ、涼しげな色合い。明治の時代より夏物の高級着尺としての地位を築き上げてきているのもうなずける。今回は伝統工芸士の資格をもつ阿部茂壽さんから明石ちぢみについてお話を聞いた。

    さわやかな風合いの明石ちぢみ

    一世を風靡した十日町明石ちぢみ

    もともと、越後では、よこ糸に強い撚(よ)りをかけた越後上布という上質の織物が作られていた。その技術を、柏崎の縮問屋洲崎栄助が目の当たりにしたことから、全ては始まる。彼は、京都の西陣で研究している明石ちぢみは、むしろ十日町で織る方が適していると考え、十日町の佐藤善次郎に裂見本(きれみほん)を見せた。それから、研究が重ねられ、明治22から23年頃になると明石ちぢみは、市場に出すまでのものにいたる。以来、明石ちぢみは一世を風靡(ふうび)する。当初は、余りに透きすぎると言うので、専ら花柳界方面で受けたという。明治34年新聞付録で掲載された「流行夏衣歌」でも「新柳橋の芸者さん、紋織上布に紺明石・・・」と歌われたことからも、芸者などの玄人筋に受けるような薄さであったことがうかがえる。それからも、製品の品質はたゆまぬ向上心により上げられ、次第に一般にも広く流行するようになる。とはいえ、透けるような薄さは今でも変わらず「冷房のきいてるところが多くなったから、涼し過ぎるといわれる」ほどだ。

    着物を着たとき、体が若返るような感じがする

    明石ちぢみは、緯糸に強い撚(よ)りをかけることで、明石緯(あかしよこ)と呼ばれる独特の糸を作る。この糸を緯糸として織上げられた反物が、仕上げとして、手で湯の中でもまれる。この「湯もみ」することで、反物にしぼ(波状のしわ)が作りだされるのだ。「大抵の人にはしわにしか見えないんだろうけど」というこのしぼこそ、ちぢみの最大の特徴である。しぼがあるからこそ「生地がさらさらして肌にくっつかない」という肌触りが生み出されるのだ。逆に、しぼができるために「複雑な柄はできない」と高橋さん。しかし、複雑な柄などでなくとも、絣の技術は盛り込まれ、繊細な模様が織られていることに変わりはない。何より、「せみの羽のように透き通った織物」は、見ているだけでため息が出てくる。汗を吸い取り、風通しがよい明石ちぢみこそ、日本のじめじめとした夏に着る着物としてうってつけな織布である。

    夏物はいい糸を使わないと

    阿部さんいわく「夏物は、特にいい糸を使わないと織りむらができてしまう。」また、せっかくいい糸を使っていたとしても「糸の張力が違うとむらになるし、1本でも切れたら、切れた部分だけ抜いて、また元通りに順番を直していってやってやらないといけない。」この言葉だけでもいかに作業が慎重を要するかが想像できる。織子が一反織るのだけでも10日ほどを要すると言う。「のんきっていうか、そうしなければ良い反物ができないってこともあるけど。」長い時間の中にこめられた気の遠くなるような作業の一つ一つが、この十日町明石ちぢみを完成させてゆく。

     

    阿部さんのところで製作しているちぢみ

    何があっても続けていきたいね

    「自分が作った着物を着た人を見たときはうれしいねぇ。身内に会ったような気分になる。呉服は同じものはほとんどないしね、すぐにわかるよ。」と顔をほころばせながら話してくれた阿部さん。自分が作った着物を着ている人には、ついつい声をかけてしまうそうだ。そうやって声をかけたお客さんから“着やすくていいわ”といわれるのが嬉しいと阿部さんは話す。これからのことについて尋ねてみると、穏やかながらも目つきは真剣に「量もできないし、人の真似はしないし、善かろう安かろうというものをつくらんと。」他のものではない、“十日町明石ちぢみ”たるものを作りたいという思いがそこに垣間見える。また、「時代にあったすきっとしたものをつくっていきたいね。涼しい感じの柄。」という声には、まだまだこれからだという力強さがこめられているようだった。

    職人プロフィール

    阿部茂壽

    昭和4年生まれ。
    一度教員になるも、18歳のころから父親を手伝いこの世界に入る。

    こぼれ話

    十日町織物歳時記-十日町小唄-

    「越後名物数々あれど、明石縮みに雪の肌、着たらはなせぬ味の良さ、テモサッテモソジャナイカテモソジャナイカ…」で始まる十日町小唄。毎年十日町雪祭りで歌われるこの民謡は、昭和20年頃にはコマーシャルとして、十日町の織物の名を世に知らしめました。作曲は、「シャボン玉」などの童謡を作ったことで知られる中山晋平。また、この十日町小唄のために作った曲で実際には十日町小町で採用されなかったメロディーが、あの東京音頭だったとか、美空ひばりの「佐渡情話」の元歌になっているのではといわれているなど、実は名だたる歌とゆかりの深い民謡なのです。最近のヒット曲とはまた全く違う、趣のあるこの小唄、一度聞いてみたらきっと、この歌詞にある十日町の情景が頭の中に浮かぶのでは?

    • 明石ちぢみポスター

     

概要

工芸品名 十日町明石ちぢみ
よみがな とおかまちあかしちぢみ
工芸品の分類 織物
主な製品 着物地
主要製造地域 十日町市
指定年月日 昭和57年11月1日

連絡先

■産地組合

十日町織物工業協同組合
〒948-0003
新潟県十日町市本町6-1-71-26
クロス10 4階
TEL:025-757-9111
FAX:025-757-9116

http://www.tokamachi-orikumi.or.jp/

特徴

戦前まで、独特な清涼感を持った優雅な夏の着物の代表として、一世を風靡しました。戦後、生産は次第に減少したものの、その製造技術は十日町固有の伝統として受け継がれ、今なお、根強い支持を受けています。

作り方

模様の表現方法は十日町絣と同じです。基本的な違いは撚糸(ねんし)の方法にあり、明石ちぢみの緯糸は、まず下撚(したより)として1メートル間で300回くらい撚(よ)った右撚、左撚の片撚のカセに巻き整えます。そして生糸のまま、所定の色に柔軟染めをし、カセになった糸の目方の30~40%の植物性の調合糊を手でたたきながら、ムラなく染み込ませます。さらにこれを八丁撚糸機(はっちょうねんしき)で、1メートルの間で3,000~3,500回くらいの撚(よ)りをかけます。

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