宮城伝統こけし

江戸時代中期以後に、東北地方の温泉土産として生まれたものと伝えられています。
宮城県内には、「鳴子(なるこ)こけし」「作並(さくなみ)こけし」「遠刈田(とおがつた)こけし」「弥治郎(やじろう)こけし」「肘折(ひじおり)こけし」の5つの伝統こけしがあります。

  • 告示

    技術・技法


    乾燥は、自然乾燥によること。


    木地造りは、次のいずれかによること。

    (1)
    鳴子こけしにあっては、次の技術又は技法によること。


    荒挽きは、横ろくろ及びろくろがんなを用いること。


    木地仕上げは、横ろくろ及び仕上げかんなを用いて仕上げ削りをした後、みがき仕上げをすること。


    頭部は、「瓜実型」とすること。


    胴部は、上部に段のついた「内反胴」とすること。

    (2)
    遠刈田こけしにあっては、次の技術又は技法によること。


    荒挽きは、縦ろくろ及びろくろがんなを用いること。


    木地仕上げは、縦ろくろ及び仕上げかんなを用いて仕上げ削りをした後、みがき仕上げをすること。


    頭部は、「瓜実型」又は「下張型」とすること。


    胴部は、なで肩の直胴とすること。

    (3)
    弥治郎こけしにあっては、次の技術又は技法によること。


    荒挽きは、縦ろくろ及びろくろがんなを用いること。


    木地仕上げは、縦ろくろ及び仕上げかんなを用いて仕上げ削りをした後、みがき仕上げをすること。


    頭部は、「瓜実型」、「福助型」、「下張型」、「丸型」又は「結髪型」とすること。


    胴部は、なで肩の直胴若しくは中くびれ胴又は上部に段のついた直胴若しくは中くびれ胴とすること。

    (4)
    作並こけしにあっては、次の技術又は技法によること。


    荒挽きは、縦ろくろ及びろくろがんなを用いること。


    木地仕上げは、縦ろくろ及び仕上げかんなを用いて仕上げ削りをした後、みがき仕上げをすること。


    頭部は、「福助型」、「瓜実型」又は「丸型」とすること。


    胴部は、なで肩の裾締め直胴又は上部に段のついた裾締め直胴若しくは下くびれ胴とすること。

    (5)
    肘折こけしにあっては、次の技術又は技法によること。


    荒挽きは、ろくろ及びろくろがんなを用いること。


    木地仕上げは、ろくろ及び仕上げかんなを用いて仕上げ削りをした後、みがき仕上げをすること。


    頭部は、「福助型」又は「下張型」とすること。


    胴部は、なで肩の直胴若しくは裾広がり直胴又は上部に段のついた直胴若しくは裾広がり直胴とすること。


    頭部と胴部の組み付けをする場合は、次の技術又は技法によること。

    (1)
    鳴子こけしにあっては、「はめ込み」によること。

    (2)
    遠刈田こけし、弥治郎こけし、作並こけし及び肘折こけしにあっては、「さし込み」又は「はめ込み」によること。


    描彩は、次のいずれかを手描きすること。

    (1)
    鳴子こけしにあっては、頭部に「水引き手及び髪」又は「髷」及び「面相描き」を、胴部に「菊」、「楓」、「牡丹」、「あやめ」、「撫子」又は「桔梗」及び「ろくろ模様」を描彩すること。

    (2)
    遠刈田こけしにあっては、頭部に「放射状の手絡、振れ手絡及び髪」又は「オカッパ」及び「面相描き」を、胴部に「菊」、「梅」、「衿」、「木目」、「いげた」、「あやめ」、「牡丹」、「桜」又は「ろくろ模様」を描彩すること。

    (3)
    弥治郎こけしにあっては、頭部に「ろくろ模様」、「髪模様」又は「髷模様」及び「面相描き」を、胴部に「ろくろ模様」、「菊」、「枝梅」、「桜」、「衿」、「牡丹」、「蝶」、「松葉」、「裾」、「あやめ」又は「結びひも」を描彩すること

    (4)
    作並こけしにあっては、頭部に「水引き状の手絡及び向う結び髪」、「放射状の手絡及び髪」又は「オカッパ」及び「面相描き」を、胴部に「菊」及び「ろくろ模様」又は「牡丹」及び「ろくろ模様」のいずれかを描彩すること。

    (5)
    肘折こけしにあっては、頭部に「リボン状の手絡及び髪」、「放射状の手絡及び髪」又は「オカッパ」及び「面相描き」を、胴部に「菊」及び「ろくろ模様」を描彩すること。


    仕上げは、ろうみがき仕上げをすること。

    原材料


    木地は、ミズキ若しくはイタヤカエデ又はこれらと同等の材質を有する用材とすること。


    描彩は、墨又は染料ですること。


    ろうは、モクロウ若しくはハクロウ又はこれらと同等の材質を有するものとすること。

  • 作業風景

    最も古い木地産地である鳴子のこけし。宮城県内には5系統のこけしの種類がありますが、木地を引くとき、ろくろが体に対し、横引きであること、そして首がはめ込み式で、まわすとキュッキュッと音が鳴るのが鳴子こけしの特徴です。

    工程1: 木取り・荒引き

    主に、こけしはミズキを使っています。切り出した後、すぐに皮をむいて木を6カ月から1年自然乾燥させたミズキを使います。余分な部分を切り落とします。その後、ろくろを使ってそれぞれの部分の大体の形を作ります。鳴子の場合、このろくろの向きが体に対し、横向きなのが特徴です。(横引き)

    工程2: 頭仕上げ・胴仕上げ

    頭、胴と別々に仕上げていきます。線でしるしをつけることもなく、すべて鑿(のみ)で直接削っていきます。指先と目で曲線、太さを確かめながら引いていきます。形が整ったら、とくさや、サンドペーパーで磨きます。その後、胴の上部と下部のろくろ模様をつけます。

    工程3: 頭を胴にはめ込む

    ここが、鳴子こけしの大きな特徴でもあります。胴と頭は、ろくろでまわしながらはめ込みます。その際、摩擦で一瞬煙がでます。はめ込んだ頭は、手でまわすとキュッキュッと音が鳴りますが、乾燥するにつれ、はめ込んだ部分も微妙に形が変わっていくため、抜けることはありません。

    画像をクリックすると動画が再生されます

    工程4: 描彩

    使用する色は、顔と髪は黒、ろくろ模様と着物柄は赤と青(緑)色です。鳴子こけしの着物の模様は、菊を重ねた重ね菊、菊を上から見た図模様を描いた車菊と菊をモチーフにしたものが多くあります。菊のほかにも、かえで、なでしこ、牡丹などの模様もあります。模様は、同じ鳴子系でも職人によって少しずつ違っています。

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    工程5: ろう塗り

    絵つけが終わったらもう一度ろくろにかけ、ろうを塗ります。すると、ミズキの木目がいっそう美しく光ります。木目の美しさと素朴なお顔がとてもよく似合います。鳴子こけしのできあがりです。

     

  • クローズアップ

    木地師の優しさが生んだ鳴子こけし

    なんだか誰かに似ているような……。まるい鼻にかすかに微笑んでいる口もとの素朴な顔の鳴子こけし。昔、木地師が我が子に玩具として作っていたのが始まりといわれている。

    木地師が我が子に作ったのがはじまり

    こけしは約200年前の文化・文政の頃に奥山で木地業を営んでいた人々が我が子の遊び道具に木の人形をつくっていたのが始まりといわれている。その人形が山村の子どもたちの遊び道具となった。こけしの胴の模様、つまり着物の柄が美しいこと、そして頭には簪(かんざし)をさしておしゃれしている様子は、いつかそんな着物を着てみたいという、その当時の子どもたちの願いでもあったのだろう。かわいい人形が果たす役目は今も昔も変わりはない。しかし、ひとつひとつが手作りだった昔のおもちゃは、現代では大量生産のものにすっかり変わってきてしまい、温もりあるおもちゃで子どもたちが遊ぶことも少なくなってきた。そんな中、こけしの役目も子どもたちの遊び道具から、鑑賞用の人形へと変わっていき、今に至っている。

    鳴子こけし職人、大沼秀雄さんがお孫さんのひな祭りのために作ったこけし。

    こけし職人のルーツは木地師

    元はといえば木地師であったこけし職人のルーツ。今回取材させていただいた大沼さんは、木地作りの修行もされていたそうだ。

    木地師が生み出した鳴子こけし。写真は大沼さんが数年前に作られた器。

    鳴子こけしの特徴

    顔は結い上げた前髪と、横びん(横の髪)、一重の目と丸い鼻が特徴。胴の描彩は菊を側面から見た重ね菊、風車に見立てた車菊、かえで、なでしこ、牡丹などがある。また首を廻すと、キュッキュッと鳴き音を鳴らして遊べたのも鳴子こけしの大きな特徴だ。美しい柄の着物を着て、上品に微笑んでいる鳴子こけしだが、とても親しみを感じる素朴な顔をしている。

    なんだか、身近なだれかに似ている?!

    使う道具は自分で作る

    こけしをつくる工程をみせていただいていると、見たことのない道具がたくさん目に入る。「この道具って、どういうところで売っているんですか?」と伺ったところ、「売ってないよ、全部道具は自分で作るんだ。鍛冶をしてね。」と大沼さん。「料理と同じ。食べて気に入らなかったら自分で作る、それが基本。」市販の物でも必ず自分流に直して使うという。人が作った道具だと、使っているうちに欠けてしまうそう。自分の癖を一番よく知っているのは自分なのだ。出来具合は全部腕一つにかかっているからこそ、職人さんは道具にこだわる。自分の癖、力具合をよく考え、工夫しながら道具を作る。自分の力と向き合うこと。そこからこけし作りは始まっている。

    • 「使いやすい道具を使いたかったら、自分で作る。これが基本」
    • 頭に巻かれているのは毎年鳴子で9月の第1土日に開催される全国こけしまつりのてぬぐい

    職人プロフィール

    大沼秀雄 (おおぬまひでお)

    大沼岩太郎系鳴子こけしの4代目。
    こけしの模様は代々受け継いできたもの。

    こぼれ話

    宮城伝統こけし鳴子系

    山村の子どもたちのおもちゃとして愛されていた鳴子こけしは、鳴子の温泉街としての発達とともにお土産品へとなっていきました。「こけしと温泉」は、共にこの町の歴史を築いてきたのです。
    温泉神社

    高台から鳴子の温泉街を見下ろす延喜式内社。続日本書紀には、「仁和天皇の御代、承和4年(837年)4月、鳥谷ケ森にわかに鳴動すること数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となって流れた。里人は驚いて朝廷に報告した。朝廷は温泉の神を祀り、この年10月9日従五位下を賜る。」と書いてあるそうです。毎年9月第1・土日の祭典では、獅子舞や神輿、稚児行列が温泉街を練り歩き神社に奉納されます。
    昔はこの温泉を鳴声(なきご)の湯と呼んでいたそうです。これが鳴子(なるこ)の起源だと言われています。
    アクセス:下記の滝の湯となりに石段の参道があります。そこを登ると温泉神社です。

    千年の歴史をもつ古湯「滝の湯」

    温泉神社の参道の石段を下っていくと町の共同浴場、滝の湯があります。鳴子温泉神社の御神湯として千年の歴史がある湯です。皮膚病・高血圧等に効果があります。お湯が肌につるんと、よく馴染みます。共同浴場なので大人150円、こども100円という格安の料金で入れます。中は浴槽も壁も桶もすべて木でできており、光のとり方も落ち着いた雰囲気です。地元の方々もよく利用されており、鳴子町についての情報収集はここからはじめるといいかもしれません。
    料金:大人150円、こども100円
    利用時間:7:30~22:00
    住所:〒989-6823宮城県玉造郡鳴子町湯元84ゆさや旅館のとなり
    TEL:なし
    アクセス:JR陸羽東線鳴子温泉駅下車徒歩3分

    建築物としても楽しめる鳴子・早稲田桟敷湯

    戦後間もない昭和23年の夏、早稲田大学の学生が鳴子町でボーリングの実習を行っていました。炎天下の中、掘削作業は不慣れなため、困難を極めました。9月に入り、作業が深夜に及ぶようになった頃、ついにある日の夜中の3時に熱湯が土石流のように地面を突破って吹き出てきました。早稲田の湯の誕生です。以来、多くの人々に親しまれ、現在に至ります。現在の建物は、早稲田湯誕生のちょうど50年目の平成10年に早稲田大学石山修武研究室の設計で全面改築され、明るいクリーム色のとてもユニークな建築物となっています。室内も、天井が高く、自然の光がたくさん注いでくる素敵な空間になっています。青空を見ながら入浴できる露天風呂もついています。こちらは貸し切り専用なので、ご家族・お友達同士でゆっくりできます。
    料金:大人500円、こども300円、貸切露天風呂1,000円
    利用時間:7:30~22:00
    住所:〒989-6822宮城県玉造郡鳴子町新屋敷124-1
    TEL:0229-83-4751
    FAX:0229-83-4764
    アクセス:JR陸羽東線鳴子温泉駅下車徒歩3分

    雄大な蔵王連峰の小さな山あいに生まれた弥治郎こけし

    蔵王の山々の間に小さく開けた鎌先温泉の歴史とともに育った弥治郎こけし。その鮮やかな色合いは、他の宮城伝統こけしと大きく異なる。豊かな緑によく映える弥治郎こけしのろくろ模様は、この温泉地に訪れる人々の目を惹き付けてきたのだろう。

    強い生命力をもつミズキ

    最近では、ちょっと変わった色合いの木肌の桜・つばき・楓もこけしの材料として使われるが、宮城伝統こけしの主な木地はやはり白い木肌が美しいミズキである。このミズキは毎年秋の彼岸から春の彼岸にかけて伐採される。そしてすぐに皮を剥き、逆さにして立て掛け、半年から1年間かけて乾燥させる。逆さにしておかなければ、伐採してから半年以上たっていても、春になると芽吹いてしまうからである。厳しい陸奥の冬を乗り越える生き物の強さがここにある。そんなミズキを材料としているからだろうか。宮城伝統こけしたちは静かに微笑みながらも、どこか芯の強さを感じさせる。

    伐採したあと、すぐに皮を剥き乾燥しやすくします。春になって芽吹かないよう、逆さにして立て掛けます。

    この土地のミズキと、この土地の腕

    この地の厳しい寒さの中で育った木目の美しいミズキを使いたい。しかし近年は材料となるこの地のミズキが時代の流れにより少なくなってしまい、他の土地から持ってくる材料に頼りがちになっているのが現状だった。そんななか、今回取材をさせていただいた新山左京(にいやまさきょう)さんは、こけしの全盛期であった26年前から毎年ご自宅の裏の山々にミズキの木を植えはじめ、やっと来年から成長したミズキを弥治郎こけしの材料とすることができるようになったと語る。
    これから作られる弥治郎こけしには、従来の色鮮やかな色彩とかわいらしいろくろ模様が戻ってくる。この土地ならではのミズキの生命に、こけし職人左京さんの26年越しの想いが加わってくることだろう。

    ミズキの木片。これから、こけし職人の手により豊かな曲線が作られ、ろくろ模様、顔の描彩が成され、素朴な弥治郎こけしができていきます。

    一年に一度あるか、ないかの出会い

    多くのこけし職人は、胴をつくる日は胴だけ、顔や着物の柄を描く日は描くだけと、日によって作業を分けている。木を挽くという力仕事のあとに描彩をすると、手がふるえてしまって思うように筆がはしらないそうだ。
    こけしを作り上げる中で、一番集中するのはやはり顔を描くとき。こけしひとつひとつに命を吹き込むように、最初に目を入れる。「一日のうちでも一本目の顔と十本目の顔は違う。やっぱり筆のはしりが違うんだねえ。いつも十本目のほうがいい顔してるよ。」と左京さん。こけしを作りはじめて55年目になる左京さんだが、「これだ!」と、自分で気に入った顔が描けるのは1年に何百とつくるこけしの中でも1本あるか、ないかだという。集中したからいい顔が描けるとは限らない。これだというこけしに少しでも多く出会えるよう、左京さんは日々ひとつひとつのこけしと向き合っている。

    呼吸を整えて顔を描きます。目を描いた瞬間、まるでこけしに命が吹き込まれるようでした。

    職人にとっては、仕事場そのものが心落ち着く場所

    「それにはやっぱり、この場所が一番だねえ。」と、左京さんが案内してくださったその場所は、ろくろが回っていたところ。ただし、ろくろのスイッチは切れており、静かな作業台の隅に硯と筆のセットが置かれている。
    こけしと向き合って仕事する場所は、きっと、畳の部屋など静かな雰囲気のところだと勝手に想像していた私はいささか驚いた。けれども、この作業場の空間が左京さんにとっては、一番もりもりと力仕事ができる場所でもあり、一人集中力を高め心落ち着ける場所でもあるのだ。仕事場に自分の魂を注げる空間を持つということ、それはどんな職人にとっても必要な条件なのかもしれない。左京さんにとって、ろくろ台のあるこの場所が、一つ一つのこけしと向き合い、そして自分が納得する物を作り出すために欠かせない場所なのだ。一本のミズキを手に取るところから、いや、苗を植えるところから左京さんがこけしと向き合う時間は始まっているのである。

    最後の仕上げの名前入れもこの場所で書きます。使用している硯は同じ宮城県の伝統的工芸品、雄勝硯です。

    職人プロフィール

    新山左京 (にいやまさきょう)

    江戸時代初期からつづく弥治郎こけしを引き継いで55年。
    26年前からこの里に毎年こけしの材料となるミズキを植え続けてきた。

    こぼれ話

    弥治郎こけし 温泉と共に発展

    弥治郎こけしは、蔵王の麓、弥治郎集落から少し離れたところにある、600年の歴史をもつ名湯、鎌先温泉の土産物として発展してきました。鎌先温泉の土産物として、弥治郎集落で作ったこけしを持ち、女性たちが旅館の部屋をまわったのが、そのはじまりと言われています。

    こけし神社

    正式には、「小野宮惟喬親王神社」というこのこけし神社では、年初めの1月2日に毎年、「こけしの初挽き」が行われます。毎年1人の弥治郎こけし職人がこの場でこけしをつくり、この神社に納めます。これまで奉納されたこけしが中にはすべて並んでおり、弥治郎こけしの歴史がそのまま見られます。この「こけしの初挽き」の日には、弥治郎地区に住む人々がお雑煮や御神酒などをふるまってくれます。こけしが祀られているこけし神輿を地元の子どもたちが担ぐ、昔ながらの習わしも残っています。

    鎌先温泉

    600年以上も昔、村人が鎌の先で発見したと言い伝えられている鎌先温泉は、薬湯としても知られ、かつて伊達の殿様もつかったという名湯であり、幕末にはたいへんな賑わいを見せました。そのころより、弥治郎の木地師たちは土産用のこけしを作り、女性たちはその木地やこけしを持って鎌先温泉の旅館の部屋をまわって売り、弥治郎こけしを確立させていきました。この鎌先温泉をまわってこけしを売ることを、「鎌先商い」といい、この商いの仕方は、昭和34年ほどまで続いていたそうです。

    山を超えるたび、新たなこけし文化がひろがる宮城伝統こけし

    宮城県だけで4系統ある伝統こけし。その境目は、厳しい冬がさらに越えることを困難にさせた陸奥の山々である。一度、山を越えてきた「技」はその地域に根づき、新たに独自の文化を作り上げてきた。

    遠刈田(とおがった)こけしのモデルは京美人!?

    遠刈田(とおがった)のこけしの特徴はパッチリとした二重の目に、すっととおった鼻におちょぼ口、という美人顔、そして頭のてっぺんに赤い放射線状に描かれた髪飾りである。これは京都の芸妓・花魁(おいらん)の髪飾りをイメージしているといわれている。京都から遠く離れた宮城の遠刈田の地でなぜ、京美人がモデルなのか。

    それは現在の遠刈田こけしの形が確立しつつある頃、美しい着物をまとった京人形が子どもたちの着せ替え人形として、また大人の観賞用としてこの陸奥の地にも伝わってきたことと関係している。といっても、京人形は金箔が使われていたり、西陣織をまとっていたりと、とても一般の人々が手にできるようなものではなかったようである。

    やがてこの京人形をもとに、いまも仙台の伝統として残る仙台堤人形がつくられたのである。この美しい京人形そして仙台堤人形を、どこかで見てきたのだろう。遠刈田の木地師は「遠刈田の子どもたちにもこの人形のような美しい人形を与えてやりたい。」そんな想いから、せめて京人形のように目鼻立ちをすっきりとさせ、頭には花魁の髪飾りをつけたこけしを作ったのである。これが、現在の遠刈田こけしの絵付けの基になったといわれている。

    美しい人形を多く子どもたちに与えたい。そんな木地師の想いから、美しい京人形をモチーフとした絵付けが遠刈田で作り出されたのである。

    東北にしかないこけし文化

    「湯治」という言葉がある。この数多く温泉が沸く日本では、古くから人々はその効用に体を癒してきた。東北の山々の中にも名湯と呼ばれる古い温泉がたくさんある。明治の初め封建時代の抑圧が消えると、この陸奥の温泉場にもその年の厳しい農作業を終えた農民たちが山を越え、訪れるようになった。湯につかることで、精一杯働いてきた農民たちは心身ともにゆっくりと体を休めることができたのだろう。温泉は、当時から一生懸命働いた自分へのご褒美でもあったのである。そんな場所にきたという記念として、こけしが喜ばれたのは言うまでもない。
    温泉地の土産品として発展してきたこけし文化。水が豊かで国全体が火山地帯の日本には温泉地がたくさんあり、そして多くの森林に包まれたこの国には、各地に木地師たちが多くいた。こけし文化の発展した地域の条件である、温泉地と木地師という組合わせは日本各地に存在した。しかし、こけし文化が根づいたのは東北地方だけなのである。なぜか――。

    それは、東北の厳しい冬の気候と関係があるのかもしれない。厳しい冬の中、農民ができる仕事は限られてくる。その中の一つが木地作りであり、温泉地では冬の間に訪れる人々へのお土産品としてこけし作りが盛んになった。厳しい冬がある東北だからこそ、こけし文化は生み出されたともいえるだろう。そしてその需要と供給のバランスがこけし文化を発展させ、こけし職人がその技を確立していったのである。

    遠刈田の温泉。この湯を求めて人々は山々を越え湯治場遠刈田へやってきた。そのお土産としてこけしは大変喜ばれ、こけし文化は発展していった。

    山脈はこけし文化の境界線

    海を越えるとそこに異なる文化が存在するように、車やトンネルがなかった時代は山もまた、文化を分ける境界線であった。伝統こけしは11の系統に分けられるが、これは東北の山越えが厳しいものであったからともいえる。この11系統はさらに奥羽山脈を境にまた大きく2つの手法に分けられる。太平洋側は木地を挽く際、体に対してろくろを縦に挽き、日本海側は横挽きというように。
    こけし作りの技はその土地土地で独自に受け入れられ、発展してきた。その結果、11もの系統、2通りのろくろの挽き方の伝統こけしができたのである。

    文化をも隔てる厳しい山を越え、温泉地に訪れてきた喜びは、格別であったのだろう。異文化が広がる土地にやっとたどり着き、ゆっくりと温泉につかる。そんな旅の思い出をこけしに詰め込んで人々はまた、いつもの場所へと帰っていったのだろう。

    蔵王の山々。山によって情報の流通が隔たれ、それぞれの街独自の文化が築かれてきた。こけしもその一つであり、現在では東北で11系統のこけし文化が存在する。

    職人プロフィール

    佐藤哲郎 (さとうてつろう)

    昭和7年生まれ。
    15才の頃からろくろにかかる。
    遠刈田吉郎平系列こけし職人の7代目。
    かんなの冴えと流麗な面描が独特な味がある。

    こぼれ話

    宮城伝統こけし遠刈田系

    刈田嶺神社

    蔵王の山の神を奉った神社で、昔は蔵王寺と呼ばれていました。雄大な蔵王の山々を守るこの神様は女性の神様だと言い伝えられており、昔から女性が山へ入ると、神様がやきもちを焼き、機嫌を損ねるといわれ、山での仕事は男の仕事とされてきました。廃藩置県に伴い、明治4年に刈田嶺神社として奉られるようになりました。遠刈田の町を見守るように、街が一望できる山にあり、堂々と山に映える朱の鳥居が、誇り高い蔵王の山々を守る女性の神様を思わせます。

    惟嵩神社

    ろくろ木地師の神として、惟嵩親王が奉られています。昔、木地師は山へ入ると木を切り出し、その山の小屋でろくろを挽き、木地を作り、里へ戻るというスタイルでした。つまり、一度入ったら何日間も山にこもって仕事をしていたのです。現在のように道も整備されていない山へ入り、斧一つで木を切り出すことからはじめる木地師の仕事は常に危険を伴っていました。そんな木地師たちが山へ入る前に山での仕事の安全を祈ったのがこの惟嵩神社なのです。

    作並のこどもたちの成長を見守る作並こけし

    1200年もの歴史をもつこの仙台作並温泉に訪れた人々の土産品として、確立した作並こけし。現在では小学校の卒業記念として、この地のこどもたちにも贈られている。作並の人々の郷土への想いと一緒にこけしは胸に刻まれているのだろう。

    厳しい寒さの中でこそ美しいミズキが育つ

    仙台作並地方は山を越えれば山形市という、宮城県と山形県との境に位置する。
    作並こけしの原料となるミズキの木は、山形から入ってくる木を多く使っている。山形側の木は冷たい日本海の風に吹かれるため、成長が遅く、樹齢の割に細い木が多い。「厳しい環境の中で、年数をかけて育った木はやっぱりきれいだね。」と今回取材させて頂いた、作並こけし職人の平賀謙一(ひらがけんいち)さん。ここ十数年、家具や住宅の木材は成長が早くて安い、海外から入ってくる木材に目まぐるしくシフトしていった。しかし、木目の美しさが命ともいえる宮城伝統こけしは、陸奥の厳しい冬を乗り越えて育った木を材料としているからこそ、上品な仕上がりであり、陸奥の自然の美しさ、厳しさ、そしてこの土地で育った文化がつまっているのである。

    4月上旬まで雪が残る厳しい陸奥で育ったミズキは木目がつまっており美しい。

    こどもの遊び文化とこけし

    温泉地のお土産となる前に、もとはといえばこどもの遊び道具であったこけしたち。例えば鳴子こけしや遠刈田こけしはおんぶをしたり、着物を着せたりという風に遊ばれてきたようである。そのため大きさ、そして胴の形も背負いやすく布を巻きつけやすいような形になっており、今に至っている。
    一方、鳴子、遠刈田からいくつか山を越えた作並のこけしは、鳴子や遠刈田よりも小さなこどもたちが、母の背におぶられながら、(今でいうガラガラのように)小さな手にこけしを握り、遊んでいたようである。そのため、サイズも今でこそ様々であるが、当時は小さなこどもが手で握って遊べる大きさであった。
    もともと、鑑賞するものではないため、特に作並こけしは立てると不安定で飾るのには向いていないこけしだったのである。しかし、時代の流れと共にこけしは子どもたちの遊び道具から大人の鑑賞用となっていき、作並こけしも工夫され、できたのが作並こけしの特徴でもある台付きこけしなのである。

    守っていくだけではない。時代と人々の要求を取り込み、作並こけしは確立されていったのである。時が流れていく中で、技術は確実に伝えられている。しかしその時代時代の捉え方は職人一人一人に託されていく。

    時代の流れとこの作並の、こけしを温泉土産として持ち帰りたいという人々の要求、職人の工夫が生み出した作並の台付きこけし

    作並のこどもたちの成長を見守るこけし

    作並小学校の卒業生には、卒業時に自分の名前入りの作並こけしが贈られる。14年前に平賀さんが提案し、今もなお続けられている。毎年卒業シーズン前になると平賀さんは作並小学校を卒業するこどもたちへ贈られるこけしを作り始める。一つ一つ丁寧にこどもたちの名前を入れ、仕上げていく。
    卒業したこどもたちはやがて大人になり、この街を担っていき、あるいは街を出て、どこか別の街で活躍していくのだろう。そんな作並のこどもたちの成長を平賀さんが作ったこけしは静かに見守っているのかもしれない。そして再びこけしを手にしたとき、楽しい小学生時代に、この作並で過ごした時間が思い出されるのだろう。

    父であり、師匠である謙次郎さん(写真奥)から謙一さん(写真手前)へ。そして息子であり弟子である輝行さんへと作並のこけし技術は受け継がれていく。

    職人プロフィール

    平賀謙一 (ひらがけんいち)

    作並小学校の卒業記念にこけしを作り始めて14年にもなる。

    遠く離れた地で暮らしていたとしても、こけしを見れば、作並出身の人々はこの静かな温泉の街を思い出すのだろう。

    こぼれ話

    作並温泉

    作並こけしは、作並温泉のお土産として発展してきました。その作並温泉は開湯より1200年といわれている、古湯です。その昔、源氏の時代に矢で射られた鷹が傷を癒しにきたという、「鷹の湯」などがあり、古くからその湯の効用(食塩芳硝泉・神経、リウマチなどに効く)は知られています。山間に位置するため、渓谷沿いに温泉旅館があります。ほとんどのホテル・旅館は美しい渓谷の景観を生かした露天風呂があり絶景です。露天風呂では水の流れる音を聞きながら温かい湯につかり緑や、秋には紅葉、冬には雪景色が楽しめます。豊かな自然の中にあるこの温泉は、たまにサルもつかりに来るそうです。

     

概要

工芸品名宮城伝統こけし
よみがなみやぎでんとうこけし
工芸品の分類 人形・こけし
主な製品こけし
主要製造地域仙台市、白石市、大崎市、刈田郡蔵王町及び七ヶ宿町、柴田郡川崎町、宮城郡松島町
指定年月日昭和56年6月22日

連絡先

■産地組合

鳴子木地玩具協同組合
〒989-6827
宮城県大崎市鳴子温泉尿前74-2
日本こけし館内
TEL:0229-83-3600
FAX:0229-82-2589

http://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/miyagi_01.htm

日本こけし館

http://www.kokesikan.com/

弥治郎こけし業協同組合
〒989-0733
宮城県白石市福岡八宮字弥治郎北72-1
弥治郎こけし村内
TEL:0224-26-3993
FAX:0224-26-3993

仙台地区伝統こけし工人組合
〒984-0831
宮城県仙台市若林区沖野3-8-32
加納博様方
TEL:022-286-0564
090-9530-1028
FAX:022-286-0564

http://www.sendaikiji-c.com/

遠刈田伝統こけし工人組合
〒989-0916
宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉新地西裏山36-135
みやぎ蔵王こけし館内
TEL:0224-34-2385
FAX:0224-34-2300

■海外から産地訪問
画像
宮城伝統こけし~産地訪問記事

特徴

頭部と胴体だけという、極めて簡略化された造形の美に加え、清楚で可憐な姿は、山村の自然に囲まれた素朴な作り手の心から生まれた美しさです。

作り方

こけしの材料となる木の皮をむいて6カ月~1年間自然乾燥させた後、寸法に合わせて木を切り、不要な部分を切り取ります。ろくろを回転させて頭、胴を鉋(かんな)で削り、サンドペーパーやとくさ等で磨いたものに顔や胴の絵柄を描き、頭を叩いて胴に入れ込みます。

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