飯山仏壇

長野県

寺の町飯山に、江戸時代初期から根づいた仏壇作りは、作業が細分化されて部品から組立まで地域内で一貫して生産されています。仕上師をかねた、仏壇の製造問屋ともいうべき仏壇店を中心として、産地が構成されています。
飯山仏壇が今日まで続いて来たのは、飯山の人々の仏教信仰があついこと、原材料を簡単に確保することが出来たこと、製作に適した気候であることによっています。

  • 告示

    技術・技法


    「木地」の構造は、「本組み」による組立式であること。


    なげしは、弓形とすること。


    宮殿造りは、「肘木組物」によること。


    塗装は、精製漆を手塗りすること。


    蒔絵及び「艶出押し」による金箔押しをすること。

    原材料


    木地は、マツ、スギ若しくはホオ又はこれらと同等の材質を有する用材とすること。


    金具は、銅若しくは銅合金又はこれらと同等の材質を有する金属製とすること。


    漆は、天然漆とすること。

  • 作業風景

    木工加工と彫刻、漆塗り、板金彫刻、金箔押し。伝統工芸の技術の粋を集めた飯山仏壇のできるまでをご紹介します。
    木どうしを組み立てられるように木地が取られ、宮殿(くうでん)、弓長押(ゆみなげし)を組み立てます。同時に木取りした素材や板金への彫刻が進められます。木工加工がすべて終わるといったん分解されて漆を塗り、蒔絵を描き、金箔を押します。すべての部品が揃うと最後に組立られ、仏壇が完成します。
    長い間使うことを前提に作れらている飯山仏壇は、分解して再塗装(せんたく)しやすいよう各所に工夫が凝らされています。

    工程1: 木地(きじ)

    飯山仏壇の特徴である重厚さは、木地にヒメコマツ、ヒノキ、スギ、ホウノキ、カツラなどの厚い木をふんだんに使うことから生まれています。これらの木地は「本組み」という技法により作り上げられています。
    柱と台輪、柱と板を雌雄型(凹凸の木組み)によってしっかり組み上げられますので、寸法の狂いが起こりにくくなっています。
    簡単に分解することができる「せんたく」しやすい組み立て方が採られています。

    工程2: 宮殿(くうでん)

    飯山仏壇独特の技法である「肘木組物(ひじきくみもの)」によって作られます。肘木により組み上げられているため、分解の際は肘木を抜くだけで簡単に宮殿がばらせます。ここでも「せんたく」して再生させることを見越した組み立て方法が取られています。
    何層にもなる組物には、各層を貫く肘木穴と飾り穴があり、肘木穴にだけ各種の肘木を差し込んでいきます。最後に化粧肘木を差し込んで、肘木組物が完成します。
    また、「肘木組物」がよく見えるように弓長押(ゆみなげし)と呼ばれる弓形の長押が考案されていることも飯山仏壇の特徴です。

    工程3: 彫刻

    木取りにした素材に草花、花鳥獣、人物などの絵柄を書いてノミ、彫刻刀を用いて彫り上げます。

    工程4: 塗装

    いったん組み立てた木地をばらして漆を塗ります。塗装は全部で3工程。下塗り・研ぎ、中塗り・研ぎをして、本漆による花塗りまたは呂色漆塗りがされて仕上がりです。

    工程5: 金具

    銅または真鍮板を梅酢を使った独特の鍍金法(ときんほう)で耐食性を出します。傷がつかないよう一度糊付けして加工されるので、「せんたく」の際も再び梅酢鍍金して再使用することができます。金具に図柄を写し取り、いくつものたがねを使い分けて、複雑な模様を刻みます。

    工程6: 胡粉盛り蒔絵(ごふんもりまきえ)

    蒔絵に立体感を持たせるために考案された技法で、貝の粉を使った細かな胡粉を塗って盛り上げ、その上に漆を塗って金粉を落とします。この技法により金色の絵が浮き上がって見え、美しさがひときわ映えるのです。
    蒔絵には、孔雀・牡丹・菊・桐・鳳凰・蓮・桔梗・萩・山水・天人・絞・霞・唐草などの絵柄が描かれます。

    工程7: 箔押し

    漆を塗り、乾く前に金箔を静かに置きます。そっと真綿で金箔を拭くと箔に美しい艶が出ます。飯山仏壇ではこの「艶出し箔押し方法」で金箔を置いているため、いつまでも美しい艶を保つことができます。

    工程8: 組立(くみたて)

    最後にすべての部品を組立てて完成です。すべて手作りで作られている飯山仏壇は、分解し、「せんたく」すれば新しく蘇り、代々受け継いで使うことができます。

     

  • クローズアップ

    お客さまに感謝される喜び 飯山仏壇

    雪深く、信仰厚い飯山の地に育った飯山仏壇は、特徴ある意匠を生み出したこだわりの仏壇である。宮殿(くうでん)、弓長押(ゆみなげし)に独特の技法が生かされ、他の産地との違いがよくわかる。金仏壇の静かな輝きはが拝む人の心にやすらぎを与えてくれる代々受け継がれる一品。

     

    塩の道に根付いた、先祖と浄土を祀る調度品づくり

    飯山は天正7年の上杉謙信による築城以来、城下町として栄えてきた町である。千曲川沿いに位置する当地は、山地で不足しがちな塩を運ぶ“塩の道”として舟便の起点となる要所であった。ここ飯山で仏壇が作られるようになった理由はよくわかっていないが、京仏壇の流れを汲むことは確かなようだ。飯山に伝わる小唄には36のお寺が出てくる。古くから信仰心の厚い土地柄なのだ。そんな飯山で代々仏壇販売を手掛ける、飯山仏壇事業協同組合副理事長の上海一徳さんに話を聞いた。

     

    特徴ある概観と永く使ってもらえる工夫

    「仏壇の産地はいろいろありますが、飯山仏壇は一目してわかりますよ。」肘木組物(ひじきくみもの)で作られる独特の宮殿(くうでん)と、宮殿がよく見えるように工夫された弓長押(ゆみなげし)は、伝統的工芸品として指定された時の条件でもある。拝む人の目に装飾がよく見えるよう配慮がなされている。
    「合理的な作り方も特徴です。古くなってくすんでも、簡単に分解して“せんたく(再塗装)”して再び輝きを取り戻します。」子孫に引き継ぎながら代々使われることをはじめから考えた作りになっているのだ。

    飯山仏壇伝統の“肘木組物”を作る人形

    ご先祖に感謝するためのものだから

    飯山には数多くの仏教宗派が共存している。宗派ごとに厳密には仏壇のつくりは異なるのだが、あまりうるさいことは言われないようだ。
    「明治の頃のことですが、ある村に同じ仏壇を毎年一軒ずつ納めたこという話を聞いています。村の方が講を作られて助け合いながら買って頂いたそうです。」金仏壇は確かに値の張るものである。最近では比較的安い仏壇もあるが、元々は農家の一年分の収入に相当するという高価な品だった。信仰心の厚い飯山の人たちは互いに融通しながら、価値ある品にお金をかけてきた。

    平安時代から受け継がれてきた技術

    「基本的な金具加工の技術は平安時代からあると言われています。しかし、伝統だけにこだわってはならないと思います。現に飯山の仏壇はさまざまな技術を取り入れることででき上がってきたものです。」そう語るのは金具づくりを担当する伝統工芸士、鷲森誠さんだ。銅板をたがねで叩きながら語ってくれた。「この打ち方を“蹴彫り(けりぼり)”といいます。蹴りつけるように模様を刻むことから名付けられました。」細かなリズムでたがねが叩かれると、たがねの通った跡に小さな半菱形の刻みがついていく。「簡単そうにやってるけどあれがなかなかできるものではないのですよ。」と傍にいた上海さん。
    「毎日拝んでもらうものを作っているのですからね。感謝されるものを作る喜びは大きいですよ。」と鷲森さん。上海さんも隣で頷く。

    “蹴彫り”たがね一本で線刻する古来からの伝統技法

    いい物、永く使えるものに価値を求める

    最近はかつてほど家が大きくないので、住宅事情に合わせ小さい仏壇も作られている。最も売れた時代には作るのが追いつかず、正月には仏壇商が職人の家に来て、代わりに餅をついたことがあるという。「飯山仏壇は末永く使って頂くことができるつくりになっています。今は簡単に物が使い捨てにされる時代ですが、再び永く使えるものに価値が求められる時代になれば改めて仏壇の良さがわかるのではないでしょうか。」と上海さん。

    伝統技法を活かした鷲森さんの作品「千手観音菩薩飾額」

    仏壇は単にご先祖や亡くなった方を祀るためのものではなく、目に見えない浄土や阿弥陀如来を形にし、お祀りするところでもあるのだという。ご先祖が守ってきた山から材料を取ってできた仏壇は、子々孫々まで受け継がれて拝まれ続ける。意匠を凝らした荘厳な飯山仏壇は、拝む人の心にご先祖と風土への感謝の気持ちを育ててくれる心のより所でもあるのだ。

    職人プロフィール

    鷲森誠

    「仏壇金具の技術を活かした作品づくりにも取り組んでいます。展示会に出展するなど、目標を持って作ってますよ。」

    十代続く仏壇商、「上海本店」専務。「普通の商品を売るのとは感謝のされ方が違いますね。」と仏壇販売の魅力を語る

    こぼれ話

    高度経済成長と仏壇

    伝統的工芸品に指定されている飯山仏壇は、さぞ昔は売れていたのだろうと思いきや、仏壇が最も売れたのはそれほど遠い昔でもない昭和40年から50年代にかけてなのです。
    昔は金額の張る仏壇を家に置くことができるのは、わずかな豪商に限られていました。では、農家はご先祖を敬う気がなかったのか、というとそんなことはありません。高度経済成長期に入り、日本が豊かになっていくと、それまで買いたくても買えなかった仏壇が買えるようになった、しっかりとご先祖をお祀りしたかったのに十分できなかった、その思いを果たせるようになったのが昭和40、50年代。お金が手に入ってまず買ったのが仏壇だったようです。
    今でも土地を売るなどしてまとまったお金が入ると、まず最初に「ご先祖さまからの土地が売れた。」と仏壇を買う人が多いとのこと。信仰の厚さが伺えます。次の世代にご先祖を敬う気持ちを残していきたいですね。

    • 仏壇店が建ち並ぶ町並みは壮観

     

概要

工芸品名 飯山仏壇
よみがな いいやまぶつだん
工芸品の分類 仏壇・仏具
主な製品 金仏壇
主要製造地域 飯山市
指定年月日 昭和50年9月4日

連絡先

■産地組合

飯山仏壇事業協同組合
〒389-2253
長野県飯山市大字飯山1436-1
飯山市伝統産業会館 内
TEL:0269-62-4026
FAX:0269-62-4019

http://www.avis.ne.jp/~butsudan/

特徴

17 世紀後半に始まる。生地は松、杉、朴などを使用。本組み生地、弓なげし、宮殿の肘木組物「艶出押し」 の金箔押しなどの伝統的技法により、主に浄土真宗系の仏壇を生産している。

作り方

作業は外側をこしらえる木地作り、仏壇の内陣の屋根をこしらえる宮殿(くうでん)作り、花や鳥等飾りを彫る彫刻、飾りの金具を付ける金具作り、その他蒔絵、金箔押し、塗装、組み立てまでの8部門に分かれています。

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